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あなただけが、なにも知らない#20

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 コーヒーの香りで目が覚めた。いつもなら、窓から陽が強く射し込み、当然の様に僕を起こすのに今日はなかった。外は曇っているのかもしれない、そう思った。


 体をゆっくりと起こし乾いた目を擦る。ガラス戸のカーテンは開けられていたが、射し込む陽の光はやっぱり弱弱しく、何処か寂しそうだった。

 キッチンへ行くと、いつも通り南海が朝食の準備をしている。彼女が毎日何時に起きているのか僕は知らない。彼女の隣に並んだ。彼女は背が低い。僕は布巾を手に取り、水で湿らせた。


「おはよう」


「……おはよう」


「寝れた?」


「うん」
 いつも通りの朝だった。


 リビングにある低いテーブルの表面は水で濡らされ、そこに集まってくる光たちを僕は暫く見ていた。
 頬に風を感じ見上げると、彼女が傍に立っていた。

 そして、ゆっくりと笑って僕の目を見て、「今日はハムエッグね」と言って膝を折り、テーブルの上を朝食で飾ってゆく。


「……いつもと一緒だね」と、僕は微笑んだ。

 その後、僕達はいただきますと、ご馳走さま以外、言葉を交わさなかったけれど、心地よい空気に包まれているのを肌で感じた。
 掃除は、いつも通り僕が先に終わった。二人でする毎日の散歩をどうするのか僕には分からなかったけど、なんだか悪いような気がして誘うことが出来なかった。彼女は掃除道具を倉庫に直し、窓越しに僕を見つけると空を指さしこっちへ来いと僕を手招きした。どうしてだろう、僕の心の波紋は止み、それまでの不安な気持ちは、上に違う色を乗せたように安心へと形を変えてゆく。

 いつもの道を歩いた。地面は昨日の雨を吸いきれずにいる。足元の雑草は力強く僕を跳ね返そうとしている。
 上空では、風に煽られて葉から滑り落ちてくる雨水が、空の青さに気づかせてくれた。葉と葉は譲り合い、太陽の光を分け合っていた。その僅かな隙間から漏れる光を地面の雑草は緩い風を使って奪い合っている。その不釣り合いな映像に僕は息を呑んだ。


 僕は、いつも通りを意識して歩いた。彼女の後ろを歩き、彼女が見るものに視線を向けた。そうする事で、心から這い出ようとする不安を忘れようとしていた。もしかすると彼女も何かを忘れようとしているのかもしれない、そう思った。

 途中で二手に分岐しているいつもの道に差し掛かった。


「今日は、こっちに行こう」
 彼女は小さく微笑んだ。

 いつもの左側の道が、なぜだか心配そうに僕を覗いているように思えた。
 反対の道は歩きにくかった。道幅は狭く、人とすれ違うには互いの体を横にして肩が当たらないように注意しなければいけない程の細い道。草に囲まれた道は、人が殆ど通らない事を思わせた。

 彼女は、この島にいつから、どのくらい長く住んでいるのだろう、そんな事を考えていた。

 無言で進む彼女が、突然立ち止まると僕の方へ振り向いた。


「この道、覚えてる?」
 僕は何も言わなかった。何も思い出せない。


「覚えてないか」と言った彼女が、少し寂しそうに見えた。


 そしてまた、南海は前を向いて歩き始めた。休憩はなかったけど、少し肌寒かったから丁度よかった。
 僕達が歩いている小道は光が届きづらく、泥濘んでいる。地面に生える此処の草達は、太陽を奪い合うことはせず、静かに何かを待っているようだ。
 水の流れる音が聞こえる。その小さな水の音が、汗ばんだ僕の体を更に冷やした。地面に横たわる樹々の上には柔らかそうな苔が出来ている。昨日の雨のせいで湿気が多い筈なのに、不思議と不快な気持ちにはならなかった。

 彼女の歩みに迷いはなかった。僕は、ただ彼女の背中に付いて行くだけだった。

 まっすぐな道。

 足元の悪い道。

 忘れ去った……細い道。


 彼女を通り越して来た風が、これ以上近くに来るなというように僕を押さえつける。

 背を向けたまま振り返る彼女は、朝陽が眩し過ぎてぼやけて映り、その光の隙間から微かに見えた南海は、両手を広げ僕を見ていた。


「着いたよ」
 そう言ったのかもしれない。僕には、よく聞こえなかった。


 線を引くように足元の色が横に分かれている。粘りつくような茶褐色の土と、白と黒と黄色を混ぜたような色の砂。太陽の光が降り注ぎ、足元の砂を乾かしている。風を遮る壁はなく、やさしく湿った風が、彼女の髪をそっと撫でていた。

 目の前の青は僕の近くで白く泡立ち、遠くの青は空の青と混ざり合う。大きさも見た目も違う雲達が、同じ方向に進んでいる。見たことのある風景。ただの流木に懐かしさを感じ、遠くにある崖に違和感を覚えた。僕は時間の流れを思い、孤独を隠すように両手をズボンのポケットに入れた。

 海からの風が僕を追い払おうと吹き付けてくる。強い陽射しが僕を森の中へ帰そうとしていた。


「……ここは、あの絵の……」
 僕は海と空が一直線に横へ広がる境界を見ていた。


「そう。ここよ。私が書いている絵はこの場所なの」
 彼女は短い腕をいっぱいに広げている。


 黙っている僕の胸に痛みが走る。また何かが込み上げて来るような気がした。


「……でも、でもこの場所は、僕の母さんが、君の母さんを殺した場所……」


「違うわ!」


「……場所だよ」


「違うわ!!」
 もう一度言った彼女は、優しい風に包まれながら小さく寄せる波に視線を向けて言った。

 ……つづく。by masato

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