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【小品】花盗人にはわからない



 夕風に乗って、どこかの家が味噌汁を沸かしている匂いが染むように頬を掠めて、顔を上げた。過度に熱せられ、おそらく吹きこぼれているであろうその熱くてすこし古いにおいの蒸気が、青く冷えた空気に溶け込んでじわじわと哀愁を滲ませていくのを細めた視線の先に認めながら、思わず「無理すぎ」と声に出す。こういう『団欒』の感じ、無理すぎ。気色悪いと言っても差し支えない。虚妄の敷地上に構想されているだけで、頓挫することが決まり切っている、自らデザインしていたはずの最大公約数的幸福の図面に対し感じていた哀愁に、矛盾していると自覚しながらも怒りのようなものが沸き上がり、胸に書き殴った激情(暴言)があふれそうになるが、意外なことにもそうはならない。いつだって箍は外れないのだ。
 売れない小説を書いている。いや、売れないというよりは筆があまりにも遅くて原稿料だけでは生活してゆかれず、ただ重版を願い続けるばっかりの、それだけの生活者だ。現状では到底生業とは言えない。生き易くもないのに人生の大事な部分を創作に預けられずにはいられない性分で、そのくせ人脈が大切な仕事だと分かっていても人嫌いを公言して憚らず、なのに初めて出した本に書店員が付けてくれたちいさなポップを貰い受け、後生大事にしているような人間だ。持たざる者として相応しいだけのみみっちさと、わざわざ特筆してまですがりたくなる幽かな優しさが同居するこの靄めいたからだを、他者を侮りながらも同時に自分以外の人生につよくあこがれているような、そんな凡愚の歪みがまがりなりにも放つ昏いひかりで以て、ただその輪郭を辛うじて個人と識別できる程度に可視化させているだけ。つまりこの世界に投影されているだけの、いてもいなくても同じ影である。これを世相的に、陰キャと呼ぶ。
 三十一歳、独身独居。徘徊癖あり。不審者として通報されることを虞れ。
 ネタ出しと称した行為ではネタは出ないと経験上痛感しつつも、ネタ出しのためと銘打って夕暮れどきに散歩に出掛けるのが日課となってから久しい。なのにいまだ真っさらなページが過分に残っているネタ帳に書き留めるだけの言葉をなかなか捕まえられないのは、インスピレーションを言語化する才能に乏しいからだろう。デスクに向かえば物語を構成する文章を幾らでも書き込むことはできるが、核がなければ外殻を繕うことなど到底できやしない。あの頃の流れるようなタイピングが止んでしまったのは、書けることのすべてを書いてしまった実感が僕の頭上にじっとりと暗雲のように立ち込めたからだ。
 僕は書いてしまった。君とのことを。だから天井がよく見える。そこには観測すべき星はない。星明りがないから、僕の影は曖昧で薄い。
 駅前の再開発の終わった石神井は風通しがよく、なぜか僕の創作意欲を薙ぎ倒す。ロータリーに蟠る北風の圧が、電車もバスも使わない僕の来訪を拒絶するかのように僅かな砂粒を巻き込んで叩きつけてくるものだから、足早に通り過ぎようと太い一歩を踏み出そうとした途端、足許になにやらビニールごみが纏わりついてきた。不快物を蹴り飛ばすような挙動をしてみても一向に剥がれないそれを、観念して拾いあげてみると、『あんこぎっしり』を謳うあんぱんの包装フィルムだった。すぐ後ろにあるコンビニを振り返るが店外にゴミ箱は設置されておらず、記憶を手繰り寄せてみても駅改札内にしか自由投棄できるゴミ箱はない筈である。仕方なしにそのあんぱんの袋を小さく畳んでズボンの尻ポケットに押し込むと、形だけ手の塵を払う動作をして再び歩き出す。行く宛がないから散歩というよりは徘徊と呼ぶに相応しいこの運動は、申し訳程度のカロリーを消費しながら、気分次第の打ち切りどきを迎えるまで、帰りたくなるまで、続く。
