小さなわたしが、人生ではじめて「絶望」を味わったときの話
なぜかはわかりませんが、「人生で初めて絶望した話」をしたくなりました。
というわけでします 笑
もう本題突入です。
「絶望」と聞くと、どんなすごいストーリーが待っているのかと思うでしょう。
・借金
・不倫
・離婚
・身近な人の死
そういうイメージありますよね。
でも、全然そんな角度ではありません。
人生で初めて味わった「絶望」ですから、今思えば、幼い自分が味わった「ちょっとした試練」みたいなものです。
「お姉ちゃん」にくっついていた子供時代
まずは「絶望」に深く関係する姉のことを説明する必要があります。
私は3人兄弟の末っ子でして、一番上に6歳離れた姉がいます。
私は姉の優しいところが好きで、いつでも「お姉ちゃんお姉ちゃん」とあとをくっつけまわしていました。
幼い頃、私は今よりもずっと人見知りでした。親戚の前ではほとんど言葉を発しないレベル。
そういうときはいつも姉の横で、ちょっと隠れるようにして過ごしていました。
そんな姉からは怒られたこともほとんどありません。
年が近くないせいか、大きなけんかもない。
姉はきっと私をかわいがってくれていたと思います。
細い身体なのに、時々おんぶ紐を母に括り付けてもらい、私を背負って歩いていました。
寝る前の絵本も姉はよく読んでくれたし、架空のお話を作って聞かせては、私が爆笑して興奮してしまい眠れないという事態に陥ることもありました。
母は、そんな2人を見てあきれていたものです(笑)。
高校生の姉と小学生の私
私の実家は田んぼだらけで、最寄りの駅まで…車で15分~20分程度かかります。
高校生になった姉は、電車で私を映画や買い物に連れて行ってくれるようになりました。
休日になると、「◯◯買いに行くけど、一緒に行く?」と誘ってくれます。
姉はいつでも「うん!」と返事する身軽な私を連れ、私の分の交通費とランチ代を母からもらい、一緒に電車で出かけるわけです。
私にとっては珍しい電車。全てが真新しい景色。
ずっと窓から外を眺めている私と、横で静かに座っている姉。
なんだか大人な世界に入ったようでした。
そして「お姉ちゃんといるとやっぱり楽しいな」と再確認します。
「お姉ちゃんっ子」はまだまだ続く
そんな感じで、姉や姉に関連する思い出は多いです。
学校に出かける姉を見送ったり、部活で遅くなる姉を親と一緒に待っていたり…。いつでも私の生活は「姉」ありきだったのです。
自分の部屋があるくせに、高校生の姉の部屋に「よいしょっと」とわざとらしく布団を持ち込んで一緒に寝てもいました。
受験生シーズンになってもそれは変わらず、姉が勉強机に向かう背中を見ながら眠りについていたほどです。
(自分が高校生になったときに、勉強しながら「私みたいな子供が後ろにずっといたらまじでうざいなぁ、と姉の立場をふと想像していたこともあります。姉ってすごいな、と思いました 笑)
月日が経ち、大学の入試試験を受けるために、姉は県外に行く機会も増えました。
そういうときはだいたい親の車で向かいます。
もちろん私もついていきます。完全に小旅行気分。
車に乗ってのんびり過ごし、大学付近で降りる姉を見送る。
あとは母と買い物やランチをして、試験が終わった姉をピックアップする。
試験や受験がどういうものか分からないから、単純に楽しかった記憶があります。
姉が実家を出る…?
