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共産党員の修養を論ず 第五章 共産主義事業は人類歴史上空前の偉大かつ困難な事業である【日本語訳】

この日本語訳は筆者による拙訳であり、正確性を保証するものではありません。ご理解の上でご覧になってください。

  これより継続して共産党員の思想意識上の修養を講ずる。

  我々の思想意識上の修養とは、一体どんな事であろうか?私は、これの基本は、すべての党員がプロレタリア階級の思想意識を用いて自己の各種非プロレタリア階級思想意識との闘争を進めることであり、共産主義的世界観を用いて自己の各種非共産主義的世界観との闘争を進めることであり、プロレタリア階級の、人民の、党の利益が何よりも高位にあるという一切の原則を用いて、自己の個人主義思想と闘争を進めることであると考える。

  上述した闘争は一種の思想上の矛盾の闘争であり、これは、社会階級闘争の反映である。この種の闘争の結局は、我々党員から言わせれば、プロレタリア階級意識で、その他各種の非プロレタリア階級的意識を克服し、更には粛清し、共産主義的世界観で、その他各種非共産主義的世界観を克服、更には粛清し、党の、革命の、プロレタリア階級と人類解放の一般利益と目的の思想で、個人主義的思想を克服、粛清することであるべきである。もし結局がこのようにならないのなら、後者が前者を圧倒し、その末落後し、共産党員の資格を失うまでに至る。これは我々党員から言わせれば、一種の恐ろしい危険な結局である。

  我々共産党人は、党内党外の各種闘争の中にあって自己の思想を鍛錬し、常に革命実践の経験を総括、吸収し、事故の思想がマルクス・レーニン主義と完全に適合するか否か、プロレタリア階級解放闘争の利益が完全に適合するか否かを検討する。この種の学習、反省と自我の検討の中で、自己の一切の不正確な思想残余から、共産主義利益に不適合な最も微弱な萌芽に至るまで、粛清する。

  諸君はみな、人の言論行動が、すべてその人の思想意識から指導され行われることを知っている。そして、人の思想意識はまた常々、彼の世界観と不可分である。我々共産党員の世界観は、ただ共産主義的な世界観でしかありえない。この種の世界観はプロレタリア階級の思想体系であり、またすなわち我々共産党人の方法論である。これはマルクス・レーニン主義の文献上にあって、特にマルクス・レーニン主義創始人の哲学著作の上で已に多くが講じられており、諸君もまた学習したであろうから、今日は話さないこととする。私はここで、我々の事業ーー共産主義事業は詰まるところ何の事であるか、我々党員は詰まるところ、どうやって我々の事業を進めるかについて、端的にのみ講ずる。

  我々共産党員の最も基本的な責任は何であろうか?それは共産主義を実現しなければならないということである。各国共産党にとっては、すなわち各国共産党と各国人民自己の手で、自己の国家を改造し、一歩一歩、世界を共産主義的世界へと改造していくことである。共産主義世界は好いものであろうか悪いものであろうか?皆が知るように、それは好いものである。その種の世界の中では、搾取者、圧迫者はおらず、地主、資本家はおらず、帝国主義者とファシスト等はおらず、圧迫を受け、搾取を受ける人も、またおらず、搾取制度が暗黒、愚昧、落後等もない。その種の社会の中では、物質生産と精神生産はどちらも凄まじく盛んに発展し、あらゆる社会の構成員の各方面の需要を充分に満足させられる。その時、人類はみな高等な文化程度と技術水準を持った、大公無私の、聡明な共産主義労働者となり、人類の中がこのような相互幇助、相互親愛に満ち溢れ、欺瞞や互いに損害を出し合い、互いに殺し合い、戦争をする等々の不合理な事をするおそれはなくなる。その種の社会は、当然、人類歴史上最も好く、最も美麗で、最も進歩的な社会である。誰がこのような社会を好くないと言い切れるだろうか?そうであるならば、このような好い共産主義社会は実現できるだろうか?我々は、これが実現できる、必然的に実現できるという。この一点に関しては、マルクス・レーニン主義の理論は、すでに懐疑的になることのできない科学的な説明をしている。偉大なる十月革命の勝利は、ソ連社会主義建設を成功させ、我々に事実上の証明を与えた。我々の責任は、人類社会の発展の規律に従って、社会主義と共産主義事業の不断の前進を推進し、社会主義と共産主義社会を更に早く実現させることである。これがつまり我々の理想である。