 石神井公園といえば金持ちの邸宅の並ぶエリアだ。大ヒット作品を生み出し続けたり継続させ続けたりする漫画家や作家の住処があることで名が知れており、実際に公園周辺へ寄ると瀟洒な住宅群が広がっている。便宜上小説家を名乗り、尚且つ石神井在住と言うと、期待に満ちた視線を向けられてしまうので、その類いの質問にはいつしか「練馬の辺りに住んでいます」と曖昧な返答をするようになった。しかし品の良い別荘地のような空気感が広がるのはごく一部であり、駅前の再開発の手から僅かに漏れ出た区画には23区にありがちな、小汚くて狭っ苦しい、栄えてもいない繁華街が伸びている。こういった東京の侘しさを凝縮したような路を歩くのが、僕は好きだ。小奇麗に整えられ、テラスだのガラス壁だの観葉植物だのがつるつるとした質感のかがやきを放ち並んでいるエリアよりもずっと妙味がある。ネズミとゴキブリが血のような斜陽へ向かって駆け抜けていく、その生命の漲りを。それら地下生活者に較べてハリもツヤもない緩慢な魂で、それでも動き続けるヒトビトを。その生きた寂寞を喰らい続けていたい。ディストピア飯にだって栄養はあるのだ。
 190円、と激しく主張するチェーンの安居酒屋。本当に大手なのかと疑いたくなるほど古ぼけた内装の100円ショップ。二号店ができたことを拙くもかわいらしい手書きの日本語で宣伝するインドカレー屋。根強い顧客がいるのか土地持ちなのか、暗い蛍光灯下で営業を続ける婦人服店。外装内装だけ都会的で、立て看板に貼りだされたメニュー表を見れば、ただのオヤジ臭い焼き鳥屋。白衣の老人がトイレットペーパーの品出しをする薬局前には、塗装の禿げたゾウのマスコットが佇む。地域密着型の不動産屋。そのすぐそばに大手の不動産屋。公園住みの奴らよりもアングラ趣味なのかジャンクフード好きなのか、鳩が歩いて。ピンと尾を立てた猫を認め、申し訳程度に羽ばたいて、着地して、歩いて、跳んで、逃げる。じつのところその橙色の猫は鳩に興味がない。まるで夢の島の一部のように停められた自転車群を整理するシルバー雇用の蛍光色ベスト。条例に反することで生じる厄介事を疎ましがってか、きちんと店前でしか客引きをしない安キャバの黒服。
「お兄さん、落としましたよ」
 そういうテクニックなのかと思いつつ振り返ると、蝶ネクタイをした黒服が僕の三歩後ろ辺りを指差していた。見ると、先ほどのあんぱんの袋である。ああ、と曖昧な返事をして拾おうとすると「あ、ゴミだったんだ。ごめんね」と『あんこぎっしり』の文字を認めたらしい彼が言った。
「捨てよか? 貰うよ」
 気のいい返事に頷きそうになるが、セールストークを浴びせかけられる可能性もあるのだと思い当たり、いやあ、と間延びした声が出る。すると黒服は僕の懸念を察したのか「呼び込まないよ。お兄さん性欲なさそうだし、それって元気ないってことだし、ウチうるさい女しかいないし。そこが売りではあるけど」と言って、手のひらを差し出してきた。
「でもまあぎっしりあんぱん食えるならヨシ。でしょ」
 キャッチらしくよく回る口から放たれた言葉に、吐胸を突かれて黙り込む。それ僕のあんぱんじゃないんです、のひとことが言えず、細く吐いた息が心電図のように振れた。
「おお、どうした。しんどいタイムだった?」
 僕の手からちいさく畳まれた袋を取り上げた彼が、上背を屈めて僕の顔を覗き込んでくる。黒服兼用心棒なのではないかと思われるほどぶ厚い胸板には似つかわしくないような、ごく柔らかな態度で接してくれたことへの対価として店に入ってやりたくなるが、黒服自身は僕を客として迎え入れる気がさらさらないのか、「一杯飲んでいく?」ではなく「ちょっと一服しない?」と提案した。
 都内ではバタバタと喫煙所が死んでいっているのにも関わらず、通りに面した店へと延びる階段に座り込んだ彼は、堂々と紙巻に火を点けた。毛足の長い布張りの階段は赤く、長年踏みつけられへたっているだろうにやけに柔らかい。彼の『セッタ』を一本と、火を貰い、辞めていた煙草をちょびちょびと吸い込むと、有害成分があわただしく喉を刺して咳が洩れた。しかし黒服は吸えないのとも禁煙してるのとも言わずに、ただ片手でパンツの裾から覗く派手な靴下を直している。ぴかぴかに磨かれた革靴から生えているのは笹と虎……ではなく笹とパンダだ。僕の視線に気付いたのか、彼は「中華街のお土産」と言って笑った。そういえば、石神井公園から元町・中華街へは電車一本で行くことができる。
