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【愛着障害の克服】当たり前を疑う…そのまえに必要なこと!

こんにちは、やつ子です。


自分の人生を
他人の価値観で生きている


この1文を読んでどんな風に思いますか?


私は愛着障害の克服のために、自分と向き合う心の作業を日頃から行っています。

今日は “当たり前を疑え” について書いてみます。

簡単なようですが…
忙しく過ぎていく日常で、その当たり前を疑うこと出来ますか?



冒頭の1文、これは私が普段から読んでいるブロガーさんが先日書かれた言葉です。


主体性を持っている。
自分で決断している。

私は自分のことをそう思っていました。

普通の人は、いちいちそんなこと考えたこともないと思います。


私は以前、息子の発達障害のことでカウンセラーさんに相談したときに、“自己決定” の話で「ところでお母さんは自分で決めていますか?」と聞かれたことがありました。

母が隠れ毒親だったとしても、私は自分の人生に主導権を持って生きてきた!

と思っていました。
そう思いたかったんだと思いますが…。



自分の人生を
他人の価値観で生きている

今なら、「そうでしょうねぇ~」って思います。


子どもの頃から知らない内に
“こうあるべき” “こうあってほしい” という周りからの視線の中で身に付けた無意識の価値観。

私はこれを疑ったことがありませんでした。


もちろん反抗期はありました。
母のやり方は間違ってると思ったこともたくさんあります。

でもそんなことでは足りないぐらい、無意識に刷り込まれた無数の “当たり前” が染み付いていました。


当たり前を疑うためには、まずは自分の気持ち…本音に気付かないといけません。


しょうがない
仕方ない
言ったってどうせわかってくれない
私さえ我慢すれば

こんな言葉でごまかしていると、自分の本音に気付きにくくなってしまうのですが…


でもこの言葉があったから、これまでやってこれたというのも事実です。

意地でも見栄でもカスカスのプライドでも、自分を頑張らせてくれた言葉たちです。


新しい気付きを得たときに、それが出来ていなかった過去を否定しないことも、愛着障害の克服には大事なことだと思うようになりました。



当たり前を疑う…まずは自分の本音をスルーしないところから始めています。


それではまた(^-^)/






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