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距離を出して捉え直す、掴めない自分と分からないままの世界

「Salut, comment ça va?」

外国語レッスンのときにしか起動しないSkypeに連絡が入って、おや?と思うとフランス語の先生からだった。
「元気?今何してる?」「動画見てたよ」「いいね、どんなの?」「これ」「君は本当に日記が好きなんだね!」
不安なところは辞書アプリを使いながら、短いやりとりが続く。ずいぶんフランス語でもできることが増えた。

先生は「ふと時間ができたから送ってみた」とのことだけど、こういう連絡がとても嬉しい。

以前もしばらくレッスンを受けられない間に「フランス語ちゃんとやってる?」と連絡をくれたことがあった。
先生としては「レッスンまた受けてほしい」ってことなんだろうと思うけれど、今の自分とは離れた場所で、普段使ってない言語で連絡が来るということ自体が面白い。学習をしていないと起こらないことだからだ。

翻って日常のわたしといえば、毎日毎日、紙やらパソコンやらに何かを大量に記録している。量にも内容にも変動はあるけれど、自分が気が済むまでやってみようと決めたら、どんどん増えてきている。寝ている時でも枕元にノートを置いているし、どこにいても必ず手元にノートがある。

STALOGY 365デイズノート

外国語(英語・フランス語)でもたびたび書く。
言語を変えるときは思考が迷ったときが多い。「本当に自分はこう思っているのか?」と疑問に思ったときに補助的に使う。自分の気持ちは把握したつもりで日本語で書いて、さあと英語で書き出した一行目から「私は悲しい!こんなのは違う!」みたいに抑圧していた本音が出たりして、書いた自分がびっくりすることがある。

どうやらわたしは母語の日本語とは距離がある外国語を使って、普段の自分では掴めない自分の感情を捉えようとしているらしい。これもここ数年でわかってきたことだ。


先月末はぐるるのワークショップに参加して、自分のストーリーを英語で語ったり、みんなのストーリーを聞いたりした。

このイベントではTCKs(サードカルチャーキッズ、両親とは異なる文化と言語の中で育つ子どもたち)の方も多く集まっていた。わたしは日本生まれ日本育ち、母語も生活で使う言語も日本語、TCKsには該当しない。だけど自分らしく生きるために外国語を使う必要がある、というちょっと変わった立場から話をした。

外国語で自分を探そうとしているなんて面白い!というリアクションをもらえて、すごく嬉しく、ほっこりして帰った。(イベント自体のレポートはまた別に、じっくりと。)

こうやって人に話すこともまた、距離を出すことだなあ、と思う。

距離があると、今まで見えなかったことが見えたりする。絵だって、近くで見続けたらバランスの崩れたところが見えない。離れて見る時間が必要なのだ。

記していけばかならず積み重なっていくノートもまた、過去との距離を正確に作ってくれる。
わたしはノートの断面を見て「こんなに書いた〜」と実感することが好きだ。自分が記録してきたものが残っているし、昨日悩んでいたことは昨日の括りにある。今日はその悩みを取り扱わなくてもいいし、取り扱ってもいい、という選択の自由を与えられたような気持ちになる。

これが記録せずに頭の中においたままだと、時系列もジャンルも言語も混ざってしまったままで、取り扱えない恐ろしく巨大なものに感じてきてしまう。


そういえば、とある人に心の平穏のためにノートをいっぱい書いていると話したら「自分自身が離れていかないようにしていて偉いですね」と言われた。

そうか、そのためにノートを書いているのか、とはっとした。鋭いコメントが嬉しかった。
というのもわたしは日頃、現実感があまりない。離人感的な感覚がとても強くて、自分の体の場所にあまり自分がいない。説明しようとすると奇妙なことだけれど。ノートも書いたそばから「あー自分はこんなことを思っているのかな」みたいな他人事のようなテンションで見ているところがある。

このnoteも、以前執拗に更新していた時期があった。
きっと自分自身が離れていかないように書いていたのだと思う。今のこれもそうだろう。そうして今のこれが過去になったら、過去と今の距離を出してくれて、きっとまたわたしを助けてくれる。


ずいぶん長い迷いの森の中にいて、なぜ自分が作ろうとするのかは相変わらずよくわからない。けれど、その理由はわからないものなのかもしれない。納得したがるわたしの脳みそをすっきりさせるのも大事だけど、わからないままでも楽しいならそのままだっていいのだろう。

20歳のときの絵が手元にある。当時よく使っていた自画像をここにも描いている。頭から双葉が生えたロボット。

年末年始に実家でもらった、わたしが乳児のときの写真。

誰かが作って残してくれたから今見ることができる。自分の作ったものも含めて。

その時は価値が分からないかもしれないものでも、時間の距離ができたらまた変わるかもしれない。自分だけの距離感で考えていたらつまらない。そう思って作ってみればいい。
自分には見出せない距離を、誰かが見つけてくれることもある。外国語のように離れたものだから自分がはっきりとすることがあるように。

世界にはいろんな距離感があるのだろう、自分の中だけで全部作って正解を求めなくていい。そうやってもう少し気楽に作る生活を楽しみたい。

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