「嬉しいよねえ、俺みたいなデカブツが履けるくらい大きいサイズがあるなんてさ」
 そう言うと、彼は29センチ以上となるとどの店にも履けるサイズの靴と靴下が置いていないのだと嘆いた。31センチなら尚更。なので彼はスポーツブランドの通販でフットフェアを購入しているらしい。しかし同じ境遇で苦しんでいる人たちも同じことを考えているのか常に品薄で、セールに出されるようなデザインのスニーカーばかりが靴箱に収まっているのだという。今履いているジャストサイズの革靴はアメリカ人である祖父から譲り受けたものだとか。
「モノがあるだけ感謝だけど、これは! ってのがあると嬉しいよね、人生」
 彼の指がくるぶしのパンダをやさしく撫でる。瞬間、そのさまに激しく胸を締めつけられた。彼にとっての「これは!」がその笹を抱いたパンダなのだと思うと、強烈に愛おしかった。愛おしいと思うことが悲しかった。悲しくなるのはかつて幸福があったという事実、つまりたったいまの不在への悔悟からだ。濡れた人中がつめたくて、鼻と口をひとまとめに握りこみながら蹲った。
 彼女には「これは!」というものが無かったのだろうか。そして「これは!」が僕ではなかったという事実が、既に苦しい心臓に突き刺さり、震え、鳩尾のあたりを気持ち悪くさせる。
 黒服はもう「どうした」とは言わなかった。ただ携帯灰皿の縁で器用に僕の灰をすくいとった。
 与えられた穏やかな沈黙のなか、僕は急いで泣いた。彼が促さないことを知りつつもこの場で済ませてしまいたかった。一生分の後悔。もう泣かないと思うこと。まだわからないと思いなおすこと。とどのつまり、僕は彼女のことを忠実に書きすぎたのだ。彼女は僕が鋳造した軽量金属の外殻を纏いそらに打ちあげられ、彼女そのものとして外宇宙へと消えた。もうないからもう書けない。手元に残した書店のポップにだけ残る彼女の片鱗。それがあるということは僕の喪失を知ってくれた誰かがいたということだ。すこしだけになってしまった彼女が彼女のかなしみごと残留している。それを許容し砂金のように愛で続けるのか、或いは。
「僕は、小説家で。石神井に住んでいます」
 僕の唐突な自己紹介に、黒服の彼はそっかあ作家さんなんだ、と煙草を揉み消しながら頷いた。「で、お名前は?」……そうだ、肝心なことを忘れていた。僕はもう、彼女と一緒に消えてしまった気になっていたのだ。
 久々に名乗ると、胸の裡で熱膨張しながら潜んでいた厄介な衝動が旧冷却され吹きぬけていくのを感じる。きっと彼は僕の名をグーグル検索したりしないし、書店で見掛けたとしても名の刻まれたそれを手には取らないだろう。ただ「お、いるな」と認めるだけに違いない。息を吹き返した僕はその眼差しを受けて再び世界に照射される。もう影などではない。
 別れ際、彼は「あのあんぱん、あの角のスーパーだと安いよ」と教えてくれた。さようなら、と告げようとすると、彼は流暢な発音で“see you again!”と言って手を振ったので僕もそうやって返し、再び歩き出す。彼の言うスーパーでは本当にあんぱんが安く、白いワゴンに堆く積まれていたのでひとつだけ買って家を目指す。帰ったら僕は手を洗い、君の前でパンを半分にちぎるだろう。君が消えた悲しみは、たとえ君が生き返ったとしても繕うことはできない。だからこそ僕たちは一緒には逝かれない。すくなくとも、「これは!」というものを見つけた君を書くまで。そして書き終えたら、一緒に元町・中華街行きの電車に乗ろう。




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