あるとき、姉が第一志望の大学に合格する日を迎えます。
パソコンに映る数字の羅列を眺め「あった!」と飛び上がった姉は、そのまま外にいた母のもとに行き、二人で手を取り合ってジャンプしていました。
私はやっぱり「受験」とかが分からない。けど、嬉しそうだから…なんかよかったな、と思いました。
でも、後々色んな話のピースをはめていくと「どうやら姉は茨城県外に引っ越す」ということに気づきます。この辺でようやく気づくのです。
人生のすべてといっても過言ではないほどの存在、「姉」がいなくなる。まったく想像できませんでした。
子供ながらに「生きていけないんじゃないか」と絶望したものです。
それと同時に、
私にとって『お姉ちゃん』はすべてだけど、『お姉ちゃん』にとって私の存在って結構小さなものなんだ、と感じます。
『お姉ちゃん』は、私と離れても平気なんだ…
こんなに大好きな気持ちだったのは私だけで、『お姉ちゃん』はそんなでもないんだ…
今振り返ると、子供だからとても深刻だったんだなぁと笑えますが、当時はものすごい衝撃と悲しみでした。まさに絶望です。
あまりに悲しくて、この気持ちを素直に言葉にはせず、胸にしまっておきました。
だから、姉の前で大号泣などはしなかったと思います。
たぶん「ねぇ~行かないでよ~」と、ちょっと駄々をこねるぐらいのことはしたような気がします。
*
絶望の話は終わりです。この後は余談です。長いですが。
お別れのとき
当時、駄々をこねる私を見て姉はちょっと笑ってました。
でも、もちろんそれで意志を変えることなどなく、着々とお別れの日が近づいてきます。
*
とうとうお別れの日。
荷物は事前に姉の家に運び入れて、ほとんど生活できる状態に整えていたので、当日は本当に姉を置いていくだけでした。
母と、春休み中の私は、車で4時間以上かかるアパートまで、姉を送りに行きます。
出発してすぐのころは明るく話していたのですが、姉のアパートにちょっとした荷物を置き、外でお別れ前のランチをしている頃、あたたかなご飯を3人で食べながら母は涙をこぼしていました。
今思えば、子離れができていなかったのでしょうけど、第一子が離れていくのはやはり寂しかったのですね。
私も本当は泣きたかった。
でも、姉と一緒に母を指さしながら「何泣いてんの」なんていいながら平気なフリをしていました。
そうしているうちにランチが終わり、本当に本当にお別れの時間に。
姉とともにアパートに着き、少しすると「そろそろ行こうか」となるわけです。
いまいち実感がわかないけど、どうやらこれから数カ月の間は会えないみたい。
ほんとうにそういう時が来たみたい。
姉がいない生活が想像できないからこそ、意外と私はふわふわした感覚でいました。
玄関先で私は、「最後だから!」と言って姉に抱きつきます。
お別れのハグ。
姉は笑っていて、私の後ろに立ってた母は「そんな最後みたいなことしたらまた泣いちゃう…」とボロボロ泣いています。
私は、意外とそのまま笑顔で別れられました。角を曲がるまでずーっと、ベランダで手を振る姉に、車の窓からバイバイをします。
帰り道の母と私
行くときは3人だった車内。
帰りは2人。
急に広く感じます。そして静か。
私と母はほとんど話をしないまま車を走らせます。
助手席に乗らずになぜか後ろに座っていた私は、途中から母が鼻をすすっている音を聞きます。
そうすると、ぼんやり見ていた景色がどんどん霞んできて、つられて涙が流れてくる。
母のバックミラーからも見えない位置、母の真後ろの席で、窓に顔をくっつけるようにして流れる涙を静かに拭き続けます。
ほんとうにそのまましんみりとしたまま帰った記憶だけ、残っています。
後日談。いつも笑顔だった姉の本当の姿
姉と別れ際にハグをするのは、恒例でした。
さすがに今はしないけど、当時、姉とバイバイをするときは、最後に抱きついていました。そうすると、姉はいつも笑っている。
なんだかいつも平気そうだし、私が見ていた『お姉ちゃん』のイメージ通り、強い感じ。
でも、姉が結婚式で手紙を読んだとき、こんなことを言っていました。
初めて一人暮らしをした大学生のころ、本当はいつも寂しくて、ひとりのご飯もつらかった。家族が帰ってから泣いていた
…と。
小学生だった私は「お姉ちゃんがいなくなる」という寂しさと「お姉ちゃんは私がいなくても平気なんだ」という悲しさを一方的に抱えていたと思っていた。
でも月日が経って、そうではなかったと知れたわけです。
それだけで、あのときの小さな私が救われたような気がしました。
そして、当時は「死ぬ」レベルの絶望だったけど、今となっては本当に些細なできごとなんですよね。
「姉のことが好きすぎたんだなぁ」と振り返っては懐かしく思います。
もちろん、さすがに今は当時のような「姉にべったり」の妹ではないけど、
…やっぱりなんだかんだ手をかけてもらっています。
私はいつまでもフラフラした妹だし、姉はいつまでも「お姉ちゃん感」がある。
*
絶望だけ書こうと思ったら、最終的には姉へのラブレターみたいになりました。
でもnoteの私のスタンス的にはこれでよし。ありのままを書く。ダサくてもいいから書く。
うん、ダサい感じも隠さず書いたと思う。
色々思い出したら止まらなくなりそうなのでこれでおわります。
昔話に付き合っていただき、ありがとうございました。
元になったツイート↓
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