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エレベーターに上手く乗れないワタシは社会不適合者か。

私はエレベーターを上手く使いこなせない。

乗ったとき、行きたい階のボタンではなく今いる階のボタンを押してしまうからだ。

あげく、今いる階を押して、開くボタンを押すのだ。

「行き先階のボタンを押してください」

エレベーターにいつも怒られる。
開くボタンを押して、余計な無の時間を生み出してしまう。

これはどうしても直せない。

癖、なのかもわからない。

でも、27年間ずっとそうなのだから、きっとこの先の27年もそうだろうし、その頃には一生このままだとため息を漏らすのだろう。

このくらい些細でくだらないことでも、「他人にできて自分にできないこと」というのは案外大きいな差に感じられる。

なんで、エレベーターをうまく使えないのか……そんなに真剣に悩んだことはないが、ふと考えると不思議でならない。

そう思うと、案外社会に適合している人間なんていないのではないかと思えてくる。

社会は、結局大多数の人間の偏った”普通”でしかない。しかし、人はその”普通”に限りなく近づこうとする。だからこそ、普通になれない、もしくは望まない「はみ出し者」を嫌う。

不適合だと、勝手に烙印を押してくるのだ。

そんな輩には、こっちが不適合の烙印を押し返してやりたい。
「天才不適合」にしてやれば、不名誉感が出るだろうか。
普通に紛れた中で、個性などとほざかないでほしいものだ。

社会に適している人間が「天才不適合」なら、

エレベーターにうまく乗れない私は。


「凡人不適合」で、存外悪くない。






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