見出し画像

#2 洋裁に目覚めてから将来を迷走した青春のころのおはなし


中学生になってから、それはもう、よく舞台を観に行きました。

演劇、ミュージカルが大好きで、お小遣いは全てチケットに消えました。


中学2年生のとき、姉の友人の先輩から演劇部に入らないか誘われ、
役を演じるのはちょっと…と迷っていましたが、昔からの"モノづくり"精神がフツフツと湧き上がって、
演出や裏方はやってみたい!という気持ちが背中を押して入部することになりました。

当時人数が少なすぎて、廃部寸前だったのを助けるためというのもあったのですが。笑
しかも結局入部してから先輩たちの演技を見て、私もやってみたい!となって、役者もバッチリやったのですが。笑

その当時の部長が、顔もスタイルもとても美しい人で。
部活関係なしに後輩はみんな憧れる存在の人だったのですが、その方は衣装も自分で作っていたのです!
それが本当に上手で、なんでも器用にこなす部長に私もすっかり魅了されてしまいました。


そしてここで私は1つ、とても大きな勘違いをします。



「部長って、衣装も作れるようにならなきゃいけないんだ…」




私の学年で、演劇部に所属していたのは当時私一人で、(後々誘いにのってくれた友達がたくさん入ってきてくれましたが!)ゆくゆくは私が部長になることがその時点でほぼ確定していたので、その勘違いに私はすごい焦りました。



なぜかというと、実は私…




ミシンが大の苦手だったんです!!!!!!



時効なので白状しますが、それまで家庭科の授業では、ミシンが得意な子にミシンの部分だけコソッと縫ってもらっていました。

家庭科の授業中はいっぱいサボりました。
本当にすみませんでした。


そんな私が衣装なんて作れるのか。
これはまずい。

となって、相談したのは、私の母方の祖母。
一緒に住んでいたわけではありませんが、私はおばあちゃんっ子でした。

大伯母が昔洋裁をやっていた人とのことで、紹介してもらい、1日だけパターンと裁断を教えてもらいました。
さすがに昔の方なので、自己流がすごすぎて全然理解できなかったのですが。笑

そして家に帰って縫ってみると…




あれ?なんかこれ、面白い!!!



となったんです。はい。本当にいきなり。

食わず嫌いならぬ、触らず嫌いだったんですかね。
それか好きなことのためという目的があったから、楽しかったのかもしれません。


もちろん、部長が衣装を縫わなきゃいけないなんてルールはなくて、その勘違いはすぐに解消されたのですが、もうその時は洋裁の虜でした。

中学2年生の夏のことです。


後期が始まってから、私の家庭科の授業を受ける態度は一変しました。
気持ち新たになってから初めて習ったのはスナップつけで、
私が正式に習得した一番最初の技術だったからか、スナップつけは文化でも会社でも、誰にも負けない自信がありました。

スナップつけ、結構自慢です。
(しょうもないと思いました?いや、結構難しいんですよ、キレイにつけるの。すごく性格でるんですよ。やってみてください。いつかスナップつけ講座も書きたいところですね。)


それからは、演劇部だけに留まらず、学校のイベントで演劇をやる時は常に衣装を担当しました。
一公演、一人で10着以上作ることとかも普通にありました。
私服では替えのきかないドレスを縫うことがほとんどで、それが私がドレスを縫い始めたきっかけでした。
ほとんど徹夜の日々でしたが、辛いと思ったことはほとんどなかったように感じます。

今までボーイッシュだった私も、女の子らしくなりたいというおませな部分がようやくでてきた頃というのもあって、
華やかなドレスがどんどん好きになっていきました。


デザインは得意だった絵を活かして。
舞台のパンフレットや映画を何度も何度も見て描き起こしました。

手作りウェディングドレスの本を買ってパターンを抜き取って。
それでもわからないことは図書館や手芸屋さんの書籍コーナーで立ち読みして、独学の日々。

裁断も縫製も、全て見よう見まねで、今思うとあれでよく形になっていたなと思います。



そして進路を決めるとなったとき。

私の心の中には2つの道がありました。

1つは大学に進学して演劇論を学ぶこと。
演出家になりたいと思ったこともありましたが、厳しい世界だと思ったのでそれは諦めて、それでもまだ演劇に関わっていたいという思いが強かったのです。

2つ目は専門学校に進学してお針子になること。


正直、2つ目は妥協案でした。

私の通っている高校は私立の、ものすごくレベルが高いというわけではないですが、一応進学校で。
周りの友達もみんな大学に進学するのが当たり前という状況で、私の両親もそれを望んでいましたし、
専門学校に(当時、和裁にも興味があったので、京都の和裁の専門学校へ)見学に行ったこともあったのですが、そこは女子だけの、とても閉鎖的な場所に見えて、
幼稚園から高校までエスカレーター式の学校にいて、すでに外の世界を何も知らないお嬢ちゃまだった私にとっては、またそんな閉鎖的な場所に行くというのが、なんだかとても嫌だったのです。


