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ぬくもりを感じたくて

けいちゃん♪さんが、「おかえりなさい♪」という記事を書いてくださいました。

その記事の中で、私のことを「優しく包んでくださいます」
なんて書いてくだっさてますが、私のほうが、けいちゃんさんのイラストのやさしいタッチ、そして文面から優しさをいつも、もらっています。

そして、今日のヘッダーのイラスト
最後にあるコメント『おかえりなさい!ぎゅつ!だいじょうぶ
は涙腺崩壊、そしてこうやって、今の気持ちを記事にしたくて書いています。

最初に、このイラストを見た時は、私と娘を想像して、私は娘がこのくらいの年の時に、娘をこのように抱きしめてあげていたことがあったのかなと思いました。

子育てにまったく余裕がなくて、子育のことを相談できる人は当時誰もいなかったんです。子育てセンターのイベント、習い事などを娘と参加してみるもイマイチ娘が楽しんでいなくて、毎日、娘と公園で二人遊んでいたと思います。

とても疲れちゃっていて、娘にこんな風にぎゅつ!としてあげたことはあったかな?と思ったのです。

そして、次に私がイラストのような年齢の時を思い出しました。

私もまた、母にこのように「ぎゅっ!」としてもらったことがあったかな、してもらいたかったなって思ったのです。

私がイラストのような年齢の時は、ちょうど弟が生まれた頃だと思います。

私はありがいことに、健康優良児で生まれた時から元気でした。弟は未熟児で身体がとても弱い子で、てんかん持ちでした。

高熱を出しては、ひきつけをおこしてで、何度、救急車で運ばれて行く、弟を私は見送ったかなと思います。

なので、母は弟にかかりっきりなことが多くて、私は父との思い出はたくさんあるのですが、母と二人の記憶ってあまりないのです。

弟が中学にあがるまでは、小学校でも弟が倒れたので迎えに来てくださいという電話もあり、1回、母がいなくて、私が母が行きそうな場所を探しに行き、一緒に小学校にお迎えにいくなんて言う記憶もあります。

母も常々「あなたは、お姉ちゃんなのだから」ってずっと言ってきていたので、自分は甘えちゃいけないんだなって思っていました。

母は私が高校生まで、専業主婦で家にいたのですが、それは家に帰った時に「おかえりなさい」って迎えてあげたいからって言ってましたが、母の「おかえりなさい」の声はいつもあったのですが、その姿をみたことは実はあまりないです。

そんなことを、考えながらイラストを見ていたのですが、

今、私が母をギュッとしてあげる時かとも思ってもいるのです。

3年前に父が倒れて、生死の境をさまよいました。私はアメリカに住んでいたのでその話を聞いたのは、私が日本に帰国してから、1年後だったと思います。

アメリカでもビデオ通話で両親と会話はしていたのですが、時差があり、アメリカの朝は、日本は夜の時間だったので、母は父は疲れて最近早く寝ちゃっているって私には言っていたのです。

弟も両親の側に暮していませんので、母が入院生活の1ヶ月あまり父を支え、足の不自由な父を支える生活は今現在も続いており、大変だと思います。

父は、人工透析を週3回行っていますが元気です。
長距離のお出かけはもう出来ないので、私が実家に行かなければ会えません。

今年の夏休みは、娘と一緒に帰省して両親に会いに行こうと思っています。

そして、私が、母をぎゅっと抱きしめてあげたいかなと思ってますが、少し恥ずかしい思いもあるので、娘に頼もうかとも思っています。

たくさんの優しい気持ちをいただいている、木曜日の朝です。

来週、6月20日は母の誕生日です、今までは、母の日にしか贈っていないのですが、今年は77歳、喜寿の年だと、自分から申告してきましたので、今日何かプレゼントを探しに行ってきたいと思います。

皆さん、そして、皆さんの大切な人々の1日が幸せなものとなりますように!!

ヘッダーの写真は、以前母が私に送って来てくれた『あしかがフラワーパーク』で撮った写真です。





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