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指導現場にある3つの錯覚。教授錯覚と学習錯覚と。

人は勘違いをする生き物です。

そもそも、記憶というものは
自分の都合のいいように事実を再編集しているものだったりします。
そこには、思考と感情というバイアスもかかっています。

記憶が美化されたり、事実以上につらいものになっているのも、
脳がそうさせているんですよね。

以前、ダルビッシュ投手が

「練習は平気でうそをつく」

という内容のツイートをしていました。

これは選手だけではなく指導者にも当てはまることです。


教授錯覚

指導者側の目線で考えてみます。

「これさっきも言ったでしょ。」
「この前練習したじゃん。」
「なんでやったのにできないんだよ。」
「あんなに教えたのに。」
「昨日はできてたのに今日はできない。」
「これだけやればわかってるだろう。」

なんてことはないでしょうか?
教える側からしたら、
一度トレーニングしている、丁寧に解説した、
からできる、と考える人も多いと思います。

実際に私もコーチングの現場では
同じことを何度も何度も何度も言っていたりします。

気持ちとしては、
「もう、、、何回も言うのが疲れるんですけど、、、」
ということもあります。

さっきの練習わかる?
この前やった4対3の状況ができてる。
なんて言ったりもしますが、
教える側のイメージと教えられている側のイメージが、
必ずしも同じとは限りません。

教える側としては、
数回繰り返した、
時間を取って説明した、
何度も何度も言っている、
として「教えたつもり」になっているかもしれません。

そこには、「教えた」という事実は残るかもしれませんが、
「できた」かどうかは別です。

「教えた」から「できる」はずだ、
という思い込み、錯覚が存在するのです。

これが教授錯覚になります。


学習錯覚

選手側の錯覚もあります。

「これだけ練習したんだからできるだろう。」
「めっちゃ疲れたからがんばった。」
「今日の練習おもしろかった。」
「雰囲気よかったから大丈夫。」
「本番はスピード上げればいいからこの程度で。」

なんてことを思ったことないですか?
確かにいつもと違う練習をしたり、
運動量が多くて、ゲーム的要素が含まれていたら、
疲労感もあるし、刺激的で面白いと感じるかもしれません。

学校部活動なんかは、
下級生がボールも触らずに声を出し続けていたりして、
盛り立ててくれるので一見すると雰囲気がいいと思うかもしれません。

フォーメーションの確認なんかは、
スピードを落として頭の整理をすることに重きを置きますが、
実際の試合のスピードと違う状況だと、
試合中にミスが起きるかもしれません。

このくらいでできるだろう、
とか、
これくらいならできるんじゃない、
なんて考えると実際の試合の時には
いつもと違う相手とより迫力をもって対峙するため、
練習の時と違ってうまくいかないこともあります。

「わかっているつもり」
「できているつもり」

だと、試合の時に慌ててしまうのは目に見えています。

「教えてもらった」
「練習でやった」
のと
「できる」
の間には目には見えない大きな壁があります。


透明性の錯覚

指導者が勝ちたいと強く思っている。
「選手も同じ気持ちだろう」
「これだけ一生懸命やっていれば伝わっているはずだ」

というこちらの想いも伝わっているはずだ
という錯覚もあります。
この想いをもっているときこそ、
「教えた」つもりになるのかもしれません。
教授錯覚に注意するべきです。

選手の中でも
「こんなに頑張っているんだから伝わっているだろう」
「痛みをこらえてプレイしているのはわかってくれる」

という考えをもっている選手もいるかもしれません。

自分の想いが相手にも伝わっているであろう、
という透明性の錯覚は誰しもあるものなのかもしれません。

ただ、海外での経験も思い返したとき、
そんなものは本当に錯覚です。
感じてくれる人はごくわずかです。

そういう部分では、
日本人は感じてくれる感度は高いと思いますが、
あくまでも他人です。
やはり伝えないと、本質的には分かり合えません。

錯覚に陥って、
その感情をきちんと処理できずに、
自分で迷って、自分でコンディションを崩してしまうこともあるはずです。

まとめ

錯覚には陥る。

このことを覚えておけば多少なりとも、
防げるものは防げるのかもしれません。

だからと言って、神経質になれというわけではなく、
人というのは錯覚に陥るから、
いまの自分はどうだろうか、とか
相手にちゃんと伝わっているのだろうか、とか
自分を振り返るようにしたいものです。

主従関係のように、
縦の関係性がスポーツの現場にありすぎるのはよくありません。

お互いがお互いのことを尊重して、
学びあえる、高めあえる関係性が理想ですね。

錯覚に陥ることを理解して、

思い込みや思い違いによりストレスをなくすことで、
より良い関係性を築いていけるというのが、
やはり健全なスポーツの現場
なんだろうな、
と思うのです。

もちろんこれは、
親子関係でも教育の現場でも、
仕事の現場でも、
「教える」「教えられる」
という関係性があった場合、
誰にでも起こりうることです。

ダルビッシュ投手のツイートからは、
何も考えずに練習している、思考停止の状況だと
「やったつもり」「できたつもり」「わかったつもり」
になってしまうから、
嘘になるということだと思います。

皆さんのコーチングの現場で、
お役に立てたらうれしいです。



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