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現実主義の陥穽

ここ数日、西日本や中部での集中豪雨の影響で、河川の氾濫、住居の床上浸水などの被害が報告されています。今年も自然災害と無縁とはいきません。毎年のように自然災害による被害発生情報に接する度、不条理への怒りが沸きますが、ぶつける先もなく悶々とした気分になります。

さて、本日は、野口雅弘『マックス・ウェーバー 近代と格闘した思想家』(中公新書2020)を読んでいて出会った「現実」についての記述から、思ったことを広げていきます。


現実主義的に生きてきた

私は、理想主義的な考えに惹かれつつも、実際には、極めて現実主義的・世俗主義的に行動する人間です。「自分だけが損をしたくない」「自分だけが割を食うことは許せない」というケチで卑俗な小市民的メンタルが、確実に宿っています。

自分の意志を押し通さず、必要な妥協をしながら、現実主義的・世俗主義的に振る舞ってきたことは、しばしば自分の身を援けました。平凡でその他大勢的ながらも、社会評価的にはそう悪くはない人生を可能にしてきました。100%満足はしていないものの、これまで歩んだ道のりについて、自分の中では納得し、整理がついています。

問題はこれからの生き方です。

丸山眞男が指摘する「現実」主義の陥穽

著者の野口氏は、本書の『第六章 反動の予言』の中で、「現実」主義の陥穽についての丸山眞男氏のことばを引用しています。

現実とは本来一面において与えられたものであると同時に、他面で日々造られて行くものなのですが、普通「現実」というときはもっぱら前の契機だけが前に出て現実のプラスティックな面は無視されます。いいかえれば現実とはこの国では端的に既成事実と等置されます。現実的にたれということは、既成事実に屈服せよということにほかなりません。

P189

続いて野口氏は、「現実的」ということばは、相当慎重に用いられるべきであると言います。「現実的」であることが、拡大する経済格差、軍事費の増大、核兵器の拡散、環境破壊の現状を黙認・追認し、「現実的」な国防施策を行うことが、周辺国との相互不信や、憎悪の連鎖を招き、緊張感を高めているのではないか、と問います。

「現実的」=現状追認に堕する危険

野口氏の論考は、ウェーバーの責任倫理と信条倫理を説明する文脈の中の一部で提示されているものであり、私がこの部分だけを切り取って掘り下げるのは不適切かもしれません。

ただ、私は、この「現実的」についての説明と記述が、かなり心に響きました。私の「現実」についての捉え方が、丸山眞男氏が指摘する「既成事実への追認」になっていたことに気付いたからです。

ここ数年の私の生き方は、既成事実を自分の力では変えられないものと受容して、自分に極力有利に働くようにリアクションをしていく、ということを繰り返してきたように思えました。そうなっていた背景には、これまで私が目論んだ理想主義的な考え、行動によって、大きな成功を収めたことがなかった、という自己評価も影響しています。

既成事実を無視することは得策ではないという妄信は、なかなか消えないものの、時には現状を是認して、微修正と是正で済ませて妥当なところに落ち着かせる、という安直な姿勢を破ることも意識しなければいけない、と考えを改めました。

本書は、示唆に富んでいてお薦めの書籍です。

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