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「もしもの備え」として、震災時の人災に備える2

前回の続きを述べていきます。

前回は、腐敗組織の人災によって、極めて多くの人間が、人災のせいでたくさん死んでしまったという現実を述べました。

今回は、腐敗組織でなくても人災によって死んでいくということを述べます。

防災意識の低下

東日本大震災は、本日で13年の歳月を経ました。

震災後、震災から5年前後ぐらいから言われてきたのが、防災意識の低下です。

防災意識の低下は、日本では日常茶飯事。
昨年末の大晦日を振り返ってください。
所詮はそんなもんです。所詮は。
私にでさえ、濃淡はあったのです。

私にでさえ、です。
29年前からずっと途切れることなく、防災意識を濃くしている私にでさえ、低下ではないにしろ、淡く、薄くなることはあるのです。

人災のジジイだと私の比ではありません。

大震災から16年後

大震災から16年後、というのはいつですか。
本日からちょうど3年後のことですか。
私が何を言いたいのか、わかりますか。

東日本大震災は、阪神淡路大震災の16年後。

大震災から16年経つと、防災意識なんてものは、嫌という程に低下します。嫌という程に。

防災意識が低下してしまった人間なんて、いとも簡単に、人災予備群になってしまうのに。

たかだか数年、たかだか十数年で、嫌という程、大震災を忘れ去った、人災予備群の老害どもが、知ったような口をきくということです。

大川小学校の場合

十数年という歳月は、いとも簡単に、人災予備群を生み出すのです。
阪神淡路大震災の前月に青森地震があったはず。
宮城県石巻市の防災意識の低下は防げたはず。
けれども防げていませんでした。

震災後の歳月によって大川小学校の教頭のような愚物、老害、人災が出たのです。
歳月はいとも簡単に人災を生むからです。

愚かな人災は周囲を道連れに死にます。
大川小学校は、教頭が愚かだったため、教頭ごと死にました。
教員や児童の提案を教頭が却下したからです。

勿論、愚かだったのは教頭だけではありません。
教頭が相談した地元の区長も愚かでした。
区長も教頭も、児童を道連れに死にました。

愚かでなかった教員はいました。
愚かでなかった児童もいました。
けれども、死にました。

大川小学校の教訓は何か

大川小学校の教訓は何か。
防災意識の低下した老害なんて、素人以下であるということです。
腐敗組織の人災問題、だけではありません。

地元の区長が人災でも駄目なんです。
国、県、市の好む「保護者等」や「地域等」でも人災なんて絶対いてはいけないのです。

文科省の好む「校長のリーダーシップ」だとか、「地域との連携」だとかは、校長や自治会長に、人災がいることを想定していません。

腐敗組織内にいても駄目。
腐敗組織外にいても駄目なんです。

では、どうすれば良かったのか。
老害どもを怒鳴りつけて、置き去りにしてでも、裏山に避難するべきであった。
これが大川小学校の教訓です。

こんな心構えまでしないと、「もしもの備え」がどれだけあっても、津波で死ぬことになる。

人災で人は死ぬ。
いとも簡単に人災で人は死ぬ。
人災がいなくても震災で死にますが、人災がいてしまうと、より多くの人が死ぬのです。

#もしもの備え

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