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『光る君へ』10話 千年前、逢瀬の後で二人が詠んだ和歌を紹介します。

逢瀬の後で、藤原道長、紫式部の二人が実際に詠んだ自作の和歌が、今に伝わっているので後ほどご紹介します。

さて、「光る君へ」第10話でついに心身ともに結ばれたまひろと道長。
衝撃的に感動的な回でした。

道長は後ろからまひろを抱きしめ……
キスを交わす

本当に素敵な場面で、胸がときめきました。

このバックハグ&キスの場面を見ていて思い出したことがあります。
映画「愛と青春の旅立ち」のこの場面です。

海軍士官に任官したリチャード・ギアが後ろから彼女に近づき……
キスを交わす

少尉に任官して海軍士官の白い制服に身をつつんだリチャード・ギア、かっこよかったなあ。
憧れました。僕もこんな立派な格好いい男になって素敵な恋をしたい。

しかしその後この映画のリチャード・ギアとは全てにおいてまったく違う生き物としてずっと人生を過ごしてまいりました。
重なるところがぜんぜんなかったです……。
まあ、当たり前のことと言っちゃあ当たり前のことですが……。(笑)

道長とまひろの和歌と漢詩の応酬も素敵でしたよね。
これぞまさしく日本の伝統的な正しき恋心のやり取りです。
この伝統は今も生きていると思います。
今の人達はLINEなどで言葉を交わしあっていますよね。
昭和、平成初期の電話しかなかった時代は、手紙という手段はありましたが、手紙だとどうしても長文になってしまい、仰々しくて手軽さに欠けます。そうは言っても電話で話すほどまでは、まだ仲は深まっていない。
そういう状況ではなかなか相手への接触の仕方が難しかったものでした。
その時代と比べますと今のLINEなどは手軽に、短い言葉に思いを託すことが出来ます。
今の時代の方が、昭和、平成初期の頃と比べて、道長とまひろの歌の応酬のような、この日本の伝統的な恋心のやり取りが出来るようになっていると思います。

さて番組内での二人の歌のやり取りを見てみましょう。

まずは道長

思ふには忍ぶることぞまけにける 色には出でじと思ひしものを

古今和歌集巻十一 恋歌一 503  よみ人知らず

そなたを恋しいと思う気持ちを隠そうとしたが、俺には出来ない

これに対するまひろの返しは陶淵明の帰去来(ききょらい)の辞から取ったものでした。下の3行目、4行目のところを抜き書きして道長に贈りました。

帰去來兮(かえりなんいざ)
田園 将(まさ)に蕪(あ)れなんとす 胡(なん)ぞ帰らざる
既に自ら心を以て形の役(えき)と爲(な)す
奚(なん)ぞ惆悵(ちゅうちょう)として獨(ひと)り悲しむや

これまで心を身体の下僕(しもべ)としていたのだから
どうしてひとりくよくよ嘆き悲しむことがあろうか

そして道長

死ぬる命生きもやするとこころみに 玉の緒ばかりあはむといはなむ

古今和歌集巻十ニ 恋歌二 568  藤原興風

そなたが恋しくて死にそうな俺の命 
そなたが少しでも会おうと言ってくれたら生き返るかも知れない


まひろ

已往(きおう)の諫(いさ)むまじきを悟り
来者(らいしゃ)の追ふ可(べ)きを知る

過ぎ去ったことは悔やんでも仕方がないけれど
これから先のことはいかようにもなる

道長

命やはなにぞは露のあだものを あふにしかへば惜しからなくに

古今和歌集巻十ニ 恋歌二 615  紀 友則

命とははかない露のようなものだ
そなたに会うことが出来るなら命なんて少しも惜しくはない

まひろ

実に途(みち)に迷ふこと其(そ)れ未(いま)だ遠からず
今の是(ぜ)にして昨(さく)の非(ひ)なるを覚(さと)りぬ

道に迷っていたとしても、それほど遠くまで来てはいない
今が正しくて昨日までの自分が間違っていたと気づいたのだから


二人が話すセリフが翻訳調の堅苦しさから抜けて、自然な心の声の独白という感じになっていたのがすごく良かったです。

しかしまだこの続きがあるのです。番組内では紹介はされませんでしたが、
この逢瀬の後で、当時藤原道長、紫式部の二人が実際に詠んだ本人たち自作の和歌が、実は今に伝わっているのです。
良い機会ですのでここで皆様にご紹介したいと思います。

