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小さなものの積み重ねがだんだん大きくなっていくのが実業の特徴で、必ず理論的な裏付けと経験と実績によって成り立っていくものである。確実にどういう方向でなにをするのかをわかってやっていないとかたちができあがらない。 2020/10/31

 最後の夏休みが終わり、土曜日。夏休みと言いつつも昨日は仕事をしたりしたせいで休み感はなかったのだけど、今日は、休みだ。朝からだらだらと飲み始め、読み始め、過ごした。昨日の来客に向けて片付けた部屋も綺麗だ。とてもいい土曜日。

 若林恵『さよなら未来』やっとこさ読了。10月はチマチマとこれを読んでいた。もっとさっさと読み終えているはずが、家を買ってしまったもんだからそれ関係の本に脱線してしまったのだった。

 自分になんの感動の体験もない人間が、もっともらしく「ユーザー・エクスペリエンス」を語り、数字しかあてにできない人間がしたり顔で「顧客満足」を論ずる。それによっていかに多くの現場がモチヴェーションを奪われ、クリエイティビティが削がれ、結果どれだけ多くのリスナーが離れていったことだろう。そりゃそうだ。そんな連中がつくったものにいったい誰が感動なんかするもんか。
若林恵『さよなら未来』P.93

 これはまぁなんと言うか、企画考えたりするときは数字しかできない人はしんどいと言うか、周りのクリエイティビティを削ぐなぁと思うことが多い。アイデア出すときはポジティブに楽しく、数字の検証はひとしきり考えてからでよい気がする。

 完全無欠にして最終的な「正解」が未来にはある、と考えることこそ最も危険な未来論である、というのが最近のぼくのお気に入りの未来論だ。長い過渡期にあってすべては過渡的だ。なので、どこまで行っても問題は常にある。ということは見出されるべき解決策もその都度あるということだ。そしてそれを探すのは、ほかでもない、ぼくら自身なのだ。
若林恵『さよなら未来』P.217

 なんかしら正解があって、聞けばわかる、調べればわかる、と思っている人は多くて、それこそ、間違わずにやれば正解に辿り着けるとい思っていたりもするけれど、正解なんてものは流動的だし、複数の解もあり得るし、そもそも何に対する答えなのかで答えの意味も変わってきてしまう。問い自体が間違ってると正解は地獄への片道切符になる。まぁ一人で向かってく分にはいいけれど、巻き込まれるのは勘弁してほしい、ってなるし、逆に間違えると多数のスタッフを道連れにしてしまうので意思決定ってのはめちゃめちゃ重要でおっかないことなんだぞって思ったりもするわけだが、なんてついつい仕事のことを考えてしまう。

 死の一週間前、デヴィッド・ボウイは盟友ブライアン・イーノにあてて一通のメールを送ったという。「楽しい時間をありがとう、ブライアンそれは決して朽ちることはない」と書かれたそのメールは、「Dawn」(夜明け)と署名されていたそうだ。
若林恵『さよなら未来』P.276

 デヴィッド・ボウイが好きだ。ただそれだけなんだけど。1984部限定のデヴィッド・ボウイ展の図録持ってる。ただの自慢なんだけど。往来堂書店で買ったんだよ。音楽の雑誌と同じ棚に並んでてうひゃーってなったのがいい思い出。

 ベスタクスの社長、椎野さんのことはこの本で初めて知った。

「ベスタクスは実業である」。そしてこう続く。
「小さなものの積み重ねがだんだん大きくなっていくのが実業の特徴で、必ず理論的な裏付けと経験と実績によって成り立っていくものである。確実にどういう方向でなにをするのかをわかってやっていないとかたちができあがらない。それに比べて虚業というのは、ある一瞬のひらめきとかアイデアが時流に乗ったりすると膨大な規模のことを短期間にできたりする。(略)製造メーカーが一ヶ月に1,000個つくっていたものを2,000個つくるためには、必ず倍の器、または時間と労力が必要となるし、次の月にも2,000個つくろうとしても器がなくては出来ないから努力だけではできない。
だから、実業と虚業の差を正しく理解していないとだめなのだ」
若林恵『さよなら未来』P.276

