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哲学的アートの解釈と私

最近、私が唯一、哲学的に議論することの出来る友達とアートについて語った。ということで早速、高尚すぎる「アート」について語ってみたいと思う。

アート(英語:Art)とは、芸術・美術など間接的に社会に影響を与え得るものである。

wikiで検索すると、大体こんなもんだ。私がアート及びデザインについて考え始めたのは、某大学に入ることを視野に入れたまだ学生の頃だ。

正直、僕は美しい絵を見てもなんとも思わないし、美しい作品を見ても興味は湧かない。個展も美術館もつまらないと思うのだけれど、これも後で記述する僕の信念に通じているように感じた。

アートの定義とは

僕が思うに、アートの定義はかなり広義なものである。赤ちゃんのお絵かきもアートであるし、私が適当に描いた絵も、ピカソの作った作品もアートである。

数学的に言えば、1+1=0も、1+1=999999も1+1=2もアートなのである。しかし、私たちは1+1=0は頭が悪いとか、1+1=999999はギャグか?と思ってしまう。しかし、それはアートなのだ。

ここで、私の大好きな哲学者、ヴィトゲンシュタインの言葉を借りてみよう

語りえぬものについては、沈黙しなければならない

いつ見ても、なかなか痺れる文章だ。僕も勝手な憶測で語っていることは承知いただきたい。語り得ぬものというのは、人が認識することが不可能なこと、すなわち「命題を提示できない」ことなのだ。

1+1=0や1+1=999999のような多くのアートについては、語り得ぬのだから、理解することすら無理であることを教えてくれる。

小中学生の頃、数学の問題で0=0を導き出してしまったことはないだろうか。まさにそのような虚無もアートには含まれているのだ。だからこそアートは広義なのである。(命題においてはかならず真と偽が存在するが、命題すら提示できない場合を私は虚無と表現した)

そして、そのアートは各個人の主観から生み出されているし、アートに客観性があるとは限らない

これは私のようなプロダクト開発者も肝に銘じておく必要がある事実である。「アート自体には客観性があるとは限らない」

問題提起

しかし、アートが全て虚無なのかといえばそうではない。アートの中にも、命題として提示可能なものが存在している。それを見つけ出すことが、発明であるし革命だとも思う。

先述したとおり、アートは客観性を持つとは限らない。しかし、アートが対称性を持ち、客観的に評価可能になり、命題として定義され、その上で一本の線でつなぎ合わされることがあるのだ。

私はその提示可能な命題のようなアートを本質的なアート・本質と呼んでいる。物事の本質は、圧倒的主観にもかかわらず、誰から見ても同じになる対称性と客観性を持っている。

社会に対して命題を提示できるアートは、語り得るアート、つまり本質的でなければならないと最近思っている。何故ならば、語り得ぬものは沈黙しなければならないのだから。

デザインというプロセス

では、デザインとは何者になってくるのかというのが次なる議論である。私はこの本質論で言えばデザイナーという役割は可能であればすべての人が担うべき役割だと思う。特に物作りであればあるほど。

私は上記にて、アートは客観性を持つ持たないに関わらず主観から生まれる広義な虚無を含む命題の提示であり・本質的アートは提示可能な命題のようなものであると語った。

デザインというのは、虚無を含む広義のアートから本質的アートを抽出し、認知可能な形に具現化するプロセスのことを指していると定義した。

デザインといえば、グラフィックデザインやUIデザインをイメージするだろう。しかし本質はハリボテの見た目からは少し遠い。見た目を構成する、設計図こそがデザインなのだ。

私にとって、グラフィックデザインやUIデザイン、プログラミングなどは全て同じプロセスで、どれもデザインではあるのだが、設計図あってこそ出来る末端のデザインなのだ。

デザインは具現化するプロセスだが、根本にあるのは本質的アートを抽出することであるのだから、プログラミングすることやUIデザインすることは、全体像からみるとあまり重要視はしていない。

超一流のプロダクトを作るためには、全てが一流である必要があることは分かっているので、妥協して良いわけではない。やらない理由には全くならないが、多くの人が本質をおろそかにしているように感じたので述べてみた

私の哲学として、過程より圧倒的結果が重要であり、どのような状況においても手段が目的を超えることはない。これが私の主義思想である。

アーティスト

アーティストが本質的なアートだけに注目しているとは限らない。むしろ虚無までも愛するアーティストが多いだろう。

僕はそんなアーティストがどういう知覚をしているのか、わからないから語り得ぬのだけれど、少なくとも私と議論した素晴らしいアーティストは虚無までを含んでいた。

しかし私は提示できない命題は頭が悪いと感じてしまう。本質的に深みやつながりを伝えるアートには魅力を感じるのだけれど、虚無の部分には全く関心が持てない。

僕は一時期自分のことをアーティストだと思うことがあったけれど、ここまで悟って思ったのは僕はアーティストというより発明家というパラダイムの中で生きる運命にあるんだろうなということだった。

アーティストはより広義に関心を持つ人のことで、発明かは本質的なアートのみを対象に具現化する人といえるだろう。アーティストに具現化は必須ではないだろう。

最後に

ここでまた一つ僕の好きな偉大な哲学者の金言を紹介しておこう。

芸術の唯一の起源は理念の認識であり、芸術の唯一の目標はこの認識の伝達である。
by Arthur Schopenhauer

この一言の深みを読んでくださった皆さんにも感じてもらう為に、今回のnoteはここでおしまいです。

おわり


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