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【バトン連載】私の移住ストーリー vol.8|清水さとし@石垣島

僕が石垣島に移住した理由

私は神奈川県で生まれ、石垣島へ移住する前までは同県の建設会社の営業として働いていました。

若い頃はサーフィンが趣味だったので、夏には静岡県の伊豆半島にある伊豆白浜でビーチパラソルの売り子として働いていました。
当然の流れの様にスノーボードにもハマり、(笑
福島県磐梯町にあるアルツ磐梯スキー場でリフト係として働いたり、
北海道でアパートを借りて冬のシーズンはニセコでスノーボードしたりと
今振り返ると社会とは不適合な20代を過ごしていたと思います(笑)

安定した生活?

2012年入社の35歳だった頃、仕事はとても大変で自宅へ帰宅するのも遅く、日々身体も心も疲弊していた記憶があります。

その後は仕事にも慣れ、会社からの評価もそれなりにされ、
仕事のやりがいも見つけ、
休みの日は地元の仲間と呑みに行き好きな服や雑貨を買い、
夜は好きな音楽を聴きに踊りに行き、
趣味でもあるキャンプも定期的に行き…
とても充実した生活を送っていました。

40代にして、世間がよく言う「安定した生活」をガッチリと手に掴んでいる実感がありましたが、社会不適合者だった20代を過ごしてしまったせいなのか!?
楽しそうな事があると後先考えずにすぐフラ~~と流れていってしまう性格のせいなのか!?
テレビで田舎へ移住した人の特集をした番組を観ると「いいな~オレも住みたいな~」と年甲斐もなく思っていました(笑

次の旅行は久米島へ行こう!

僕には今年で22年連れ添っている妻がいるのですが、妻は東京の百貨店に勤めていたのでお互い休みも合わず、忙しい中なんとか日にちを合わせ県外へ旅行に行く日々を過ごしていました。

ある時、仲の良い友人と呑んでいる時に沖縄県の久米島へ一人旅をした話を聞きました。
久米島では馬に乗ったり、パラセーリングをしたり、サトウキビ畑を歩いたりと自然が豊かで最高に楽しかった!と。
僕ら夫婦も「次の旅行は久米島へ行こう!」と決め、お互い忙しい中休む日程を合わせ、飛行機を取ろうと思った矢先…。

羽田からの直行便がない!! 

はい 羽田からの直行便は夏のみの運行だったらしく。
僕らの休みが取れたのは2月か3月だったので、その時期の直行便は出てない事を直前で知りました…..がびーーーん

もう休みも取ってしまったし、放心状態でコーヒーをしばきながらボーっとしていると妻が「石垣島って所なら直行便があるよ」と言いました。
僕ら二人はもう既に南国の沖縄モードだったので、久米島はまた次回にして石垣島へ行こうと決めました。

石垣島へ

石垣島では平久保岬から見える綺麗なエメラルドの海や、西表島の大自然を見て感動したのを覚えています。

滞在初日の夜居酒屋で呑んでいると、隣の席に座っていた男性2人組と意気投合し、翌日もその2人と会い飲み明かしました。
その方達は移住者ではなく、東京からよく石垣島へ来ている方達で、
「東京でも石垣島を好きな人たちを集めて飲み会をしているので、清水夫婦も是非次回は東京で会いましょう」という話に。

東京ではその2人が主催して、とぅばらーまのチャンピンにもなった方を招き、三線の演奏を聴き、歌に魅了され、石垣島の好きな所を語り合う会を重ねていき、毎年石垣島に旅行で行く様になり、石垣島がどんどん好きになっていきました。これが移住した大きな理由です。

移住するためにクリアしなければならなかった事

親にどう話をするか?

一番の難関は親にどう話をするか?と言う事でした。

僕は愛知県に15年程仕事でいた事もあり、横浜に居る親とは離れて生活していたので、僕が神奈川県に戻って来た時は凄く喜んでいました。

今回、また離れて暮らす事になるので、親の気持ちを裏切ってしまうのではないか?と話を切り出す事が出来ずにいましたが、
いざ話してみると最終的に「さとしのやりたい様にやってみなさい」と父親には言って貰えました。
母親はずっと寂しい顔をしていたのを今でも覚えています。
兄弟からは「さとしらしい」と、褒めているのか見放しているのか良くわからない返答でしたが(笑 
とりあえずクリアし、最後の難関は石垣島の住まいを決める事だけになりました。

住まいを決める!

