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いい仕事とは

他者と仕事をする時、「いい仕事とは、仕事を通して豊かな対話が実現できること」という言葉をいつも思いながら、その仕事を今後継続して受けるか受けないか考えています。
同時に思うのは、「フォロワーシップ」がしっかりしている組織との仕事はやり甲斐があるなということも。出版物の下請けで原稿を書く仕事をしていると、提出した原稿の修正依頼が来て再提出することがあります。自分が創作したもののダメ出しは毎回心が折れるのですが、それでも「一緒にブラッシュアップさせていきましょう」ときっちりフォローしてくれる組織と、丸投げの組織に分かれます。フォローしてくれる会社とは、ダメ出しを通してまた豊かな対話が生まれます。
そこで受けたダメ出しの内容に感動することすらあります。ああ、この人、プロだなと。そこは、組織の大きい、小さいに関わらないと思います。
去年、単価が安い仕事を受けるか迷った時、
1、社会貢献できるか
2、自分が成長できるか
3、やってて楽しいか
このうち2つが該当するかを目安にすればいいよと教えてもらいました。これも今年は一つの指針です。思えば、「他者との豊かな対話」が実現できる仕事は、私にとって3に該当するんだな、と思います。
逆に、単価がそこそこ高い仕事で、3つ全て当てはまらない仕事は、もう契約を終了しようかと悩むこともあります。
某フリースクールの仕事はその一つです。

まじ、くそつまんねえ。もう、どうでもいいんで思ったままを書きます。

某フリースクールのスクーリング授業は、大学時代にボランティアで老人ホーム行って落語している時と同じ感覚です。シャドウボクシングで、特別養護老人ホームのような時間も多々あります。落語研究会出身以外わかんないネタですいません。
某フリースクールのように、学校に通わず、「好きなこと」を思いっきりするために、ネットで授業を受けて、残り時間はしたいことに没頭するというスタイル自体は選択肢の一つとして肯定します。私も高校まで学校が嫌いだったから、そんな環境があったら行ってみたいですし、それで救われている人間もたくさんいるはずですし、在籍者数は増え続けていますから、世の中からは必要とされていることは間違いないと思います。
ただ、好きなことを見つける過程で、自分にとって少し頭が痛くなるような異質な知性に触れる機会をあそこまで無くして大丈夫なのかな?とも思います。学問や、書物を介して異質なものや他者に触れる機会もないようなあのバーチャル空間は「学校」と呼べるのだろうかと思います。
職員も意識高い系の某コーヒーチェーンを劣化させたようなパリピな人間ばかりの空間と、あんなペラペラの内容の授業で単位をもらって高卒認定されても、そこから先、どうするんだろうか、と不安になることがあります。「『ドラえもん』だけでひとは大人になれない」という内田樹のエッセイを思い出しました。

「好きなことを仕事にする」、は自身の目標でもあります。
「遊び」と「労働」を切り分けずに働きたいとも思います。
今もそれを実現したくて、現実と理想の間で常に悩み続けています。

考え方がマッチョなのかもしれませんが、10代のうちに、背伸びして、自分の身の丈に合わない書物とか、概念とかにいっぱい触れて、わけわかんないままでいいので、頭が痛くなる経験をいっぱいして欲しいな、と思うのです。そこで身につけた知性が、自分を救ってくれる場や、自分にチャンスを与えてくれる場があると思うので。あとは、一見、役に立たない教養は、社会に出て異質な他者と、豊かな対話を可能にするための道具でもあると思っています。ビジネスに直結しないような、一見「役に立たない」ことを今のうちに学んでほしいです。そして豊かな教養を身につけて欲しいです。

そのために、自分の身の丈を超えた本を読むことは大事です。

そして、色んな世代の生身の人間と対話する機会も持って欲しい。
それが可能な場作りを社会の中で実現してほしいです。

こんな考え方は、年寄りくさいと言われるかもしれないですが・・・。
20歳を祝う会が全国で行われた日に、10代に向けて本当は言いたいことを徒然に書いてしまいました。10代の前では言わないですけど。

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