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巣という構築技術の可能性+ヴァナキュラーとしての巣(編集中)

※本文章は現在執筆中の論考の部分的公開であり、編集中です。


巣という構築技術の可能性<地中生活者モグラと地下鉄の形>

動物園かどこかでモグラの巣の展示を見た時、近くにいた小学生らしき子供が地下鉄みたいだと率直な感想を述べていたのを聞いた。確かに、モグラの巣のようなチューブ型の地下ネットワークは私たちの日常では地下鉄の路線ネットワークと類似した造形的形態をしている。差し当たり、地上の地下鉄の入り口はモグラにとっての巣穴への入り口、つまり公園などで見られるようなモグラ塚であり、各駅の乗車空間はモグラの生活スペースのようである。彼らとは少しばかり生活圏のスケールが異なることと、環世界と機能上の目的を共有できていないのみであり、根本的な技術行為はヒトの作る地下鉄と類似しているような気がするのである。(現に、JR上越線に日本一の「もぐら駅」と呼ばれる土合駅という駅があることは一部の人のみ知ることだろう。それくらいに地下鉄とモグラというものは類似している)

そこから、モグラという「地下生活者」について少し調べてみることにした。まず、モグラはそのチューブを通りやすいように最適化されたためか、身体が流線型になっており、耳介が存在せず、骨盤も小さく、そして陰嚢なども体内に押し込められており、体にできる限りの出っ張りが存在しないような身体構成となっている。また、どんな状態でもUターンが可能なように体の前後が左右対称になっている。彼らには車輪や線路はないが、細長いチューブ上の空間を自在に動き回る地下鉄の電車のデザインのような身体機能となっているのだ。そして、彼らには食料保存・放牧場という概念もある。乏しい土中での食料を安定して獲得するためのものであろう。モグラはミミズなどの土壌生物を主食とするが、そのミミズらの頭を半分齧った状態でチューブの内壁に塗り込めて保存食として存在しており、それが何キロメートルにもわたって続いている。まさに最適化された「地下生活者・技術者」としての工夫と知恵の形態と言える。

例へば「もぐら」の如きは常に蚯蚓を食ふて居るが、地中で蚯蚓を見付ける毎に直に食ふのではなく、多くはこれを巣の内に貯へて置く。而して達者なまゝで置けば逃げ去る虞があり、殺してしまへば忽ち腐る心配があるが、「もぐら」は蚯蚓の頭の尖端だけを食ひ切つて生かして置く故、蚯蚓は逃げることも出來ず腐りもせず、生きたまゝで長く巣の内に貯へられ、必要に應じて一疋づつ食用に供せられる。

[もぐらの巣]
モグラは我々に劣らない立派な立派な地中生活者であり技術者である

ここで一つ疑問に思うことがある。まるで地下鉄のようなモグラの巣、そこで営まれる生活の知恵や工夫、そして現在の巣の形態や身体改変はどのようなモグラ自身の技術進展や住まいへの美学によって進化してきたのだろうか。どうして、モグラの巣と我々ヒトの地下鉄の形態は類似しているのだろうか。さらにいえば生き物たちの巣とヒトの構築物や建築の差異や類似性はどこにあり、巣らしさとはどのような状態を指すのだろうか。いつから私たちの建築は「巣」であることから離脱したのだろうかという疑問である。

ヒトも初めから高度な建築技術を要していたわけではなく、モグラたちと同様に生存的本能的に土壌に穴を掘る「地下生活者」であったと考えられる。つまり始まりは私たちの建築も巣であったのだろう。しかし、どこかの段階で貯蔵や共同体の拡張、機能的、材料的にも変化し、他の動物達と全く異なる技術獲得と進化、そして応用を始め、現在の建築や都市の形態となり、巣の段階を大きく飛躍していったのである。生物種としての大先輩である生きもの達から見れば、ヒトは対して身体変化を行わないにも関わらず、最も変化と種類に飛んだ「巣」を自然の大地に構築し、その面積を拡張させ、日々技術確信に向け科学的努力を重ねている熱心な生きものだと見えているであろう。

日本最古の歴史書「古事記」には、住まいのことが「巣まい」と書かれている。1300年以上も前の文章であるが、人偏に主の「住」という漢字での表現以前は「巣」が当てられていたことがわかる。このように古代人にとっても「巣」と「住」はどこか原始的には類似しており、どこかヒトなるものとしては異なるものなのだろう。

