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「10年」…20年、30年…2024年

7つ8つ年下の仕事仲間と、仕事について話す機会があった。彼とは実際に会って一緒に仕事をしたこともあるし、緊張しやすい自分の中でも比較的気安い位置にいる人間ではあるのだけど、オンラインで30分ほどお話しし解散したあと、気付いたように重たい胃痛が起こり、それは胃薬を飲んでもしばらく消えなかった。しかも背中から胴回りはびっしょりと汗をかいている。汗で冷えたヒートテックが冷たくてかなわない。そろそろ克服したかと思われていた「人と話す時に起こる極度の緊張」は、思ったより治っていなかったようだ。比較的楽しい30分を過ごせただけに、このような体の反応は少し残念だった。

そんなわたしは今月から来月にかけて、複数回職場の人間と話をする機会を持つことになっている。気安い職場仲間でこの程度の胃痛なのだから、この後控えているものに関しては、今回以上にひどい胃痛が襲ってくるんじゃないかとドンヨリした気持ちになった。

さて、そんな風にしてわたしの2024年は始まった。
以前母が、「父が死んで以来、新年を迎えても”おめでとう”という気持ちになれない」と漏らしていたのを聞いてから、わたしは「明けましておめでとう」という言葉を何となく避けるようになった。たしかに、人によっては新年を迎えることが全然「おめでとう」じゃないことってあるもんなと、当時は妙に納得した。だからメッセージなどで、新年ですね、明けましたね、といった言葉を使うのは、これが理由である。
そして、1/12はそんな父の命日。彼が亡くなり今年で「10年」となる。父が亡くなったのはわたしが22歳の時のこと。あれから10年間、よく父を頼らずにやってきたものだと自分を褒めたくなるが、父がいないぶん周りの方々がわたしを支えてくれていたので、調子に乗ってはいけない。

父のことを思い出すと、決まって秋葉原の病院の一室・無菌室病室(クリーンルーム)で父と会った時のことを思い出す。(恐らく父は白血病だった)あの時の父は、万全ではない自分の身については何ら語ることなく、不安定な職についているわたしを心配したり、星新一の本が面白かったと勧めてきたりした。そしてわたしはというと、ビニール製の透明の服とキャップ、手袋、マスクを身につけ、なるべくヘラヘラしながら近況を話したはずだ。でも本当は、無菌室という場所に恐れおののき、自分が病原菌を持ち込んでしまわないかという不安でいっぱいになりながら、あの場所にいた。

父は亡くなる前日、熱を出した。そしてリビングにて風邪薬を飲み、寝室に行く前に母にこう言ったそうだ。「なんだか今日はよく眠れそうな気がする」と。父がこのようなことを口にするのは非常に珍しく、だから母はとても印象に残っていたのだとか。そして翌日、父はそうしてよく眠ったままこの世を去った。
この話は、父が亡くなったあと数年経ってから母から聞いた話だ。とても悲しいけれど、とても好きなエピソードだ。

そしてわたしは、10年経っても父のことを思い出すと普通に泣いてしまうし、そうして平気でメソメソしながらnoteを書く。8年前に亡くなった友人のことに関しても同様だ。この調子だと、20年・30年経ってもこの涙は枯れそうにない。そんな自分の感情に少しだけ安心する。

新しい年を迎えるたびに父のことを思い出せるって、結構いいことかもしれない。今年の命日もよく晴れていた。父が死んだその日も大変寒く、そしてよく晴れていた。

――そして最後に、2024年について。
わたしは目標を掲げるとそれが億劫になり、しかも達成もできないという残念な具合になるため、基本的に目標を作りたくないのだけど、今年は去年よりも音楽活動や発信活動がしたいなと思っています。なるべく人に迷惑をかけずに、楽しくやってみたい。
そしてみなさんもわたしも、なんとか生きていきましょう。

いつも漫画やエッセイを見てくれて本当にありがとう。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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