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ことばの力、ことばの無力

ふと思ったことです。

元々「音楽の力、音楽の無力」という言葉があり

これは確か大震災があった結構すぐのとき、その地で音楽祭みたいなのが開催されて、そこに参加するミュージシャンの方が言っていたと思います。

被災された方々の前で演奏することについて
「音楽でお腹がふくれることはないし、音楽で家が元通りになることはないけれど
ぼくらには歌をうたったり楽器を弾くことしかできないから、それを全力でやるのみです」
というような内容を話された。

それで私はめっちゃ感動した。

自分たちのやることが、何の足しにもならない可能性を冷静に見ていることと、
ちょっとでも前向きに、明るい気持ちになるように!とかの気負いがない様子が、なんか尊いと思った。

それと似た感動が、先日あったので、紹介したい。

たまたま見た記事で、作家の西加奈子さんがインタビューに答える中で、たぶんファンの方に向けて言っていた。

「私の言葉がしんどくなったら、捨ててもらっていい。私たちが取りこぼした人は、別の誰かが拾ってくれて、そうやって未来ができていく」

「たった一人の私に合った小説があるはずだ、と思って生きていくのが希望になる。私は、無限の選択肢のひとつでありたい」

↑こんな感じだったと思う。

私は、作家さんというのは「みんな私の本を読んで!私の本で元気になって!」みたいな想いが強い人たちだと思っていたけれど、それは違うのだと知った。ここでも、何か自分の出すものを ”どう使ってもらってもいい”という、なんていうかコントロールの無さに感動したのでした。

私は、noteを書くときに、「この言葉に励まされる人がいたら良いな」とか思ったりします。あなたのおかげで自分を好きになれました、とか言われてみたい。しかしそれは本当に、受け取り手次第やし、自分が読者をやってる時間に感じるのは、「刺そうとする言葉は、刺さらない」ということです。

なんか刺そうとしてる…という印象の言葉がまとっているのは、どこか自由な解釈を許さないような、硬さ。←私が勝手に読み取っているだけなので、結局そこに自分の姿を見ているのかもしれません。

相手にとってプラスになりたいという気持ちと、相手の心は掴みようがないという事実が、自分の中でうまく共存していったら良いなと思います。


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