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週間レビュー(2022-9-26)_「旧来の概念に基づくデザインだったらデザインしないことも一つのデザインである」

尋常じゃない今年の暑さが吹き飛んで、すっかり秋になった。
このまま冬を迎えて2022年も終わっていくがその実感を今は持っていない。1年の儚さを感じるのは決まって12月の最後の週なのである。

2年間の休学をしていると同期が先に就職していたり、修士で好きなように研究や制作をしていたりする姿を見ると何とも自己嫌悪的な気持ち、または不安に苛まれる。(それはそう。23歳で大学3年なのはちょっとおかしい😂)
自分の道を進めば良いと思えても、実力で負けてしまったり、結果を出せなかったりすると自分の道や積み上げてきたもの、他の人とは異なる経験や気づきなんて大したことなかったのではないかとすら思う。過去の記憶が希薄になるにつれ自己肯定感は加速度的に薄まっていくし、こんな自分が果たして誰かを幸せにできるのだろうかと思ったりする。しかし粛々と何かを製作し、そして生きていくしかないので頑張ろう。

AIESEC in Japan 記念雑誌製作

古巣のAIESECからの依頼を受けて、60周年記念雑誌の発行をディレクションした。主に自分のクリエイティブの方向性とは少し異なる案件だったけれど、100p超の雑誌ひとつを丁寧に作ることがどれだけ大変なことであるかを実感したように思う。制作のサポートをしてくれた数人の大学生はノンデザイナーであったことあったが、本当に歯を食いしばるような気持ちで(設計課題の最終提出よりも圧倒的に危機感と焦りを持ったかもしれない…)明確に数千人の多世代のアルムナイの目に触れ、そして当時の活動の気持ちを触発するものを制作すること、自分の名前でものを世に出すことの緊張感を味わうことになった。

会場配布かつ記念式典ということもあり、伝統的なブランドカラーの色味を落とした紺色とアクセントとしての黄色。高級感を生み出す冊子。
紙面の一部(PR用)
寄稿文章やインビュー記事、活動の年表、最新の活動内容や未来の話..など単なる歴史回顧だけではない切り口でコンセプトを立てることで、明確にアルムナイの気持ちを触発することを目標にした。
記念雑誌とパンフレット。多くの人の目に制作物が見られる恥ずかしい高揚感のような感覚…プロジェクトワークが多いので、すごく久々な感じだったな。
コンセプトメイクから各紙面の企画構成までの落とし方。実はOMAのリサーチプロジェクトの作法をトレースしてみている(OMAの「Project Japan」参照)一連の活動をムーブメントとらえ、アプローチとエッセンスでグルーピング、そして紙面という造形まで落としていく。
100p超の紙面構成は、読み進めるストーリーテリングを考えながら流れ、順序、リズムを整え亭rく(これは建築のスタディのようですよね)
長い歴史は自分の観点だけでは把握することができない。故にオーラルヒストリーインタビューのアプローチが最も有効であり、そのためにも過去の資料をスキャニングして、全て時間軸上にマッピング(この画像は一部)

このプロジェクトがどの程度社会的価値のレベルに通じるのか、正直わからないし、個人的には反省が多い…のだけれど、かなり好評でWOWの声が多かった。また、参加者に含まれるデザイナーやクリエイティブ関係者の方にも褒めていただいたのはかなり自信に繋がったように思う。やはりデザインは実プロジェクトが一番だし、デザインする領域が広がることは良いことだと思う。今後プロの方からのFBをもらい、ボコボコにしてもらった上で再度学びを整理しようと思う。
かなり個人にノウハウが溜まってきたので雑誌やリサーチアウトプットを作りたいという方はぜひご連絡ください!(masaki.morihara@gmail.com)

六本木なんでもデイ

Whateverの拠点である「WHEREVER」の入居企業やクリエイターの展示会。Whateverのクリエティブは建築系デザイナーとは少し違いポップでリベラル、かつロックな所が個人的に好きだったりする。コーポレートブランドとかを作り込まなくても、やはり作っているプロダクトを見れば何を大事にしたクリエイターが多いのか、どんなコミュニケーションが多いのか、何にテンションを掲げているのかは良くも悪くも見えてくる。
積紙(Tsumishi)と意思表明プラットフォーム「D.E.A.D」がいけてるなと思った。このような自社プロダクトをオープンにしてく取り組みはとても楽しいのでいろんな企業でやってほしい。

雨でARコンテンツはうまく見れなかったのだけど、建築ファサード×ARは自分が早く実作を作りたいテーマだったりする。後期絶対に取り組もう。

開催場所であった乃木坂の「WHEREVER」、外装も内装も空間構成も本当に良いビルだな〜、なんだこの抜け感と異質な強さは!と思い建築家が作ったなこれはと感激したのだけど、どうやらこの建物の設計は竹山聖さんらしい。(無知だった😂)良い使い方されて愛されてるビルでとても良かった。

乃木坂の駅を出て地下鉄の出口から見上げるとここに大きな階段がありまして、これを基壇と見立ててその上に建っていると見れば非常にいいやないか。 これは先程のエロスとタナトスの話で、出会いの場というのはもちろん人と人が出会うのですが、人と物が出会うことを建築家は考えながら実際は物と物との出会い方しか図面を引くことはできないわけです。人がいっぱいおっても、人が消えた場面でも共に生きるというか新しい形で生きられるような建物でないとあかんと思っています。