  ただし、社会主義と共産主義事業の前面には未だ強大な敵が立っており、社会主義と共産主義社会は、徹底的に、最終的に各方面でこれら強敵に必ず戦い勝ってこそ実現される。共産主義事業の勝利は、一つの長期的、難苦的闘争過程を経過する必要がある。この種の闘争がなければ、共産主義事業の勝利もない。当然、この種の闘争は一部の言う所の何か「偶然的」な社会現象ではなく、とある共産党人が制造し出した所の事件である。むしろ、階級社会の発展の必然現象であり、避けることのできない階級闘争である。共産党が産み出し、共産党人が参加、組織及び指導するこの種の闘争もまた、社会発展中の必然的な、規律に適った現象である。帝国主義、ファシスト、資本家と地主、つまり、一切の搾取者と圧迫者は、世界上の絶大なる多数の人を生存ができなくなる境地まで搾取、圧迫し、被搾取被圧迫の人民群衆は、連合しこの種の搾取と圧迫の反抗しなければ、生存できず、発展できない。したがって、この種の闘争は他ならぬ完全に自然な、避けることのできないものである。

  一方面では、我々は了解しなければならない、共産主義事業は人類歴史上空前の偉大なる事業であり、共産主義は搾取を最終的に消滅させ、階級を消滅させ、全人類を解放し、人類社会を空前未有の、無限光明の、無限美妙の幸福の境地へと進めなければならない。もう一方面では、我々は了解すべきである、共産主義事業は人類歴史上空前の困難な事業であり、長期の、難苦の、曲折した闘争を経てこそ、最も強大な敵に戦い勝ち、一切の搾取階級に戦い勝つことができ、勝利を取り得た後に、さらに長期に、辛抱強く、社会経済の改造と思想文化の改造を進めてようやく、人民の中にある搾取階級の一切の影響と伝統習慣等を粛清し、かつ新たな社会経済制度と、新たな共産主義的文化と社会道徳をうち建てることができる。

  共産党はプロレタリア階級に依り、広大な被搾取被圧迫の人民大衆に依り、マルクス・レーニン主義を用いて広大な群衆の革命闘争の進行を指導し、社会を共産主義の偉大な目標に向かって前進させることで、必ず最後の勝利を得ることができる。人類社会の発展の歴史的規律であるため、必然的に共産主義者会へと向かい、世界のプロレタリア階級とその他非搾取被圧迫の人民大衆の中に、偉大なる革命の力量を温存し、この種の力量の発動、団結と組織によって、一切の搾取階級と帝国主義反動勢力に戦い勝つことができ、共産党とプロレタリア階級は、まさに今産み出されまさに今発展する新事物であり、かつまさに今、産み出され、まさに今発展する新事物は、打ち負かすことができないからである。中国共産党の全部の歴史は、世界共産主義運動の全部の歴史であり、この点はすでに十分に証明されている。目下の情勢から言えば、社会主義はすでに世界の六分の一の地面の上にある——ソヴィエトは偉大な勝利を勝ち取り、許多の国家の中にはマルクス・レーニン主義理論で武装した戦闘的共産党が組織されており、全世界の共産主義運動は今まさに迅速に生長し発展する過程の中にあり、世界プロレタリア階級とその他被搾取被圧迫の人民大衆の力量もまた、不断の闘争の中で迅速に発動し団結しつつある。現在、共産主義運動はすでに全世界で、雄偉で打ち負かすことのできない力量となっている。共産主義事業は、継続的に発展させ、継続的に前進させなければならず、最後の完全的な勝利をつかみ取ることに、少しも疑問がない。しかるに、我々は了解しなければならない、国際反動勢力と搾取階級の力量は、今日いまだ我々よりも強大で、彼らは許多の方面で暫時優勢を保っており、我々がこれに戦い勝とうとするなら、長期的な、曲折的な、困難な闘争過程を経なければならないことを。

  数千年来の生産資料私有制社会の中で、搾取階級による人類の統治の結果、搾取階級は自己に各方面の極大な権力を与え、世界上の一切を独占した。彼らの長期の統治は、人類社会中に長期に存在する各種の落後、愚昧、私利私欲、騙し合い、相互の損害、相互の惨殺等の現象を造成し、被搾取階級の群衆と社会中の人々に極めて悪しき影響をもたらした。これは、搾取階級が彼らの階級利益と階級統治を維持するために形成された必然的な結果である。なぜならば、非搾取階級群衆と植民地民族の落後、散漫と分裂なくして、搾取階級の統治の地位は維持できないからである。したがって、我々はっ勝利をつかみ取るため、搾取階級と厳重な闘争を進めるのみならず、搾取階級の群衆中の長期的につくられた影響、群衆中の落後意識、落後現象とも闘争を進めてこそ、群衆の覚悟を引き上げ、広大な群衆を団結させ搾取階級に戦い勝たなければならない。我々が共産主義事業を実現する過程の中の困難はここにある。同志諸君!仮にある種の人が考えるように、群衆がみな覚悟し、団結し、群衆の中に搾取階級の影響と落後現象が存在しないならば、革命には、他にどのような困難があろうか?