幸い、私には素敵な恩師がいて、その先生に自分のレベルにも、雰囲気も合う、演劇論が学べる大学を勧めてもらい、
そこを迷うことなく志望することができたので、無事に自己推薦で合格が決まりました。
志望校はその一校のみで、そこが落ちたら今度こそ本当に専門学校だなと思っていましたが、それだけの覚悟が合格への鍵となったのだと思います。



そして私は、学習院大学 文学部 フランス語圏文化学科へ入学しました。


言い忘れていましたが、私は小学校から高校まで、第1外国語でフランス語を学んでいました。
そういう学校だったのです。
そのおかげで、英語は義務教育の中学3年間しか学んだことがなく、身近な言語が英語よりフランス語という、なんだかオシャレ感だして偉そうな、特殊な人間になってしまいました。
フランス語は大の苦手科目ですけど。

私のページにところどころフランス語があるのはそのせいです。
いや、もちろんカッコつけのところもありますけどね。


大学で仏文科にしたのは、そこに映像・演劇コースがあったからで、
演劇はそもそもフランスのモリエールが祖ですし、演劇の原点から学べるということもあってとても楽しみにしていました。


が…


それを学んだことで何になるということもなく、
私は大学を卒業したあとのビジョンが全くみえなくなってしまう、将来迷走期に入ることとなりました。


余談ですが、大学入学すると同時に、私はディズニーランドでキャストのアルバイトを始めまして、
大学ではサークルに所属することもなく、専らディズニーで働くことが一番の楽しみで、私の青春でした。


青春なんてあっという間なんですよね、

気がつけば就活なんてものが始まって、
楽しいことばかりでごまかしていた将来についても、本気で考えなくてはいけない時期がきて、それでもどうしても将来のビジョンが明確にならなくて。

辛かったです。
私はもともと、とても頑固な性格なので、「やりたいことはやりたくない、できない」と、嫌なこと、興味がないことには拒絶反応が出てしまうんです。

昔から、まやはやりたいことが明確でいいね、とか、自分の意見に芯が通っててすごいね!とよく言われてきましたが、
こういう状況になると、その長所は裏目にでてきます。

「この会社、ちょっと受けてみようかな」ができないんです。

それでもやらなきゃいけない状況だったので、何社かエントリーして受けましたが、受けたとしても、本気になれなくて面接に力が入らなかったり、筆記試験の勉強がはかどらなかったり。
就職氷河期だったことも重なって、何社からもお祈りされたものです。

とりあえずみんな就活してるから、私もする、
なんて周りに流されっぱなしで、個性も何もない重たい鎧のような黒スーツを着て、そんな人がうじゃうじゃ集まる合同セミナー会場に悪寒が走って、定型文が決まっているエントリーシートと面接の会話に吐き気がして。

こんなんで、もし採用通知が来たとしても私やっていけるのか?と、不安でたまりませんでした。


そんな中、一社だけ、普通大学生でも応募可、というジュエリーデザイナー職の会社を見つけて、興味半分で応募してみました。

持ち前のディズニースマイルと接客術でグループ面接は楽に乗り越え、
小さい頃から絵を描いてきた力でデッサンも認められ、高校で独学で衣装を作っていた熱も伝わり、
多くの美大生と専門学生を蹴散らして、最終面接までこぎつけました。

結果は不採用でした。
でもそれは私も、この仕事は私には向いていないかも、と採用の途中で感じていたので、最終面接でその様子も出ていたと思いますし、お互いさまという結果で、何も後腐れはありませんでした。


それより、私はその採用過程で、あることに気がつきました。



美大生よりも、専門学生よりも勝るものが私にはあった…?

「それくらい誰でも描ける」と両親に言われ、絵も裁縫も美大・専門に行ってる人には到底敵わないレベルと思っていたけど、そうじゃない…?

ということは、私が本気で技術を勉強したら、もっと自分にしかできない、替えのきかない、かけがえのない仕事ができるのではないか…!?





ずっと曇っていた空が、ぱぁーっと晴れた瞬間でした。

#エッセイ #自己紹介 #プロフィール #ドレス #ウェディングドレス #縫製 #オートクチュール #刺繍 #スイーツ #マンガ #演劇 #衣装 #ディズニー #フランス #パリ #留学

この記事が参加している募集

自己紹介

いつもありがとうございます! サポートいただけたら、仕事ではなく、ただ好きなこととして、自由にデザインした個人的な作品ドレスを作るための材料費の一部に当てさせていただきたいと思っております。