古事記には巣まいと書かれている部分が存在する。

リチャード・ドーキンスの「延長された表現形」と言われる、自らの生存に対して率直な身体変化を超えた行動や遺伝や時間蓄積の反映の結果としての構築力が「巣」の技術でだとした時、ヒトがが発明してきた日本で言う1300年間の「住」の技術であると対比させると、私たちが現在「巣」の構築技術から学べるものは大いにあるのではないだろうか。決して古代人へ回帰することではないはずである。その先より遥かに深い「延長された表現形」が我々に形成された、技術的確信に迫る創造的な行為であろう。

ヴァナキュラーとしての巣<巣における累積淘汰と延長された表現形>

「ヒト」の誕生よりもはるかに昔から生き物の巣が確かに存在していたことは確かである。確かに地球上に構築技術はあり、ヒトの技術以前に生きものたちは巣や生存空間の構築技術を獲得していた。その土地の風土性や環境的状況や大地の制約、それに対して生存確率を向上させようとする遺伝子的な作用による生存のための構築技術の向上は、「延長された表現形」の概念を借りるとヒトのヴァナキュラー建築の発生条件の発生と繋がるだろう。リチャード・ドーキンスは「延長された表現形」について以下のように述べている。

一方における血と肉と骨でできた尾と、他方におけるダムによってせき止められて谷間にできた止水塊に対して、いったいどうやって同じ言葉を使うことが正当化されるのか。その答えは、どちらもビーバーの遺伝子の顕示であるということだ。どちらも、そうした遺伝子を存続させることが、ますますうまくできるように進化してきた。どちらも、よく似た発生学的な因果の連鎖によって発現される遺伝子と結びついている。

リチャード・ドーキンス『祖先の物語 ドーキンスの生命史 上』

ここではビーバーの遺伝子の顕示と書かれているが、ヴァナキュラーはヒトという遺伝子の顕示である。初めから様式的で生存以外の機能的な目的を有した建築空間から「ヒト」の建築史は始まっていない、ヒトの身体的規制、例えば移動手段や共同体の範囲、大地から採取可能な材料の条件の範疇において遺伝子の存続のために発生した形態と言えるだろう。
ドーキンスはまた累積淘汰という概念を提示している。

飛んだり、泳いだり、樹から樹へ飛び移ったりなどなど、生きるための方法が数多くあるというのはそのとおりである。しかし、たとえ生きていく方法がいろいろあるにしても、死んでいる方法(もしくは生きていない方法)にはもっといろいろあるというのは確かである。あなたが10億年ものあいだ何度も何度も繰り返して細胞をでたらめに寄せ集めても、飛んだり、泳いだり、穴を掘ったり、走ったり、ほかの何かをしたりする大きな塊は一度も得られないだろうし、悪くすると、自らを生きたままに保っておけるとわずかにでも思われる塊すら現れてこないだろう。

リチャード・ドーキンス『盲目の時計職人 自然淘汰は偶然か?』

いろいろな死んでいる方法の数は、いろいろな生きている方法の数よりはるかに多いのだから、遺伝的空間のなかで大きくランダムに跳躍したときに死にいたる見込みはきわめて高い。遺伝的空間におけるランダムな飛躍はたとえ小さくてもやはり死にいたりやすいだろう。

リチャード・ドーキンス『盲目の時計職人 自然淘汰は偶然か?』

生きている方法よりも死んでいる方法の数の方が多く、小さな進化を累積していく過程を経て(つまり死んでいる方法を積み重ねながら)累積淘汰でなら、100世代後に優位なデザインの違いにたどり着いた時、生存を維持できている可能性は非常に高いということだ。後ほど紹介するが科学を持たない生きものたちはエンジニアリングという計画的予測的なデザインは行わない。巣はまさしく数百、数千世代の累積淘汰の結果の形態と言えるだろう。
またヴァナキュラー建築の発生も同様ではないだろうか。人々の大地や材料との身体的なアフォーダンスによる格闘の歴史、生存競争の結果としての造形と道具と言える。また、遺伝的空間におけるランダムな飛躍が死に至らしめるとドーキンスは主張するが、ランダムな飛躍はまさに大地から離脱し強い技術により維持された近代的建築達を想像せざるを得ないだろう。ランダムな飛躍は死に近いのである。