この種の搾取階級の影響は、革命勝利以前にも存在するのみならず、革命の勝利以後、被搾取階級が搾取階級を支配的地位から覆してからの長期の内も、なお存在する。考えてみてほしい、搾取階級及びそれの人民の中の影響に最後の勝利をおさめ、全人類を解放、改造し、千百万の小商品生産者を改造し、階級を最終的に消滅させ、数千年来の階級社会の中の生活で各種旧習慣、旧伝統の影響を受けた人類を徐々に改造し、高等な文化水準と技術水準を持った、聡明で、大公無私な、共産主義的人類に向上させるには、この過程にどれほどの紆余曲折を経、どれほど多くの困難な工作と闘争を経なければならないかを!

  レーニンは以下のように述べている。
「階級の消滅とは、何も地主と資本家を駆逐することだけを意味するのではない、ーーこれは、我々にとって比較的容易なこととなった、ーーなおかつ、小商品生産者を消滅させることを意味するが、この種の人については、駆逐することができず、鎮圧もできず、彼らとは和睦しなければならない。彼らを改造し、彼らを再教育するべきであるし、そうしなければならない。これは長期を通して、とてもゆっくりと、とても穏便な組織工作であってこそ、成し遂げることができる。彼らは小ブルジョワ階級の自発的勢力を用いて、各方面からプロレタリア階級を包囲し、プロレタリア階級に浸透し、プロレタリア階級を腐蝕させ、しばしば、小ブルジョワ階級の臆病さ、散漫さ、個人主義、狂熱から落胆に転じる等の旧病を、プロレタリア階級内部に再発させる。プロレタリア階級政党の内部は、極めて厳格な集中制と極めて厳格な紀律を実行してこそ、この種の劣悪な影響を制限し、プロレタリア階級の正確な、有効な、勝利の自己組織作用を発揮することができる(これがその主要な作用である)。……千百万人の習慣的な勢力は最も恐ろしい勢力である。……集中的な大ブルジョワ階級に打ち勝つことは、千百万人の小業主に"打ち勝つ"ことよりも千百倍も容易である。そして、これら小業主の彼らの日常的な、細心の、見えず、探り当てられない腐敗活動が、ブルジョワ階級に必要なものを作り出し、ブルジョワ階級の復権という最悪の結果をもたらす。」

  レーニンは、またこのように述べている。
「ブルジョワ階級の反抗は、自己が打倒されるのであるから(たとえそれが一つの国家の内であったとしても)、十倍凶猛となる。それの強大さは、国際資本の力量、それの各種国際連繋の牢固たる力だけでなく、習慣的な力量、小生産の力量にもある。なぜならば、残念ながら、現在の世界上には未だ多くの多くの小生産があり、小生産は常に、毎日毎時間、自発的に、大量に資本主義とブルジョワ階級を産み出しているからである。この一切の原因から、プロレタリア階級の専制は必要であり、長期で、頑強で、全力で、決死の戦争をせずして、たゆみない、紀律厳明な、強靭で強固で意志が統一された戦争がなくして、ブルジョワ階級に打ち勝つことはできない。」

  ここから見るに、プロレタリア階級は革命勝利の以後もなお、極めて困難な任務を解決する必要がある。プロレタリア階級革命と、過去の歴史上の一切の革命は異なるものである。例えばブルジョワ階級の革命は、通常政権の獲得によって完成する。しかしプロレタリア階級にとって、政治上で解放を獲得し、勝利を獲得することは、まだ革命の開始に過ぎず、極めて大きな工作は革命勝利以後に、政権の獲得以後にある。共産主義事業は、我々が言う所の「百年大業」であり、決して「一朝一夕」のものではない。共産主義は各種不同の国家にあって、各種不同の階級を通じ、各種不同の敵に戦い勝ち、最終的に共産主義社会へと漸進的に到達することができる。例えば我々の中国は、現在まだブルジョワ階級民主革命の段階にあり、その敵は中国を侵略する帝国主義及び帝国主義と結びついた封建買弁の勢力である。これらの敵に必ず戦勝してこそ、我が国のブルジョワ階級民主革命を完成させるに足る。ブルジョワ階級民主革命の勝利以後、さらに社会主義革命を進行しなければならなず、社会主義改造と社会主義建設の工作を長期間に渡って進行しなければならない。そうして初めて、共産主義社会への漸進的な移行が行える。共産主義の実現が、我々共産党人の奮闘の最終目標である以上、共産主義事業の実現の過程の中で各種の困難を克服することは、共産党人の自然な責任である。

