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東北三詩人試論

東北三詩人試論

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宮沢賢治、高村光太郎、石川啄木の三文士を東北三詩人と呼ぶことにする。三人ともに東北に縁があるからだ。以下はこれら三詩人の詩歌作品に対する断片的試論だ。矛盾もあろう、曖昧さもあろう、飛躍もあろう、行きつ戻りつもあろうが、それらをスパイスとして楽しんでいただければ幸いだ。

1.ヴ・ナロード
広義では、賢治も光太郎も啄木もヴ・ナロードの徒だった。狭義では、ヴ・ナロードとは、19世紀後半のロシアの

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それからの短歌

それからの短歌

…『若き日の歌』に続く短歌群です。

・学生時代

珈琲の水面に揺らぐ
 我が瞳
語らば語れ熱き悲しみ

書を閉じて震える影にやかん鳴る
 下宿屋の夜に
 吐く息白し

啄木の如くなりたし
啄木の歌となりたし
 暗き一夜は

バイト明け
 疲れた体ひきずって
 あいつは今日も雀荘にいく

 我が脳に
弾けて痛し女の声
真昼の町を高らかに過ぐ

好きという
ただ一言をいうがため
 朝の四時まで費やし

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通わぬ道に(ワーズワース)

ワーズワースの"She Dwelt among the Untrodden Ways"という有名な作品。わびさびの心情が光る。目立たない娘で、人知れず亡くなっている。どこにも華やかな要素がない。まさしくわびさび。

恋は病いよ

サミュエル・ダニエルのLove is a Sicknessという作品。16世紀後半から17世紀初頭のイギリスに生きた。英語固有の押韻を擁護したらしいが、詳しくは知らない。評者によると、内容は凡庸だが表現は流麗とのこと。

女に

かわいい娘、愚行に屈し
知るも手遅れ、裏切られたと
どんなまじない、憂いを解くか、
どんな技なら、罪払うのか?

罪を浄める唯一の手は
世間の目から恥隠すのは
奴を悔やませ、良心を衝く
唯一の手は、死ぬことなのです。

オリバー・ゴールドスミスという詩人の「女に (Stanzas on Woman)」という詩。若い娘さんがろくでもない男に騙され、不倫でもしてしまったのだろうか、罪を得て世間から非難

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アウグスティヌスの正義説

アウグスティヌスの自己実現的正義論。
アウグスティヌスは中山元『正義論の名著』を通してしか知らないので、後にじっくりと読むとするが、中山によれば、アウグスティヌスはこんなことを言う。

正義とは魂と身体がそれぞれの務めを果たすことであり、人間自身のうちに、自然本性のある正しい秩序が生じて、魂は神に、身体は魂に服属し、かくして身体も魂も神に服属することが正しさであり、正義なのだ。魂は神に仕える時に身

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大隈言道の「流れくる…」

私の電子辞書に見つけた和歌(名歌名句事典)だが、江戸時代の歌人、大隈言道の作だ。「若鮎は浮かび上がって流れてくる桜の花びらをつつき戯れながら、またすいすいと瀬を上がっていくよ」という意味の叙景歌だ。叙景とは風景を書き表すことであり、叙景歌とは風景を書き表す歌となる。つまり、叙景歌には歌人の心情が直接表されることがない。

私は若い頃は自分の悲しみや恋情を直接詩歌に詠み込んだものだが、いまや老いたせ

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藤原敏行の「秋来ぬと…」

古今集には藤原敏行のこんな和歌がある。

人間は社会的動物だが、人間性をすべて社会性に還元してはならない。自然界の本質を弱肉強食とする人がいるが、確かにそのようなところは否定できないが、それに尽きるものでもない。 人は(おそらく一部の動物もそうだと思うのだが)自然界に美を見出す存在であり、自然界には美が内在しているのだ。自然美とはいっても、夕陽や薔薇のように、雄大であったり色彩や造型の妙であったり

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大江千里の「照りもせず…」

新古今集にある大江千里の作。白楽天の詩句「明らかならず暗からず朧々たる月」による句題和歌だ。「明るく照っているのでなく、曇り切っているのでもない春の夜に朧に霞む月の趣きに及ぶものはない」といった意味だ。

相反する二概念の甲乙があるとしたら、素朴な論理学的視点からは、甲か乙かのどちらかになるのであって、甲でありかつ乙であることはあり得ず、甲でもなく乙でもないこともあり得ない。甲か乙かのどちらかにな

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神曲の習合性

『神曲』には、ギリシア神話の怪物もいれば英雄も神もいます。つまり、キリスト教とギリシア神話が融合しており、その意味で『神曲』には習合的要素がある、と言えるのかもしれず、キリスト者ダンテは必ずしも厳格な一神教を採用していない、と言えるかもしれません。

そういえば、旧約聖書も一神教というより「拝一神教」の要素があります。旧約聖書には、モーゼはシナイ山でエホヴァより十戒を賜ったが、山から下ってみれば、

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若き日の歌

若き日の歌

…若い頃、十代から二十代前半の頃に書き溜めて書棚の奥に眠っていたノートにあった、短歌などを載せておきます。拙いものが多いのですが、よほど気になった二、三カ所以外はそのままにしてあります。赤っ恥を晒す気持ちですが。ちなみに、『それからの短歌』に続きます。

・社会人になって

僕の恋だあれも知らないこの想い
 林の奥の沼に告げたり

君去って君の忘れたくつ下が
 タタミの上に寝そべっており

テレビ

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能因の「山里の…」

新古今和歌集の能因の作だ。入相とは夕暮れに入る頃合いを言い、全体として素直に詠まれ、特に難解なところがない。

この和歌が私の気に入った理由は、何処にも作者の小煩い自我のないからだ。泣いたり憂えたり悩んだり愚痴を言ったり、自分が表出するものであれ、他人の表出に居合わせるのであれ、自我とはとにもかくにも疲れるものだ。そんなことに振り回されるよりも、何ら自我を抱かずにお茶でも呑んでノホホンとしているほ

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『神曲』の新教性

〇偶像批判
・偶像とは神仏をかたどってつくった像であり、偶像崇拝とはこの像を信仰の対象とすることだ。いわば神でもないものを神とみなすことであり、より一般的に言えば、実質的価値のない物質に価値があると思い込んで、後生大事に抱え込むことだ(ここにベーコンの言う市場のイドラの観念を見る)。

例えば、本当の神は天にいるのに、神をかたどった石像を神としてその前でひれ伏することだ(偶像崇拝)。救世主が着たと

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ダンテの『神曲』研究1 ー ダンテの同情

ダンテの『神曲』研究1 ー ダンテの同情

ダンテの同情と非情

トンてつクラブ、文芸部員の敬道シーランです。いやあ、久しぶりの動画作成なので、まあ、私がやっているのは単純なものなのですが、それでも作成方法をすっかり忘れてしまいました。ダンテの同情問題について、ちょっと話していきます。ダンテの『神曲』ですね。『神曲』で、ダンテは地獄や天国を巡り歩くのですが、地獄では、ダンテはよくいろんな人に同情しているのです。

それって、いいんですか?と

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