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#11 太宰治全部読む |匣の中に、希望は残されている

私は、太宰治の作品を全部読むことにした。

太宰治を全部読むと、人はどのような感情を抱くのか。身をもって確かめることにした。

前回取り上げた『惜別』では、第二次世界大戦によって日本文壇が衰退する中、太宰が何を願いながら小説を書いていたのか、想いを馳せる読書だった。

第11回目の今回は、『パンドラの匣』を読む。

本書に収められている「正義と微笑」と「パンドラの匣」はいずれも、太宰が知人の日記を素材にして執筆した作品である。果たして、どのような小説だろうか。



太宰治|パンドラの匣


「健康道場」という風変りな結核療養所で、迫り来る死におびえながらも、病気と闘い明るくせいいっぱい生きる少年と、彼を囲む善意の人々との交歓を、書簡形式を用いて描いた表題作。社会への門出に当って揺れ動く中学生の内面を、日記形式で巧みに表現した『正義と微笑』。いずれも、著者の年少の友の、実際の日記を素材とした作品で、太宰文学に珍しい明るく希望にみちた青春小説。

あらすじ


本編に入る前に、太宰のお茶目(?)エピソードをひとつだけ。

熱海の旅館で檀一雄と遊んでいた太宰だが、気づけば無一文になっており、金策のために檀一雄を人質として宿に残し、東京の菊池寛を訪ねることになった。

「走れメロス」のセリヌンティウスよろしく、ひとり取り残された檀だったが、いくら待っても太宰が帰ってくる気配がない。宿の人に事情を説明し、東京に太宰を探しに行った。

太宰がいそうな場所ということで、井伏鱒二の家を訪ねた檀。そこには、縁側でのんびりと将棋を指す太宰の姿が……これが「走れメロス」だったら、最悪の結末である。走れ太宰。


さて、『パンドラの匣』は今回が初読だった。

あらすじを読んだときに、思わず「来た来た!」と手を叩いた。実在の日記を題材にした小説。『お伽草紙』の回でも書いたが、太宰が最も得意とする執筆手法のひとつである。


実は戦後の名作『斜陽』も、太宰の愛人・太田静子の日記を題材にして書かれている。太宰といえば”日記文学”、そう言っても過言ではない(?)。

ちなみに太田静子の日記は『斜陽日記』として出版されており、読むことができる。いつか読んでみたい作品のひとつだ。


本作『パンドラの匣』には、「正義と微笑」「パンドラの匣」の2作品が収録されている。

2作の共通点として、どちらも他者の日記・手記をもとにして書かれた小説であることは既に述べた。それに関連し、どちらも日記形式・書簡体形式で書かれていることも挙げられる。

さらに、戦後の太宰作品に顕著な鬱々とした雰囲気がなく、比較的明るくて初々しい青春小説になっている点も興味深い。実在する知人の日記を下敷きにしたことが、作風に影響を与えているのかもしれない。



正義と微笑

1942年に執筆された書き下ろし小説。とある知り合いの演劇俳優の、10代後半の日記を題材にして、太宰の心情・思想・創作をブレンドし、書き綴った作品だ。

どこまでが実際の日記の内容で、どこからが太宰の創作・幻想なのか、その境界線を想像しながら読むのが楽しかった。

おそらく、主人公の芹川が役者としての道を切り拓いていく過程はある程度事実に即しているものの、芹川の思想や行動原理は太宰による創作が大部分を占めていると思う。

ただ、途中で出てくる「すべての食べ物の中でパイナップルの缶詰の汁が一番美味しい」というくだりは、事実なのではないかと個人的に睨んでいる。


真の善者は他人に善行をひけらかさない、「微笑もて正義を為せ!」という言葉が、太宰が最も伝えたかったメッセージだろう。他にも、学問に対する考え方について、印象に残った文章があったので引用する。

学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。

p19より引用


作品全体を通じて、主人公・芹川の”微妙な人物造形”がとても良かった。

大学の同級生の軽薄さを見下す”大人な”一面がある一方で、兄に対して揺るがぬ信奉を持つブラコン気質、未だ世間知らずの初々しさが残る”子供の”一面も見られる。

後者の初々しさが、作品に生き生きとした明るさをもたらしている。特に、芹川が斎藤氏に弟子入りしに行く場面のやり取りや、劇団の入団面接のシーンなんか最高である。


ちなみに、太宰作品好きとして知られている森見登美彦氏が、『奇想と微笑』という太宰傑作選を編んでいる。本作「正義と微笑」をもじったタイトルだ。

本作は、森見さんらしく「ヘンテコであること」「愉快であること」に主眼を置いて、太宰の短編を19編集めている。どれもクスリと笑える小説ばかりだ。ユーモアに満ちた太宰作品を読みたいという方に、入門書として最適である。



パンドラの匣

1945年、戦後最初に書かれた長編小説が、この「パンドラの匣」である。

肺結核を患う20歳の青年の、闘病日記を下敷きにして書かれた作品だ。太宰には珍しく新聞連載の形で発表されており、主人公・ひばりが親友に宛てて書いた手紙の体裁を取る、書簡体小説である。


本作で描かれているのは、20歳の青年の、不器用で甘酸っぱい恋愛模様である。「これ、本当に太宰作品か?」と疑いたくもなる、希望に満ちた明るい作品だ。

「パンドラの匣」とは、ギリシャ神話に出てくる有名なエピソードである。作中でも、その大まかなあらすじが紹介されている。

君はギリシャ神話のパンドラの匣という物語をご存知だろう。あけてはならぬ匣をあけたばかりに、病苦、悲哀、嫉妬、貪慾、猜疑、陰険、飢餓、憎悪など、あらゆる不吉の虫が這い出し、空を覆ってぶんぶん飛び廻り、それ以来、人間は永遠に不幸に悶えなければならなくなったが、しかし、その匣の隅に、けし粒ほどの小さい光る石が残っていて、その石に幽かに「希望」という字が書かれていたという話。

p231より引用

禁忌の箱を開けてしまったことで、ありとあらゆる苦難が世界を覆い尽くしてしまった。この状況は、まさに本作が執筆された当時の日本の、戦争に敗北し、絶望に支配されていた境遇と重なる。

しかし箱の隅っこには、わずかばかりの「希望」が残されていた。太宰が本作で描きたかったのは、まさにこの部分だったのではないかと思う。

死と隣り合わせの結核療養所で、それでも日々を精一杯に生きる患者たちを描くことで、生きていくことの意義や目的を失った当時の日本人に、1日1日を生きることの尊さを訴えかけている。そう感じた。


太宰は、日常の何気ない”細部”を文学に引っ張り上げるのが、非常に上手い。

例えば、お櫃のご飯がいつもより一杯分だけ多かったときの、看護婦の気持ちを推察する場面。ともすれば、看護婦本人ですら無意識に見逃してしまうような細かな感情を、巧みに掬い上げ、文学にしている。

若い青年の複雑な恋愛感情の、細部に宿る文学の可能性を見逃さない。それをユーモラスに、しかし軽くなりすぎないように、絶妙な塩梅で描く技量。やはり太宰はすごい。


本作のような、明るい雰囲気の太宰作品をもっと読みたいという方は、『走れメロス』という短編集がおすすめだ。

太宰の芸術的才能が開花し、のびのびと自由に執筆された作品が、多数収められている。ぜひこちらもチェックしてみていただきたい。



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