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共産党員の修養を論ず 第二章 マルクスとレーニンのよき学生となろう 【日本語訳】

この日本語訳は筆者による拙訳であり、正確性を保証するものではありません。ご理解の上でご覧になってください。

二 マルクスとレーニンのよき学生となろう

    党規約の規定によれば、党綱領、党規約を承認し、党費を納め、党の組織にあって一定の工作を負担した者は、党員になることができる。これら条件を備えない者は、共産党の党員になることができない。しかし、我々すべての共産党員は、単にぎりぎり及第点な党員であるべきではなく、党規約の規定と照らしあわせて進歩を求め、絶えず自己の覚悟の程度を高め、マルクス・レーニン主義を学ぶ努力をするべきである。偉大なるマルクス・レーニン主義創始人の一生の言行、事業と品質によって、我々の鍛錬と修養の模範とするべきである。
  
  エンゲルスはマルクスを論じるにあたって、このように述べている。

 「マルクスはまず革命家であった。何らかの方式で資本主義社会及び其のうちたてた国家制度を覆す事業に参加し、参加することで初めて自己の地位と要求に意識を向け、自身を解放する条件の現代プロレタリア階級の解放事業に意識を向けるーーこれが実際の彼の生涯の使命であった。闘争は、彼にとって思い通りの事であった。彼は闘争を熱烈に、頑強に、卓越し実りあるよう進め、これは滅多に見られるものではない。」 また言うことには、「我々の中に誰一人として、マルクスのように先見の明があり、迅速に行動を起こすべきとき、常に正確な決定を下し、正鵠を得るものはいない。」 

  スターリンはかつて、我々がレーニンの模範を学習すべきであると論じたとき、このように述べた。

  「我々の導師、我々の領袖イリイチ(=レーニン)を、記憶し、敬愛し、学習しなければならない。イリイチのように国内外の敵に反対し、戦い勝たねばならない。イリイチのように新生活、新風俗と新文化を建設しなければならない。大事は小事の蓄積によるものなのだから、小事だからといって仕事を拒んではならない。ーーこれは、イリイチの重要な遺訓の一つである。」

  スターリンはまたこのように述べた。「選民、人民は、自己の代表に終始有能に自己の任務を果たすように、彼ら自身の工作の中で政治上の庸人にならぬように、彼らが常にふさわしいレーニン式政治活動家であるように、彼らがレーニンのような明朗で確定的な活動になるように、彼らがレーニンのように戦闘中に恐れを知らず、人民の敵に対して容赦しないように、彼らが事情が複雑になり始め、地平線上から何らかの危険が出現したとき、慌てふためいたり、また驚き慌てるような気配を見せず、レーニンのように全く動じる様子を見せないように、彼らに複雑な問題を解決するとき、全面的に方針を確定させることを必要とするとき、ある事情の長短を全面的に考慮するとき、またレーニンのように英明で寛容であるように、彼らにレーニンのように誠実で正直であるように、彼らにレーニンのように自己の人民を愛するように、要求するべきである。」

  これは、エンゲルスのマルクスに対する、スターリンのレーニンに対する、簡単な叙述である。我々すべての共産党員は、マルクスとレーニンの思想と品質を学習し、マルクスとレーニンの良き学生となるべきである。

  マルクス・レーニン主義創始人のような偉大で天才な革命家の思想と品質は、学び取れるもとではなく、自己の思想と品質をマルクス・レーニン主義創始人の思想と品質まで高度に高めたとしても、不可能だと言う者がある。彼らはマルクス・レーニン主義創始人を天生の神秘的人物であるととらえている。この見解は正しいだろうか?私は正しくないと考える。

  我々普通の同志は、今日、マルクス・レーニン主義創始人のような高い天才、博識な科学的知識からはほど遠く、我々の大多数がプロレタリア階級革命理論の方面において、彼らのような高度な深遠さと該博さに到達できない。しかし、我々の同志が真に決心し、真に自覚し最後までプロレタリア階級先鋒戦士の持ち場に立ち、真に共産主義的世界観を具有し、終始目下のプロレタリア階級と一切の労働群衆の偉大かつ深刻な革命運動から離脱することなく、努めて学習、鍛錬、修養するならば、マルクス・レーニン主義の理論と方法を掌握し、工作と闘争の中でマルクスとレーニンの作風を培い、自己の革命品質を不断に高め、マルクス式、レーニン式の政治家になることは、完全に可能である。

  『人皆以て尭舜となるべし』ーー『孟子』に、このような言葉がある。私はこれは悪くない文句だと思う。すべての共産党員は、実地を踏み、事実に即して是を求め、鍛錬に努め、まじめに修養し、可能な範囲で少しづつ自己の思想と資質を高めていくようにし、マルクス・レーニン主義創始人のように偉大な革命家の思想や資質にばかり目を向けて、それが実現不可能だと思い、自暴自棄になり、前に進むこと恐れるようになってはならない。もしこうなってしまえば、「政治上の庸人」に、彫ることのできない「朽木」に、成り果ててしまう。

  当然、マルクス・レーニン主義創始人の資質を学習し、マルクス・レーニン主義を学習し、正確な態度を取るべきである。さもなくば、よく学習できず、学びとることが出来ない。事実、我々の隊伍の中でも、この種の学習に対して、いくつかの異なった態度を取るものがある。