少し生物学から離れ、建築学の領域に戻ろう。B・ルドルフスキーは、1964年に発表したニューヨーク近代美術館での展示「建築家なしの建築」において各国の風土的建築や集落を収集し、ヴァナキュラー建築と近代建築の要素を捉えた。彼は本展覧会の目的を、西欧の歴史家への建築芸術の社会的な偏見の視点の打破、そして建築の起源や無名の工匠によって受け継がれてきた普遍的な技術への言及にあったとする。書籍「建築家なしの建築」の中では以下のように述べられている。

歴史家たちは最初の50世紀をとばしてしまい、私たちに向かって、ただいわゆる“様式的”な建築の盛装した行列だけを示す。建築芸術がこんなやり方で解説するのは、たとえば交響楽団の出現によって音楽芸術が始まった、と言うのと同じくらい気まぐれなことである。

B・ルドルフスキー・建築家なしの建築

こうした状況は少なからず歴史家たちの見当外れの勤勉さのせいでもある。彼らは建築家とそのパトロンたちの役割をたえず強調し続け、その結果無名の工匠たちの才能と業様の評価をおろそかにしてしまったのだ。しかし、無名の工匠たちの思想は、時にはユートビアンたちに近似し、その美学は至高の域に近づいていたのである。この種の建築の美は長い間、偶然的なものとして無視されてきた。しかし、それらは今日、実際的な問題の処理についての稀有の優れた感覚の産物として評価されるべきなのだ。時には百世代にもわたって受け継がれてきた住居やその中で用いられている道具の形態は、永遠に有効であるように思われる。

B・ルドルフスキー・建築家なしの建築

B・ルドルフスキーは、西洋中心主義的なモダニズム建築を批評し、建築史家として捉えることができていない数百世紀の時間軸における建築の可能性を示そうとした。「建築家なしの建築」は西欧中心の近代建築以前、まさに未開の地における無名な「ヒトの巣」の発生や技術を取り上げていることで、建築の原初性、起源性に踏み込もうとしたと言える。特に百世代に渡って受け継がれてきた住居形態を道具として再評価し、またさらに永遠に有効であると述べる点はまさしくドーキンスのいう累積淘汰の視点を持って、ヒトのヴァナキュラー建築を捉えている。

B・ルドルフスキーはあくまで、ヒトの累積淘汰に視点を当ててその稀有な技術力や美的存在価値を再評価しようとしてるかというとそれだけではない。

宗教を信じず、建築の起源を聖書よりも科学によって探り出そうとする人たちは、二、三に消化されにくい事実を飲み込まねばならないだろう。なぜなら、いろいろな動物たちは、人類が小枝を曲げて雨もりだらけの屋根をつくりはじめるよりずっと前から、熱練した工匠であったからだ。ビーバーは人類の行うダム工事を見てからダムをつくりはじめたわけではない。おそらく人類の方がビーバーの真似をしたのだろう。そしてたぶん人類がねぐらを築くための最初のヒントを得たのは、従兄弟にあたる類人猿からであろう。ダーウィンは極東の島々のオランウータンと,アフリカのチンパンジーが寝るための台をつくるのを観察して次のように述べている。「どちらの猿も同じ習慣に従っている。この習慣は本能に基づくものか否かは議論の余地があるにしても、両者が同じ要求と同程度の理性をもっていた結果であると考えるのがまず妥当であろう。」

B・ルドルフスキー・建築家なしの建築

引用のように彼は動物の構築物にも注目をしている。動物達を人類が屋根を作り始めるよりも先に誕生していた熟練した工匠とし、生きものの巣や構築技術すらも建築家なしの建築の射程として捉えていたのである。彼が建築史家として西欧中心の建築史観の視野狭窄さを批評していたとき、もしかするとB・ルドルフスキーが建築史家として「建築家なしの建築」の続編は生き物の巣をテーマにしていたかもしれず、建築の起源性や近代建築に対しての見直しの立場を考える上で生き物の巣を建築的に扱うことはむしろ建築学への発展に十分に寄与する行為であるだろう。

ヒトの巣とはまさにヴァナキュラーな建築を土台とするものであり、原始的な生きものとしてヒトの巣の姿として、近代建築が地表を埋め尽くそうとする現在も技術的な維持を続けているのである。

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解築時代のための生きもの建築論をテーマに卒業論文を書き上げるまでの思考や学びの変遷の日々を書きます。最低月1回の進捗報告書や研究室での議論…

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