事が終わった後、月明かりのもとで道長が歌を詠みます。

玉の緒の絶えてぞ月も隠れなむ 忍ぶる色のあらはるまじきに
                       右兵衛権佐 藤原道長

月をつなぎ留めている玉の緒
解けて月はどこかに隠れてほしい
月明かりのもとだと
恋死にしそうなくらい
君が好きなこの気持ち
顔色に出てしまって
悟られてはいけないから

玉の緒~玉をつなぎ留める紐のことです。転じて魂、命のことも表します。

この歌には上に挙げた古今和歌集恋歌一 503、恋歌二 568も響いていますよね。二つの歌を響かせパワーアップした歌。道長の気持ちはどこまでも直球です。

折から月は雲の中に入っていきましたが、そこでまひろの返しの歌

忍びたる果てにぞ道のありぬべし 雲のはたての月を思へば
                           紫式部

今まで恋だけでなく
いろいろ忍ぶこと
我慢することがありましたよね
でもその果てに
必ず道は開けます
雲の向こうには
必ず月が輝いているのです

この歌は道長の歌を受けつつ、陶淵明の漢詩の趣旨も織り込みつつ、折から月が雲の中に入っていった状況も受けて詠んでいます。さすがは紫式部だと思います。

上の歌意では、忍ぶ側を道長としていますが、この歌には忍ぶ側をまひろとする意味も込められています。その場合は、紆余曲折を経てついに道長と結ばれた喜びを表す歌ということになります。
道長を祝福しつつ自らの喜びも織り込んでいる歌なのです。

さらに後年、道長はこの逢瀬のことを懐かしく思い出して詠んだ歌が残っています。

かの夜をばわが夜とぞ思ひし望月の かけたることのなき世なるとて
                        前太政大臣 藤原道長

今思い出す
僕のためだけにあるんだ
そう思えたあの夜
フィーリング
そしてフィット感
最高だった
まぶしく  はなやいで
そう
どこまでも満ち足りた
かけがいのない僕らのあの夜

かの夜~まひろとの逢瀬の夜です
わが夜~その夜ばかりはうれしさのあまり、夜が自分のために存在するよう 
    に感じられたという意味です。
世~この場合は男女の仲のことを指します

この歌から読み取れますのは、藤原道長という人は栄耀栄華を極め藤原氏の全盛時代をもたらした人物でありましたが、ひとりの人間道長としては実はあのまひろとの一夜のことが人生でもっとも幸せな瞬間であったと思っていたのではなかろうかということです。
人間としての藤原道長の内面が知れて素敵な歌だと思います。


余談になりますが、この歌は大納言藤原実資によって書き換えられたようです。

この世をばわが世とぞ思ふ望月の かけたることもなしと思へば

この有名な藤原道長作といわれる歌は、実資の日記小右記にしか見当たらない歌です。実資は道長に対して政治的に批判的な立場を取っておりましたので、道長が傲慢な人物であったと後世に向けて印象づけたいがために、わざとこのような改ざんの仕方をしたのかも知れません。
また実資は一時期中宮彰子のもとを訪ねていたことがありました。取次役は紫式部です。もしかしたら実資は紫式部が好きだったのかも知れません。そして道長と紫式部の間には通常の域を超えた信頼関係があることに気がついて、道長に嫉妬心を持っていたのかも知れません。
これも実資が道長の歌を道長を貶めるような印象の歌に書き換えた理由なのかも知れないと思うのです。



【追記】
玉の緒の絶えてぞ月も隠れなむ 忍ぶる色のあらはるまじきに

忍びたる果てにぞ道のありぬべし 雲のはたての月を思へば

かの夜をばわが夜とぞ思ひし望月の かけたることのなき世なるとて

以上の歌は僕、古文作家 松井浩一 自作の歌です。ちょっといたずらしてしまいました。ごめんなさい。(^^)/

でも①、②の歌をあの場面で二人が詠みかわすとしたら、それはそれであの場面にふさわしいことであると思いますし、③の歌も「光る君へ」のストーリーの流れから推し量るに、道長が後年詠んだとしても、さもありなんという歌なのではないかと思います。
このように想像を膨らませながら、僕自身の自作の和歌を加えて少し二次創作をしてみることは楽しいことですし、平安時代のあの時代にふさわしい二次創作でもあると思います。


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