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まずはスーパー銭湯に行こう。失踪した人間は銭湯に潜伏する可能性が高い。なぜなら、全員裸で見分けがつかないからだ。  2021/03/12

 あなたは、長らくメンターとして伴走していたプロジェクトのプレゼンに赴く。なかなかすんなりとはいかない状況に試行錯誤していたが、そもそも脇役の立場で諦めるという選択肢はないので模索するしかないし、何よりも可能性を感じているので頑張りたいのだ。そして、初めて大きな手応えを感じる。握手。

 心地よい達成感を感じながら会社を出て歩いていると、プロジェクトの全体運営をしてくれている方と偶然すれ違い、盛り上がる。彼はとても喜んでくれていたので、あぁ、やっぱり喜んで良いことなんだなと嬉しいが喜びに変わっていくようなそんな変化を起こしながら、そういえばしばらく芋焼酎のストックが切れていたことを思い出す。一人で祝杯をあげたい気分になっていたのだろう。

 酒屋の様子を外から伺うと、魔王が入荷しているとのこと。ただし1升瓶は同じ製造者の他の焼酎とセットのものしかないという。なれば、それを買うしかあるまいと、はからずも焼酎を2升買うことになった。焼酎を2升買う経験というのは、意外とないもので、これは恐らく人生初なんじゃないだろうか。

 店を出たあなたの右手にはそのまま持ち運べるように堅く結えられた2升の焼酎がぶら下がっている。持ち帰るには重いのではないか、気をつけて、と酒屋のおかみさんに気遣われつつ見送られながら、普段買って持ち帰っている本の量を思えば、2升の酒などまだ軽いものなのだな、ということに気がついた。そして、その姿がはたから見るとちと奇異な姿であることにも気がつく程度には大人になっていた。しかし気がつくと、気にするはまた異なるようで、意気揚々と帰路についた。

 木下古栗『金を払うから素手で殴らせてくれないか』読了。楽しい週末のスタートを寿ぐ。

 咲子は俗に言うIT業界に身を置いており、それも私のごとき匂い立つフェロモンだけが取り柄の無能な三文OLではなく、何か難しいソフトウェアの開発に携わるほどの高度な人的資本をそなえた技術者である。
木下古栗『金を払うから素手で殴らせてくれないか』P.18

 相変わらずの人を食ったような文章がクセになる。何故こんな一文にグッとくるのかは書いていて自分でも苦笑する他ないが、あなたにはこういうフレーズに古栗らしさみたいなものを感じてしまうのだから仕方がない。それでは古栗らしさとはなんなのかと問われるとこれまた説明するのが難しいのだけど、そこはかとなく漂う人を食ったような雰囲気のようなものだろうかって、段落の冒頭にも書いていることを繰り返してしまう。

 表題作の「金を払うから素手で殴らせてくれないか」は失踪した米原さんを、米原さん自身と探しにいく不条理劇。

 「米原さんは米原さんのご自宅の場所とか知ってます?」「いや、失踪したんだから風邪なんかのわけがない。まずはスーパー銭湯に行こう。失踪した人間は銭湯に潜伏する可能性が高い。なぜなら、全員裸で見分けがつかないからだ。ちょうど割引券もある」
木下古栗『金を払うから素手で殴らせてくれないか』P.125

 不条理劇というのは非論理的な世界と思われがちだが、極めて論理的な側面を持っているというか、ある論理が支配してしまう世界とも言えるな、なんてことを思う。だって、「失踪した人間は銭湯に潜伏する可能性が高い。なぜなら、全員裸で見分けがつかないからだ。」というのは極めて論理的であるからだ。全員裸で見分けがつかないのであれば、潜伏先としては極めて合理的なのだから。酔っ払いながら酔っぱらったような本を読む、酩酊。




 


 

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