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健康地獄からの生還

※因みにヘッダーはヨーグルトホエイから作ったカッテージチーズです。


家族で生活をしていますと、毎日のことで、どうしても気を抜きたくない事があります。そのひとつに、食事における「体調管理」いわゆる、家族を健康へ導くために、各種メディアで取り上げられるとスーパーから消える系のものはとりあえず試してみたくなってしまうのはわたしが「お母さん気質」今っぽく言えば「お母さん属性」だからなんでしょう。ま、他のお母さんたちも同じだと思います。

例えば、酢玉ねぎが流行れば、わたしは一生懸命玉ねぎを切り刻み、あれこれ活用術もないまま作っちゃって、毎日使うわけでもなく、作ったという事に満足し、容器からなくなった頃には忘れてしまい。その容器はやがて棚の奥へしまわれ、次の新しい手作り系健康食品のブームが来るまで、はたまた酢玉ねぎの再燃が来ない限り、出番の少ない食器たちと一緒に暫しの休暇をとる運命なのです。きっと「お茶碗さん、ごめんなさいね。あなたたちは朝晩忙しそうにしているのに私だけこんな所でのんびりしちゃって。」なんて聞こえてきそうです。多分それは幻聴ではなく、私の心の声なのかもしれません。ま、その理由もおいおいお話し出来たらいいなとも多います。しかし、なんてかわいそうな容器なんでしょう。いやいや、そうじゃなくて、酢玉ねぎとは一体何に効果があったのでしょう。今となっては思い出すのに難しく、脳みそを雑巾の様にぎゅーーっと絞っても、一滴も出てこないような浅い知識と印象で。わたしの頭の中は忘却の世界なのです。いや、そうではなく、このような「健康」というのは、わたしに於いて、“流行り”であって定着しないので“文化や生活”にならないのです。では何を持って生活や文化になっていくのでしょう。


求めているという事

生活に欠かせないのが所謂【衣食住】でしょう。子供でも本能的に欲します。その中でも今回は「食」のテーマになりそうなので、簡単に当たり前のことを書きたいと思います。


「腹が減ったら食う!」

ズコーーーっ(一人二役)


とまあ、随分と語りたがりな口調で始まったのに、結局こんなスタイルに着地してしまった現代を生きるわたしのお笑いセンスゼロさ加減をお許しください。でもベーシックなことは生活、食事、この場に於いてはお笑いセンスについても、大事じゃないかと思います。いや、思いたいのです。

お腹減ったな ≠   なんか食べたい →  なんか美味しいものを食べたい 

お腹が減ったから食べる、ということが実はなくなってきているわたしの生活。全ては時間で管理して時間の訪れがわたしの行動を決める。時に支配されている!また脱線して違う世界観になってきたのでやめますね。そうなってしまうと、体調の良し悪しに関わらず時間通りに食事を提供することがわたしの仕事でありそれもまた健康な食事の一つだと信じているところがある。なので「お腹が減ったから食べたい」という感覚よりも「なんか美味しいものを食べたい」が上位になっている。遂には「健康なものを食べなきゃいけない」という強迫観念さえ生まれてくる。それだけに重きを置いてしまったら最後、とんでもないものが食卓を飾る。健康に良いからといってそれは果たして体が求めていたものなのか? いいえ、脳みそが取り込んだ知識がそうさせただけなのだ。もともと食べていたものに、そういう効果があった、というなら知識をほろってしまっても食べることだけは続けられるが、知識から入ってしまうと、本能的に求めることが困難になってしまって、その結果続けることを諦めてしまう。ここまで、本当に普通のことしか書いていない自分を呪います。

健康なものを食事に取り入れたくて前述の酢玉ねぎや他にも名前を出したらきりがない位、いろいろなものに手をつけてきました(皆さんの頭の中にも何個か名前が出てきている事でしょう)。その度に、何の効果も得られないまま一回でやめて行くという、子供のお手本にならない事を繰り返し、無様なお母さんの上塗りを続けています。それらの名前を成仏させてあげられるわけでもなく、健康知識だけを在庫ストックの様に後生大事にし、知識だけでは血管も柔らかくならなければ、燃焼系にもならない。そしてそれらを念仏の様に唱え、叶わなかった一つの憧れ「健康的に生活する」を叶えられないまま、わたしは不健康が原因で死に至り、それを悔やんで成仏できないままある意味、言わずもなが、燃焼系になって灰や骨になって行くのでしょう。

