見出し画像

桜の季節に思い出す

当時大学で中国語を勉強する選択肢として、相互学習というのが人気だった。留学の醍醐味は何といっても現地に住む人との交流にあると思う人はたくさんいる。

この文章は、わたしが10年前の2009年3月から一年間、中国に留学していた頃の回顧エッセイです。毎週火曜19時に更新しています。

相互学習では中国語を学ぶ日本人と日本語を学ぶ中国人が、ごはんを食べたりお茶を飲んだりしながらお互いの勉強上での疑問点を質問しあって学びを深めていく。
もちろん特別なテキストやカリキュラムなんかはないので、自分たちが勉強している中で知りたいことを質問したり、一緒にどこかへ遊びに行ったりする感じ。

でもまあ大体性格というか。実力の差というか。留学もしていないのに向こうの方が外国語は上手だし中国語で話しかけても日本語で返ってくるし、この文法は?この単語の違いは?と積極性も向こうの方が数段上で、いつも日本語に詳しくなって終わってしまう。あと山Pの話でアッという間に一時間が過ぎてしまう(めっちゃ流行っていた、山Pは偉大)。

本当に中国の学生は勉強熱心。

しかも全然いやみがなかった。みんな素直に日本が好きで、日本のドラマやアニメで言っている言葉を理解したくて学んでいるのだった。だからめちゃくちゃ理解が早かった。質問のあまりの鋭さに、ほとんど答えることができなかった!悲しいかな日本人。

例えば、
両親に紹介しましたか?
両親に"は"紹介しましたか? ⇒この ”は” の使い方を教えて!

言語学を専門勉強している訳でもなくニュアンスと想像力で乗り越えてきた当時のわたしにとって、言葉を言葉で説明することのなんと難しいことか…
自分が喋っている言語の2割も理解できていないな、と日本人としてのアイデンティティを失いかけた。

ある時『日本語の勉強をすると言って、両親は何もいわなかったの?』と聞いたことがある。以前も書いた通り、長春には日本と切っても切れない歴史があった。

「やっぱり、反対された。おじいちゃんもおばあちゃんも、親族の誰も賛成してくれなかった。でも、わたしは、日本の文化がすきだから。若い人に歴史の責任はない。あるのは、未来への責任だよ

テレビでは毎日のように反日ドラマが流れていた。

長春に来て街中で日本語を喋っていても、バスで隣に座ったおじいちゃんもお店のお姐さんもみんな「日本からよく来たね、わたしたちは海外から来たお客様を歓迎するよ。それが中国の文化だからね」と言ってくれた。これは長春だけではなくて他の都市に行ってもそうだった。

偽満州国国務院旧址。日本の国会議事堂のようないでたちは、この都市が日本人によって設計された都市であることを思い出さずにはいられない。

今この建物は吉林大学の医学部で使用されている。

きっと心の中では複雑な思いを抱いていたに違いない。それでも目の前にいる、一人で異国の地へやってきた日本人の女の子に対して、彼らはできる限りの温かい言葉を投げかけてくれた。

日本の文化がすきだから、悪い国じゃないと思ったと言ってくれた彼女の言葉が10年後も20年後も嘘じゃなくなるように、わたしたちはどう生きていけばいいんだろうか。

マガジン登録していただけると励みになります。

この記事が参加している募集

なんとか生きていけます。