石垣島出身の友人にも協力して貰い 妻も毎日ネットで物件情報を
探していましたが、なかなか住みたい!と思える物件が出てこない・・・

退去日が迫る中、やっと理想通りの物件が出てきて直ぐに問い合わせたのですが、「今は空いているがオーナーさんの知り合いが住むかもしれない」と言われ、「???」と思いました(笑 

電話越しに、「その部屋に住みたい!!」と言う熱意をしつこく伝えると、
後日、その熱意が伝わったのか、「オーナーさんが一度会ってみたいと言っている」と!
迷う事なく直ぐに石垣島へ行き、ドキドキしながら顔合わせをしました。
実際に物件の内覧もして、無事に住む事が出来ました。

今では島で採れた野菜を貰ったり、あげたり、一緒にクリスマスパーティーを我が家でやったりと親子のような関係になっております(笑

仕事に関しては、移住して直ぐに仕事はせず、まずは地域に馴染む為にもしばらく休んで、やりたい事を見つけようと決めていたので、不安なく移住ができました。

移住して今思うこと

2022年8月31日に無事石垣島へ移住する事が出来ました。
同じタイミングで大きめの台風も来ていました(笑 
一時は台風が過ぎるまで、ホテル暮らし?と焦りましたが、
台風が来る直前に荷物の搬入を完了して貰い、無事に生活ができる様になりました。

荷解きも終わり、生活も落ち着き石垣島の友人も増えていた頃、
「そろそろ仕事も探さなくては・・・」と考える日が多くなってきていました。

前職と同じ仕事をする、 と言う事もアリかも知れませんが、
「せっかく石垣島に来て同じ仕事をするのって面白いのか? 」
「営業職で培ったものが生かせて、自分の性格を表に出せて、尚且つ人の笑顔が凄く好きなので僕も相手も笑顔になれる仕事をやりたいなぁ」
「それってどんな仕事?」
と色々思い悩んでいた時。

前から仲良くさせて頂いていた地元の人に「さとしは愛嬌があるからタクシーの仕事とか向いてるんじゃない?」と言われました。
その話を素直に間に受け(笑
石垣で二種免許を取得し、現在はタクシードライバーをしています。

実際タクシーの仕事を始めてみると、通常送迎だけではなく、
貸切観光で石垣のきれいな青い海と空、緑の山に囲まれた自然豊かな島をお客様と一緒にまわって喜びを共有することもあります。

それは当初僕がイメージしていたタクシー業務とは全く異なり、
お客様の笑顔も見られて、僕も幸せを感じられるかなり理想に近い仕事で、びっくりしました。

また。地元のお客様を乗せる際もよく僕に応援の言葉をくれます。
例えお店の場所がわからなくても、タクシーの仕事をしているだけで有難いと言って頂いたり、時にはコーヒーや栄養ドリンクをくれたり(笑) 
皆さん気さくに接してくれて、会話のなかに八重山独自の文化や伝統を聞ける機会も多く、有り難く思いながらゆんたくしております。

先日はタクシーマナーコンクールで沖縄本島へ行ってきたのですが、それが新聞に載った際には、大家さんが僕らの親に渡せるよう、同じ新聞を幾つも親戚から集めてくれていたり、
僕が事故など起こさない様に毎日仏壇にお願いしてくれていたり

書き出したらキリがないほど、とても幸せで充実した日々を送っています。

神奈川県に住んでいた頃はお互い忙しく、妻ともゆっくり時間を共にする事が少なかったのですが、石垣島に住んでからは180度生活のリズムが変わり、一緒にビーチコーミングをして貝を拾ったり、今日起きたどうでもいい話をお互いに話したりする事も凄く増えました。

妻も「自分でやりたい事・やってみたかった事」も実際に動き始め
また新たな夫婦の人生が始まり、とてもワクワク充実した時間を過ごしております。

僕にも今後、タクシー以外にも「いつかやりたい事」があるので
そちらの方も少しずつ前進して行けたらと思います。

何処かでお会いする事があったらお気軽に声をかけてくださいね~!
みなさんどうぞよろしくお願いします。

次のバトンですが、今はご結婚されていて旧姓が僕と同じ「清水」、
しかも僕と大変ゆかりのある愛知県出身、
そしてそして移住してきた時期もほとんど同じの「かなみん」こと、
さとう かなみさんにお願いしますーーー!
かなみんよろしく〜


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この記事を書いた人

清水さとし
1977年生まれ  
神奈川→愛知→神奈川→石垣 
現在は川良山交通でタクシードライバーとして勤務
趣味は気の合う仲間と酒を飲み、冬には伊野田キャンプ場でキャン
プをし、タカラガイの収集と野鳥観察にハマってます。


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