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「うん」

0120からはじまる、フリーダイヤルから電話がきた。3秒ほど迷ったのち、電話に出てみると「◎◎保険会社です」と、冷静沈着な女性の声がした。またワンテンポ置いたのち、相手の存在を思い出し「あ、お世話になります、ヒガシノです」と返事ができた。

わたしは今年の7月に軽めの交通事故に遭った。きちんと交通ルールを守り、横断歩道を渡っていたところ、左折してきた車にはねられたのだ。幸い相手の運転スピードが遅く、車体で体を押される形になったため、大きな事故にはならなかったが、倒れまいと変に踏ん張ったため、腰を痛めることになってしまった。

そのとき加害者である車の運転手、そして被害者であるわたしは大変動揺し、わたしが一喝するという珍妙な事態になってしまったのだが…(軽めにはねられた話→https://note.com/me_ko/n/n9ef48dabd49e)
しかし、相手方はこの事件を重く受け止め、自ら警察署に行き、保険会社に連絡を入れ、誠心誠意お詫びをする姿勢を見せてくれた。そこで、わたしの保険会社との関係がはじまったのである。


事故後、わたしに電話をくれたのはテレビCMでもお馴染みの大手保険会社で、担当者は40代くらいの女性だった。非常に冷静な口調の方で、しっかりとマニュアル通りに仕事をするタイプの女性のようだった。この担当者とその後、何度かやり取りを交わすことになるのだが、その感情の起伏が少ない平坦な話しぶりに、いつも一抹の寂しさを覚えた。

そんな保険会社の担当者から、久しぶりに連絡が来たのである。もうすでにリハビリによる治療を終え、元気に生活しているわたしだったので、何事かと思えば、今回の事故の処理が間もなく終わるという連絡だった。つまり、相手との示談やら事故の認定やら、そういったものが完了し、これから最終手続きに移る…というようなことらしい。久しぶりに連絡をくれた担当者は、それを、いつもの冷静な口調で淡々と伝えてくれた。

それからわたしは彼女から何点か質問を受けたり、またわたしの方から質問をしたり…といったやり取りをした。彼女から連絡を受けるのは、これが最後かもしれないなあ。そんなことを思いながら電話をしていると、わたしとの会話のなかで彼女が「うん」と相槌を打った。
わたしは驚いた。
「はい」「えぇ」という極めて冷静な相槌しか打たない彼女が、まるでわたしの母親かのような優しい「うん」という相槌を打ってくれたのだ。わたしは妙に嬉しくなった。最後の最後に、二人の距離が縮まった気がした…が、きっと、自分の抱える案件の終わりが見えて、少し気が緩んだだけのことかもしれない。

そうして必要な確認を終えたわたしたちは、じゃあこれで電話は終わり、という雰囲気になる。わたしは何か彼女に声をかけた方が良いのか、迷った。しかし”事故”が接点となっているわたしたちは、あまり前向きな関係じゃない気がしたし、ちょうどいい言葉も見つからなかったため、普通にお礼を伝えて電話を切った。

そんな、「うん」という相槌に嬉しくなった話。(とはいえ、もう彼女のお世話になるようなことがないよう、願っている)

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