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本を読めなくなったか否かの話

時折SNSで「昔はあんなにたくさん本を読めたのに、今は全く読めなくなってしまった」といった呟きを見かける。本を読めなくなった理由は、心身の変化や生活環境、インターネットの発達など、色々あるようだけれど、わたしはいつもそういった嘆きをフーンと他人事のような気持ちで見ていた。

しかし、いざ顧みると自分もそんな「本を読まなくなった人間」の一人なんじゃないかと一抹の不安を覚える。そもそも昔の読書量と今の読書量を比べて何になる、という感じでもあるのだが、事実だけを見るとわたしの読書量もかなりムラがあるのだ。

まずわたしは並行して複数冊の本を読む癖がある。それに加えて、漫画や本の中で得た情報(文献、他作品、歴史、事件、民俗学など)に興味を持ち、その情報を掘り下げるためにまた別の本を注文するという癖もある。だから読書をしていると、自然と本が増えていく。

そんな風に読書をしているうちに、今度は別のテーマに興味を持つ。もちろん、そのテーマにまつわる新たな本を注文するし、いつのまにか並行して読み進めていた本たちのラインナップも変わる。そしてその読書の中でまた新たな興味のあるテーマを発見、本を注文……この繰り返しを経て、現在も空高く積読ができあがっていた。

積読たちへの興味が薄れることはないし、過去に興味を持ったテーマに再びハマることもあるので、それらの本を絶対に読みたい気持ちはある。けれど、購入以降なかなか手を出さず積み上げたままの本も相当数あるのだ。それに、とんと本を読まない時期も定期的に訪れる。ダラダラと過ごすばかりで、本を読む時間はあるのに手を出さない、そんな時期が。そういうときは、本を全く読まない自分に焦る気持ちはあるけれど、無理に読んだって仕方がないと半分諦めてもいた。しかし、最近になってそんな自分の読書姿勢について分かったことがある。

あれはなかなか仕事へのエンジンがかからなかったある日のこと。その日わたしは寝覚めが悪く、鈍った頭でダラダラと仕事をしていた。いつもより時間をかけて午前分の仕事を終え、さあ午後分の仕事にも取り掛かるか…と思うも、残念ながらヤル気が起きない。午後分の仕事は午後からスタートしても問題ないので、一旦気分転換でもしようと近くにあった事件ルポの文庫本を開いた。そして、気づくと数十分かけてその本をするすると読み進めていた。びっくりするくらい、本が読める。読もうと思えば、いくらでも読めるんじゃないか、と拍子抜けた。

そしてこのときわたしは、自分が「本を読めなくなった人間」なのではなく、「本を読むのと同じくらい、ダラダラするのも好きな人間」なのだと自覚した。定期的に訪れる本を読まない時期、あれはわたしが好んでダラダラしていただけで、本を読む気力がゼロになっていたわけではなかったのだ。それを自覚してからは、本を読まない謎の焦りを感じることなく、ダラダラしたり読書をしたり、気ままな日々を送っている。

ちなみにここ数年で、自分がルポタージュ作品を好む傾向があると気づいたので、今は過去に起こったさまざまな事件のルポ作品を中心に本を読んでいる。そんなわけで、今後も読書とダラダラをほどよく両立していきたい。

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