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経験則と本選び

何かを選択するとき、感覚で選んでいるつもりでも、それは過去の経験をもとに良し悪しや、好みを判断しているのだろう。
たとえば、この前古着屋で服を見ていたときのこと。ユニークな柄パンツが欲しいなと、ハンガーにかかった色とりどりのパンツを物色していると、頭の中に自分の声が聞こえてくる。
「この素材は静電気が起こりやすくて、歩いていると足にぺったり張り付いてしまうからナシ」「こっちの素材は見た目はいいけど、意外と伸縮性がないからシルエットがダサくなっちゃうんだよなぁ…」「この柄はすごく好み!でも今持っている服とは合わせづらそう」「…このパンツ、もしかして過去にこのお店で買ったパンツの色違いじゃない?」等々。わたしはそんな自分の声や意見を無意識に取り入れながら商品を選ぶ。そうすれば買い物で「失敗」することがないからだ。
結局その店で気に入るパンツは見つからなかったが、代わりに別の店で素敵な柄シャツを一着買った。それは今持っているシャツの中にはない柄で、少し変わった形の襟元が素敵で、てろんとした素材がわたし好みだった。もちろんこのときも、勝手に聞こえてくる自分の声をもとにシャツを選んだのだ。

考えてみれば、この“一見感覚で選んでいるようで経験則をもとに選んでいる”という場面は意外と多い。
化粧品を選ぶときもそうだ。
最初こそ、自分の好みや感覚を信じて、合わない化粧品を買ってしまったこともある。けれど、長い時間をかけて自分の肌質や肌色、髪色、嗜好や色の仕組みを把握したことに加え、各ブランドの化粧品の特徴や、過去に使用した商品のテクスチャといった知識が糧となり、今ではより短い時間で「失敗しにくい選択」「より自分にマッチした選択」をできるようになった。

アクセサリーもそうだ。
この形のピアスは邪魔になりやすいとか、耳たぶが分厚い自分にはつけにくいとか、このモチーフは自分の服装に合わないだろうとか、そういうことを購入前に判断できるようになった。

ただし、それでも例外はある。
それは「本」を選ぶとき。自分に合う本を選びたいとき、過去の経験がものを言わない…なんてことはザラにあるのだ。そしてそれは長年のわたしの課題でもある。
何十年と本を読んできて、第一段階としての判断は概ねできるようになった。それは、作者の文章が苦手でないかどうかだ。わたしは話し言葉が多く使われているような本や、フランクすぎる表現を多用する本が苦手だ。だから本を買う前は、必ず何ページか内容をチェックし、その本に苦手なテイストの文章が使われていないか確認する。
ただし、「苦手な文章が使われていない本=自分が好む本」であるとは限らない。好みであるかどうかは、実際に読み進めてみないと分からないのだ。だからこの確認作業はあくまで、本を購入するかどうかの最初のボーダーラインでしかない。

それから、裏表紙のあらすじを読んだり、目次を見たり、気になるフレーズを探してみたりと、時間をかけて本をチェック。過去に同じ作者の本を読んたことがある場合は、読んだ当時の印象を思い返してみる。これもまた、本を選ぶのが難しい要因のひとつだ。
作者は常に同じような作品を手がけるとは限らない。過去に自分が苦手と感じるストーリーを書いていたとしても、まったく顔つきの違う作品を手がけることもある。よって、たとえ作者自身に苦手意識を持っていたとしても、作品自体には興味をそそられる…ということは往々にしてある。だから極めて慎重に…ときには、ネタバレがない程度にネットのレビューを参考にしつつ、わたしは本を物色する。
そうして時間をかけて本を選んだのに、自分に合わなかった、ということは、ある。ありすぎる。本を選ぶって、あまりにも難しすぎる。

今月、すでに4冊の本が“次回、古本屋に売る本”用段ボール行きとなった。残念ではあるが、そんなふうにガッカリしてばかりでは悲しいので、この4冊がわたしの貴重な読書経験となり、自分に合う本を選ぶチカラ(確実性)をまた少し磨いてくれたのだと、そう信じたい。
今日は雨。ベッドに横になり、この前古本屋で買った本の中の1冊を読んでいる。今読んでいるものは、そこそこ面白そうな予感。今度はあの段ボールではなく、本棚におさまってくれる1冊になってくれますようにと願いながら、それを読み進めている。

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