しかし、その時「骨がしっかり残って」いたらわたしの健康生活はうまくいったんだと、草葉の陰から眺めていたい。それきっかけで成仏したい。 ————

相変わらず表現が大袈裟で、盛りまくっていますね。よくないです。

わざわざ鉤括弧で書いてある部分、注目ですよ。ほぼ毎日食べている、わたしのオリジナル健康食品がここに記されるのですから。何も続かなかった私が唯一続けてるオリジナルすぎる健康食品がこちら!



……………

何かお判りいただけたでしょうか… なんかごめんなさいね。こんな事になってて。大体、毎夕食後食べてるんです。

これは「プレーンヨーグルト」に流行りの健康食材てんこ盛り盛りあわせです。ヨーグルト以外殆ど常温保存できるものなのでお手軽です。今現在はたっぷりヨーグルトのカルシウム(ここ!骨ね、丈夫な骨!)や乳酸菌はもちろんのこと、健康食品の永久欠番こと青汁、おからパウダーの短鎖脂肪酸、フラクトオリゴ糖で乳酸菌の餌を提供、難消化性デキストリンパウダ、えごま油この他にもいろいろ入れちゃう味無視の健康ウエイト高い、得たいの知れないものが出来上がる……

我が家でこれを

「健康地獄ヨーグルト」

と呼んでいます。


わたしは欲の皮がビシーっと突っ張った人間なので、一つのことで、あれこれできるのが大好きです。それをお得だと、脳みそに刷り込んで生きてきました。服なんかもリバーシブルとか3wayとか大好きです。関係ないか。それも相俟って、こんなものを世に生み出してしまったのです。これを美味しいと言えば嘘になりますが、本当に不味くはないんです。子供は食べるんです。もちろん出す前にみんなに聞きますよ「青汁入れる人〜?おからパウダー入れる人〜?」殆どの場合全部入れなんです。これを食べたらやっぱり何となくいいものを体に取り入れた気分になって、夕食後、体よりも気分がリセットされた様な気分になるのです。メンタルにも響いている気分です。鰯の頭も云々です。それがいいんです。もしかしたらこれ、私の生活になって行くんじゃない!? 期待も膨らみます。

だけど、食べないんですよ、一人だけ。押し付けたりはしません。本当は一番食べて欲しいけれど。ま、おいしいものではないですから。見た目もアレですしね。でも、他の健康食品に関してもそういうことが多いかな。しかも家庭に於けるそれなりの権力者の意見ですからね。無理強いできません。

あれ? わたしがこれまで試してきた数々の健康食品が続かない理由はここにあるのではないか、そう思わざるを得ない。健康食品を続けるにあたり強力なディフェンスになっているんじゃないか!?

………………

なんて言い草だ。遂に自分が続かないのを人のせいにし始めました。家族の末期です。夫婦の終わりです。こういうことで壊れてくものがあるんでしょう。わたしは思い留まれるでしょうか……

これは言うなれば

彼は我が家の最後の砦。わたしのオフェンスが弱すぎなのではなく、彼にはわたしがほろってしまった本能がまだしっかり残っているのです。


————  美味しいものを食べたい。


ああ、こうやって知識を持つものが敗北していくのです。健康を正義にし、美味しくもないものを提供して、それを食べてくれないと声を荒げてはいけないのです。それは愚行。所詮鰯の頭なんて節分の時にしか大事にしませんから。みんな持っていたのに、わたしはどこかにほろってしまって、やれ、死んだら骨が残っていたら本望だの、お母さんだから健康大事精神掲げて毎日頑張ってますだの。これは全く自己中心なのである。

本当にみんなが求めることを時に忘れてはいけない。わたしはこの事を忘れない様に今日も台所に立つのです。


でも私は健康地獄ヨーグルトをまだ続けるよ。


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