 これもいい話だよなぁ。なんだかんだいい話が多い。コンテンツを作って服を仕入れたり、作ったりして売る商売は実業の手応えがある。難しいけど面白い。

 「都会は、少年がそこを歩くだけで、一生なにをやって過ごしたいかを教えてくれる場所だ。」
 そう言ったのはルイス・カーンという建築家で、ぼくはこのことばが大好きだ。
若林恵『さよなら未来』P.340

 ルイス・カーンに関する本は、リノベをお願いする建築家の方からもお勧めされていたので思わず目に飛び込んできた。

 ジャニーズのタレントを使えば、そりゃジャニーズファンは買うんですよ。でも、買ってるのはジャニーズファンで雑誌自体のファンじゃないんですよね。で、そこに体質的に依存した結果、雑誌自体のファ ンペースが空洞化するということにどんどんなっていく、それをまったく求めてない読者者に向けて、 ただ人気あるだけのタレントを投入することのビジネス上の合理性っていったいどこにあるんですかね? そんな戦略が行き詰まるのは、あらかじめ見えてるじゃないですか。で、それをちゃんと反転させようと思 ったら、コンテンツの本質的な部分から現実的に考えて、ネタの仕入れ戦略を見直すというのはいい手なんです。だって、何十年来露出し続けてきたタレントを使って、「新しい感覚」を表現することなんてできないし、それがなければ「新しい読者」を獲得するなんてできないに決まってるじゃないですか。
 そうやって既存の「可視化されているマーケット」にばかり依存することで、日本の雑誌力ルチャーは結果的に、「人頼み」のプロダクトばかりが増えてしまって、取材対象者でも、筆者でも、イラストレー ターでも、写真家でも、ちょっと人気が出ると、みんなで一斉にそれに群がって食い尽くしてしまうんですね。しかも、食い尽くしちゃうスピードがどんどん早くなっているので供給というか仕入れが追いつかなくなってしまう。希少性があったから高く売れていたものを、ひたすら消費していったら、そりゃ価値はどんどん下落していきますよね、あたりまえの話ですけど、あらゆる人が知ってるものとか人っていうのは露出が増えれば増えただけ、出演料はあがっても、コンテンツとしての情報価値、クレディビリティは下がるんです。
若林恵『さよなら未来』P.472

 これはPOPEYEのリニューアル際して、ジャニーズのタレントを使わないという編集方針にしたという噂をもとにしたお話なのだけど、この辺はメディアの特性というか、ターゲットの設定によるわな、というだけの話のようにも思える。媒体のターゲットがジャニーズ好きそうなマス狙いならそれは必要なことだろうし、意外とちゃんと考えて取捨選択しているような気がしないでもないぞ、と。人気になるとあっという間に消費されるってのは本当にその通りで、メディアもだけど、タレントやカメラマンなどにとっても厳しい時代だなぁ、と思うなど。一瞬で飽きられる。

 しかし日本の雑誌カルチャーと人頼みはよく考えるとよくわからん部分もあるな。まぁなんというか、こういうWIREDはイケてて高尚でハイエンドでカルチャーなんでそこら辺しっかりやってまっせ、みたいなノリはあんまり好きではないんだと思う。実際、イケてて高尚でハイエンドでカルチャーなんだろうな、とは思うけれど。結局読みながら色々と考えたりしてしまうので読むのに時間もかかったのだろうし、いざ振り返りながら書き始めるととても疲れるのだけど、それだけいい本だったということなんだろうな、などと思う。

 頭が疲れたので先日見つけた荒木経惟『包茎亭日乗 完』をパラパラと。写真と手書きの日記。『噂の真相』に連載されていたもので、2001年の元旦から、2003年の年末まで。20年近く前の話なのだけど、自分も生きて通過していた時代なのだが、リアリティがない、というかなんというか違和感。もうこういうのがもてはやされる時代じゃないよな、というそんな感覚。

 最近朝から飲んでいると、その日のうちに二日酔いになる。さっさと寝た。


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