  ひとつには、マルクス、レーニンを学習しても、マルクス・レーニン主義の本質を学ぶことはできず、それは上っ面だけのマルクス・レーニン主義という言葉に過ぎないというものである。彼らはマルクス・レーニン主義の書籍を読んではいるものの、書籍の中のマルクスの原理と結論を行動の指南とし、生きた具体的、実際的な問題にそれを運用することができていない。彼らは、個別的な原理と結論を暗唱して満足し、甚だしきに至っては真正なるマルクス・レーニン主義者を気取るが、彼らは決して真のマルクス・レーニン主義者ではなく、彼らの活動方法はマルクス・レーニン主義と完全に相反するものである。

  この種の人物は、かつて中国共産党内で少なからずいた。過去のある一時期、いささかの教条主義の代表者は、上述した情形より更に酷かった。この種の人物は、根本的にはマルクス・レーニン主義を理解しておらず、マルクス・レーニン主義的な用語をでたらめに述べ、自らを「中国のマルクス、レーニン」であると勘違いし、マルクス、レーニンの姿を装って党内に現れ、そして恥も知らずに我々の党員に自己をマルクス、レーニンと同じように尊重し、「領袖」と擁護し、忠心と熱情をもって報いるよう要求した。また彼は、別人から推挙されることなく自己を「領袖」であると封じ、自ら責任ある位置にのぼり、党内で家長式に命令を下し、我々の党に教訓しようと企図し、党内の一切を罵倒し、我々の党員を身勝手に打撃し、処罰し、操ろうとする。この種の人物はマルクス・レーニン主義を誠実に学習せず、共産主義の実現のための闘争にも誠実でなく、党内の日和見分子であり、共産主義運動の中の害虫である。この種の人物は党内にあっては、最終的に党員群衆からの反対にあい、暴露され、破棄されても、全く疑問はない。我々の党員もまた、果然彼らを破棄する。しかし、我々は完全な自信を持って、我々の党内にこれより再びこの種の人物が現れないと言い切れるだろうか?我々はまだそうは言えない。

  またある人物は、先に述べた人物とは完全に相反する。彼らはまず先に自己をマルクス・レーニン主義創始人の学生であると看做し、彼らは真剣にマルクス・レーニン主義の理論と方法を学習し、マルクス・レーニン主義の精神と実質を学習する。彼らはこれらの創始人の偉大な人格とプロレタリア階級革命家の資質を仰望し、革命闘争の中にあって真剣に自我の修養を進め、自己の物事、人、自己への対処がマルクス・レーニン主義の精神に符合しているか否かを確認する。彼らはマルクス・レーニン主義の書籍を熟読し、同時に生活の現実の調査と分析に重点を置きつつ、自己のあるところの時代と本国のプロレタリア階級の情勢の特徴を研究し、マルクス・レーニン主義の普遍真理を本国革命の具体実践と結びつける。彼らはマルクス・レーニン主義の原理と結論を暗唱して満足せず、マルクス・レーニン主義の堅固な立場の上に立って、マルクス・レーニン主義の方法を掌握し、身をもって実行し、活発に一切の革命闘争を指導し、現実を改造し、同時に彼ら自身を改造する。彼らの一切の活動は、すべてマルクス・レーニン主義一般原理の指導を受けており、すべてプロレタリア階級事業の勝利、民族的、人類的解放、共産主義の成功のためであり、その他の目的はない。

  この種の人物の態度こそが、正確な態度である。このような態度でマルクス・レーニン主義を学習し、マルクス・レーニン主義創始人の品質を学習してこそ、自己をマルクス・レーニン式、プロレタリア階級的、共産主義的な革命家となることができる。
  
  真正に苦を刻んで修養し、忠実にマルクス・レーニン主義創始人の学生となる者が、特別に注意するのは、マルクス・レーニン主義創始人のように、マルクス・レーニン主義の立場に立ち、マルクス・レーニン主義の観点と方法を用いて、プロレタリア階級の領導する所の革命運動の中の各種問題を解決することである。これを除いては、彼は決して自己の党内における地位と名誉の高低にこだわらず、絶対にマルクス、レーニンを自任することなく、絶対に人々が、マルクス、レーニンを尊重するように自己を尊重することを要求し、或いはそのような幻想を抱くことなく、彼は自己にこのような権利がないことを認識している。而して、彼がこのように為したから、彼が革命闘争の中にあって終始正直で忠誠で、勇敢で強固で、そのうえ卓越した能力を表現したからこそ、彼は党員群衆から自覚的に尊重と擁護を受けたのである。

  我々がマルクス・レーニン主義創始人をもって我々の模範として学習し、彼らの最も忠実で最もよき学生となることは、当然容易ではない。

  しかし、我々が共産主義事業のための懸命なる奮闘の堅固な意志と決心を持ち、偉大なる群衆革命闘争の中にあってマルクス・レーニン主義を刻苦に学習し、経験において善く総括し、各方面の鍛錬と修養を進め、プロレタリア階級共産主義事業のために生涯奮闘しさえすれば、我々はマルクス・レーニン主義創始人の最も忠実で最もよき学生となることができる。

(「第三章 共産党員の修養と群衆の革命実践」 につづく)

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