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第5回 観察する眼を持とう

●行事の目的を見直す

秋の運動会シーズンですね。
今年は天候が不安定で、運動会が延期されたり、日程を短縮・変更して行われたり、と振り回された学校も多かったようです。
まだ暑い日もありますし、子どもたちの体調にも気を配りながら準備を進めておられる先生方には、いつも感謝の思いでいっぱいです。ありがとうございます。

運動会と言えば、花形の競技や種目がいくつもありますね。
昨今は、それらの競技の「危険性」が問題視されており、別の競技に変更になった学校も多いのではないでしょうか。
保護者の気持ちとしては、「楽しみにしていた競技が見られなくて残念」という思いと「やっぱり安全性は大事だから仕方ないよね」という思いが半々なのが正直なところです。
また子どもにとっても、あこがれていた競技がなくなるのはさみしいことですが、一方であまり運動の得意ではない子にしてみればホッとしているところもありますね。
継続、または廃止・変更のどちらがいいということではありませんが、世論に注目されたことをきっかけに、これまでの競技や種目についての見直しなどが学校で検討されたことについてはよかったのではないかと思っています。
「わが校の伝統だから」という前年踏襲をしていると、いつの間にか子どもたちの成長の実態に合っていない競技も出てきてしまいます。
一度立ち止まって、「そもそも、なぜこの競技を行うのか」という目的の部分を考えてみることで、「本当に必要なことなのか」「他にやり方はないのか」といったことが見えてくるのではないでしょうか。

●「お知らせ」は何を伝えるのか

運動会の在り方も、時代の流れに合わせて変わっていくのでしょう。
先生方が十分に検討してくださった結果、競技が変わるなど、形が変わることに異論はありませんが、私はそれを子どもたちや保護者にお知らせしてもらえるといいなと思っています。
「お知らせする」というのは、単に「今年度から○○に変わります」と伝えればいい、ということではありません。
「これまではこうだったけれども、よく考えた結果、こういう理由でこちらの方が良いという判断をしたので変わります」というように、変更の理由やそこに込めた思いまでお知らせする、ということです。
そうすれば、子どもも保護者もきっと納得できるでしょう。
そういう「一歩踏み込んだ姿勢」を持っていただくことが、先生や学校への信頼につながるのです。
運動会は、たくさんの時間も労力もかけて行う大切な行事ですから、丁寧な情報発信をして、子どもにとっても、保護者にとっても、もちろん先生にとっても意義のある行事になるといいですね。

●見逃されがちなおとなしい子にも目を向けて

運動会のような大きな行事が終わり、なんとなくクラスが高揚した気分を引きずっていたり、浮足立っているように感じることはありませんか?
大人でさえ大きな行事が無事に終わったあとは気分が高まりますから、子どもだって同じですよね。
それを今後の学級経営にうまく活かせるように、先生方はさまざまな仕掛けをされていくことだろうと思います。
そうした先生方の「戦略的」な見通しには、いつも感心させられます。

しかし、一つ気になることがあります。それは、リーダーとなってクラスを盛り上げてくれた子どもや、いつもは落ち着きのない様子の子どもがはりきって参加していた姿などに目が向きがちなのではないか、ということです。
クラスには、いつも物静かでおとなしい感じの子どもがいませんか?そういうタイプの子の中には、みんなの盛り上がりに今一つついていけていないような感じになってしまっている子がいないでしょうか?
クラスの中で埋没してしまうようなタイプの子は、一見落ち着いているように見えるので、大人はついつい「この子は大丈夫」と安心してしまいがちですね。
けれどもそういう子にも光を当てて、目を向けてあげてほしいのです。
表面に出せないだけで、必ず子どもなりの思いがあるはずです。そこを拾い上げていただけるといいなと思います。

●「見えていないもの」に気付く

目が向きがちな子どもばかりでなく、見逃しがちな子どもたちの小さな変化にも気付けるか・気付けないかの違いは、日ごろの「観察」にあるのではないかと思っています。
「観察」は、ただボーっと眺めているだけの「見る」とは違います。なにかしらの目的を持ってしっかり「見る」ことを言います。

何かトラブルが起こったときに、その事柄の背景にあるもの、まわりの環境、どのタイミングで起きたことかなど、さまざまな情報をもとにしながら読み解き、考えていく必要がありますね。そのためにも日ごろの「観察」はとても大事な役割があると思います。
そして「観察」が活きるのはトラブルのときばかりではありません。「観察」のおかげで、子どもたちの小さな成長に気付くこともできるのです。

最初からいきなりそんな複雑な「観察」ができるようにはなることは難しいでしょう。ですが、自分にとって「観察する」とはどういうことなのかを考えてみることはできるはずです。同僚の先生方に「どんなことを観察しているのか」を聞いてみるのもいいでしょう。
「人は見たいものしか見ない」とよく言われます。
見えていないものが何なのかを意識してみると、自分に必要な「観察」はどんなことなのかというイメージが持てるかもしれませんね。そして、そのイメージに近づけるように、視点をたくさん持てるといいですね。

(2018年9月)

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教育コラム「お母さんが見ている学校の風景」に込めた思い

子どもの教育に携わっているのは教師だけではありません。保護者も当事者として教育に関心を寄せています。先生方の中には、保護者対応を負担に感じている人も多いようですね。「教師と保護者は子育ての仲間」と考えているお母さんが見ている学校の風景を通じて、大人の在り方や協働を一緒に考えてみましょう。

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