竹山聖


世田谷美術館 宮城壮一郎展「旧来の概念に基づくデザインだったらデザインしないことも一つのデザインである」

母の設計事務所の設計パートナーであった宮城さんの展覧会へ。プロダクトデザイナーの真髄であるなと感じることと同時に、生活者や日常のためのデザイン、そしてビジネスやコピーライティング、空間などあらゆる部分にもデザインを拡張させようとトライしていたことをしみじみと感じる。
学生に送ったとされる1枚の文章にすごく震えた。情報化社会によって啓蒙思想はより拡張する。しかし知識が世界を変えるのではなく、知恵が世界を良くするのだと。情報は前提となり、信頼性に変わる、消費者と生産者の形は変わり、生活者による情報発信によりデザインが生まれる、繋がらないという不安に我々は苛まれ、繋がらないためのデザインも生まれる、オープンソースによってユーザーが生産者となる時代だ…など来るべき情報化社会を見据え、「何を誰のためにデザインするべきなのか?」「デザインは社会の何に効くのか?」に視座があったことは大きい。
自分も生活者視点のデザイナーでありたいと改めて強く思った。

そして、内井昭蔵の世田谷美術館はやはり良いのである。

展示会場、円弧をかたどった屋根は展示会場をゆるく包み込む。
ディティールはライトっぽさがある。厳かだけれど高揚感を作るデザイン。
この展示場の抜け感は絶妙な良さがある。
横から水の音が聞こえる素敵な展示場への廊下。異世界性を作る。
エントランスも円弧状の屋根、白い照明と壁面の木によってフワッとなる。
可愛い照明。間接照明最小単位のような…笑
ちょっとした天窓かと思いきや照明。彫刻を照らしている。
公園にある小さな丘陵、そこにかかる橋のような…市民に愛される場所である。

SDレビュー2022

昨年から存在を知ったSDレビュー、今年は空いてるタイミングで行ってきた。選定されたプロジェクトの各々の設計のアプローチは時代を反映しているな、そして取り組んでいる課題も個別解としては重要だなと感じる反面、つくづく形の決まったイノベーションしか許容できない構造になっているんだな〜と感じた。建築教育が自分にはもはや苦しいな…と思う点を見事に射止めてきたそんな展示だったが、別に批判する気持ちはあまりない。人それぞれ建築の未来への解釈があれば良いし、人生をかけて建築で誰かの幸せを作り出したり、表現しようとすることは重要であり、事実彼らのプロジェクトではそれはできているのだから。自分を正当化するための批評ほど見ていて苦しいものはない。しかし、建築のような力のある存在は常に大企業のような権威維持や美学の再生産しかできなくなってしまう、衰退の法則が働くことは事実であり、これにのるか、そるかの問題である。

自分は正希という名前の通り、「正しさを追い求め、先の希望を見せていくこと、未来を創っていくこと」こそ生き方であると思っているし、アーキテクトとしてはポストモダンを再生産するつもりはスタンスとしてないので、SDには一生選ばれないのだろう笑

——日本館が70年代の建築に焦点を当てたのはなぜですか。
近代化していく社会に対して日本建築が異議を唱えた時代がなかったかどうかを見直したところ、70年代がまさにそうだった。
今では世界的に有名な安藤忠雄さん、伊東豊雄さんたちが社会における建築家という職業の存在意義を根本的に問い直した時代でした。みんな自らラディカルな行動を起こして変革を唱えたんですね。今の日本ではそういうエネルギーが感じられません。70年代に起こったことを通して、現代社会に向き合う若い人たちに新しいエネルギーを与えられるような展覧会ができたらいいなと考えました。

https://www.nippon.com/ja/people/e00067/

nendoさんを超える世代になれるか?

これからの建築家像を考えている。
その考えた先に自分の人生があると思っている。ビジネスには器用になったが正直心をは満たされない、なぜなら虚実だから。(生きるためにやらざるを得ないが)そして付加価値のためのデザインや権威性にも興味が持てない。これも人間の妄想や虚実の話だからである。虚実であることに気が付かずに振る舞えば良いのだろうけれど、気がついてしまうともう踏み出せない、そして戻れない。
だから、建築家というものに縛られたい訳ではないが、ある意味アーキテクトは99%の虚実、そして1%の実の設計者として興味深い、思想の体現者なのである。日本をどうしたいみたいな目線も理解はしているが心が乗るものではない。心の載せ方や寂しさの誤魔化し方としての活動ではなく、自分にとってのけ建築の目線は生殖本能のようなものなのかもしれない、幸せにいき、自然に迷惑をかけず死ぬ、そして少しずつ進化していく、憎しみではなく文化のために、消費のためではなく循環のために、生殖本能のように命を削り出して実世界、仮想世界の意志を持ったもの(=建築)に変えていく。どうしても諦念思想が強いから、デザインにも強く反映されていくる。近代建築とはそこでどうも剃りが合わない。伝統は変革の連続によって生まれるから、伝統を守るのではなく変革するという意志を保ち、挑戦を重ねることに建築に生きることの意義がある。建築家なしの建築家をいかにしてリバイバルするか、ヒントは70年代にあり、そしてテクノロジーにあるはずだ。

まずは誰にも負けずにトップランナーになること、哲学を持ちつつも、自分の大好きなnendoさんをどうやって超克するか?この問いに向かってそこから23歳後半戦っていかねばならない。いつ死ぬのかわからないけれど、やりたいことが実るまではまだまだ長いな

これから走り続ける後期が始まる。残り大学で学べるのは1年半で、手も抜けないし、常に競争的な環境で刺激的だけれど、その刺激に自分が負けないように、世界で勝負できるように。そして身体と大切な人をちゃんと守れるように必死に頑張りたい。
周りに圧倒的にできる人が多くてアアイデンティティを見失いそうになる日々ですが…成長していると信じて。

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