  正に共産主義事業はこのような偉大かつ困難な事業であるから、したがって今に至ってもまだ社会の進歩を追求する者にも、共産主義に懐疑的で、共産主義の実現を信じない者があるのである。彼らは人類がプロレタリア階級とその政党の領導の下で、人類が発展と改造によって高度で純潔な共産主義的人類に成るに足り、革命と建設の過程の中で一連の困難を克服するに足ることを信じていない。彼らは、或いはこの種の困難を予想していないか、或いは実際に困難な時候にいたったとき、悲観し失望し、共産党員の中にはこれを理由に共産主義の隊伍より動揺して出ていくものまでいた。

  我々共産党員は、最も偉大な気迫と革命の決心を持つべきである。全ての党員は、愉快かつ厳粛に自己の決心を定め、共産主義の実現という、この種の人類歴史上空前の偉大かつ困難な任務を担うべきである。我々は共産主義事業の実現の過程の中の困難を清楚に見てとり、同時に、我々はこの種の困難が必ずしや千百万群衆の革命の発動によって完全に克服されることを清楚に了解し、困難に怯えることがない。我々は頼るべき広大なる人民群衆が有り、我々のこの一代で共産主義事業の中の一段の大工程を完成させるという信心が完全に有り、同時に我々の後代がこの偉大なる事業の全部の工程を完満に完成させるに足ることを相信ずる。我々共産党員のこの種の偉大なる心持ちと気迫は、人類の過去の歴史上の如何なる階級の英雄豪傑でも持ちえない物である。この一点の上において、我々は完全に誇って良いといえる。

  私は西欧のとあるブルジョワ階級伝記作家がソ連へ行き、スターリン同志と歴史人物の比較の問題について談じたことを記憶している。スターリン同志は当時こう述べた。「レーニンは大海に好く比し、ピョートル大帝は大海の中の一滴に過ぎない。」と。これはすなわちプロレタリア階級共産主義事業の中の領袖と、地主階級、新興商人階級事業の中の領袖の、歴史地位の上での比較である。この比較の中より我々は、共産主義と人類解放事業の成功へと奮闘する領袖は、この様に偉大であり、搾取階級事業へと奮闘する領袖は、あの様に取るに足らない、ということを、了解することができる。

  我々共産党員は、最も偉大なる理想、最も偉大なる奮闘の目標を持たなければならず、また実事求是の精神と最も切実な実際の工作をしなければならない。これが我々共産党員の特点である。もし偉大かつ高尚な理想があり、しかし実事求是の精神と切実な実際の工作がないならば、それは一個の好い共産党員ではなく、それはただの空想家、空談家或いは学究である。かえって、もし実際の工作のみで、偉大かつ高尚なる共産主義の理想がないのならば、それもまた好い共産党員ではなく、むしろ凡庸なる杓子定規主義者である。偉大かつ高尚なる共産主義の理想と切実な実際の工作によって、実事求是の精神を統一せしめて、はじめて一個の好き共産党員となることができる。これはすなわち我々の党の領袖毛沢東同志が常に強調している好き共産党員たる標準である。

  共産主義の理想は美麗であり、しかし今日の資本主義世界の現実は醜悪である。正に醜悪であるがゆえに、絶大多数の人々がそれの改造を要求し、それを改造しないことはできない。我々は世界を改造し、現実から離れられず、現実を顧みぬことはできず、更に現実から逃避することはできず、また醜悪なる現実に投降することができない。我々は現実を正視し、現実を認識し、現実の中にあって生存と発展を求め、醜悪なる現実に向かって闘争し、現実を改造し、徐々に我々の理想に到達させる。従って、共産党員は眼前の環境、眼前の接触する所の人々、眼前の進行することができる工作より、我々の世界の共産主義事業の偉大なる工作を開始し、開闢すべきである。ここにあって、我々は某種の青年同志が常々犯す一種の悪習、すなわち彼らが総じて現実を逃避し或いは現実を顧みないという悪習を批評するべきである。彼らは高尚な理想を持っており、これは好いことである。しかし、彼らは常々ここは好くない、あそこは好くない、この種の工作は好くない、あの種の工作もまた好くないと考えている。彼らは、彼らの「理想」に見合う地方と工作を探し、以て彼らの「世界の改造」が順調になるように、と総じて考えている。しかしながら、この種の地方と工作は存在しない。これはただの彼らの空想である。

  共産主義事業は、我々の終身の事業である。我々の終身の一切の活動は、すべてこの事業のため、その上、別の何かの為ではない。

(「第六章 党員個人の利益は無条件に党の利益に服従する」につづく)

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