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【リヨン留学記】7話:リヨンはおいしい?-外食編-

 パリが「アムール(愛)の街」と呼ばれる一方で、どうやらリヨンは「美食の街」と呼ばれているらしいと、わたしはこの街を訪れてから知ったのだった。
 日本に帰って来てからも幾人かに「リヨンに行ってたの?リヨンはおいしいよね」と言われたから、フランスに詳しい方にはどうやら有名な話らしい。
 今回のことに限らず、わたしは食に関してそこまでこだわりがなく、疎いと自覚している。でもおいしいものは好きだから、料理を仕事にしている友人や美食家の友人にくっついていって、その経験と知識のおこぼれをもらって暮らしているのだ。けれどもどれだけ彼らとともに経験を重ねても、料理名も店名もちっとも覚えられない。そして食への感度が高い友人たちのように地名を聞くだけでおいしいお店の情報がいくつも出てくるなんていう芸当もまったくできるようにならないから、わたしは生まれつき食に関してさほど興味がないのだろう。
 そんなわたしが「リヨンは美食の街」だと知ったきっかけは、語学学校だった。
 学校で頻繁にgastronomie(ガストロノミ。美食という意味や、文化と食の考察など、さまざまな意味を含む言葉)について取り上げられていたのだ。
 ガストロノミ……聞いたことはあったけれど、この言葉が一体何を捉えるためのものなのかいまいちピンと来ず、わたしはぼんやりとホワイトボードに映し出された文字を眺めていた。
 けれどもそんなわたしを置いて授業はどんどん進んでゆく。その後生徒同士で3人グループになってこれについて話してみてね、と先生が言い、新たにホワイトボードに映し出された質問を見ると「リヨンの名物で一番何が好き?」なんていう話題である。
 前述の通りリヨンがグルメで有名だなんて知らなかったわたしは特に意識して名物料理を食べていなかったから、「さぁどうしたものか」と頭を悩ませた。唯一知っていたのはたったの2品ほど。それも片方は料理名すらわからない。そのどちらもが、ホームステイ先のマダム・オディールが、リヨンが初めてのわたしのために気を利かせて作ってくれたものだった。
 そして
「Megumiは何が好き?」
 と、一緒のグループになったスウェーデン人の女の子に訊かれ、
 わたしは咄嗟に
「quenelles(クネル)が一番好き」
 と答えた。一番もなにも、わたしが唯一名前を知っていた料理である。クネルとは、魚のすり身をソーセージのような形にしてオーブンで焼き、ソースをかけて食べる料理だ。ソースはどうやら作る人によってさまざまらしいが、オディールが作ってくれたものにはトマトクリームのようなクリーミーなオレンジ色のソースがかかっていた。はんぺんのようなふわりとやわらかな食感で、トマトクリームの優しい酸味と白身魚のほんのりとした甘味がマッチしていておいしく、尖ったところのないほっと落ち着く味が好ましかった。
「あぁ、クネルおいしいよねぇ」
 とみんな「うんうん」と納得してくれ、この質問は事なきを得たけれど、グルメの話題はこの後もわたしを悩ませることになった。
 例えば他の授業でもbouchon(ブション)という言葉が登場した。 
 ブションとは、リヨンの伝統料理を提供しているレストランのことである。中でもLes Bouchons Lyonnais(レ・ブション・リヨネ)という称号を得ているレストランが街の至るところにあり、これはリヨン商工会議所が本物のブション料理を出している店だと認定した証らしい。
 わたし以外の生徒はちゃんとみんなリヨン観光も楽しんでいたらしく、「そんなこと知ってるよ」とでも言いたげな顔である。さらにこんなグルメ音痴なわたしですらその名を知っている世界的有名シェフ「ポール・ボキューズ」がリヨン出身で、本店もリヨンにあるということすら知らなかったわたしはなんだか肩身が狭い思いだった。勉強とは座学だけではないぞ、とでも言われた気分である。
 こういった知識はどれだけネットで調べようと理解できるものではない。そう思ったわたしは学校帰り、さっそくLes Bouchons Lyonnaisの一つに行ってみることにした。
 どのお店がおいしいかなんてわからないから(今思えばヘンリやオディールに訊けば良かったのだけれど……)ネットで適当に店を調べ、フルヴィエールの丘に続く坂道の途中にある「Bouchon Les Lyonnais(ブション・レ・リヨネ)」という店に入ることにした。鮮やかな青の外観にオレンジの内装という、補色を組み合わせたなんとも目立つお店である。
 さてメニューにあるリヨンの伝統料理の名前を見ながら、どれを食べようかと考えた。考えると言っても、鶏肉か牛肉か魚かくらいは単語を見れば理解できるけれど、それ以上の料理名の知識を持ち合わせていなかったわたしにはどれがどんな料理なのかさっぱりわからない。クネルは食べたことがあるし、それ以外ならなんでも良いかと思ったわたしは、ウェイターを呼んで適当なメニューを指さした。するとウェイターはなんだか浮かない顔である。そして「内臓だけど大丈夫?」と訊かれ、思ってもみなかった切り返しに、わたしは少しばかり面食らってしまった。「大丈夫」と言いたいところだけれど、本当に大丈夫かはまったく自信がない。だってどんな料理なのかも内臓のどの部分なのかもわからないのだもの。わざわざ訊いてくるということは観光客が残してしまうなど、以前に何かあったのかもしれない。わざわざ気を利かせて忠告してくれたのだから素直に従おうとそのメニューは避け、別のメニューを指したら今度は何も言わずに頷いて去っていった。
 そして結局わたしが食べたのが「parmentier de boeuf Maison(自家製牛のパルマンティエ)」という名前のマッシュポテトを敷いた上に煮込んだ牛肉とチーズをかけて焼いたグラタンのようなものだった。これはこれでフランスの家庭料理として有名だしもちろんおいしかったのだけれど、後々調べたところによると、おそらくリヨンの伝統料理ではないと思われる。
 こうして結局わたしのひとりグルメチャレンジはなんだか腑に落ちない結果におわってしまった。
 料理音痴な人に限ってレシピを調べずに自己流で作りはじめると、いつだったか誰かが言っていたのを聞いたことがあったけれど、グルメ音痴も事前にちゃんと調べないからこうなるのである。そしてそれがわかっていながら結局次もまた調べないと、自分のことは自分が一番知っている。
 けれど今度リヨンに行く機会があったら、本当においしい店が集められているというポール・ボキューズ市場にも行きたいし、食べられなかったリヨンの他の伝統料理も食べたいなぁという欲はしっかり持ち合わせている。
 そこでわたしは手を考えた。グルメ音痴がおいしいものに辿り着くためには、今度は食通な人と一緒に来れば良いのだ。そしてわたしはいつも通り、黙って後をついて行こう。

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