義母が私に対して抱いていた絶対に許せない3つのこと。
あの夜も夫が長期出張中で不在でした。
夫の実家に住みはじめてから約2か月が経ったときのこと。
夫が不在のときには夕飯を家で作らないようになっていましたが、朝ごはんにシリアルを食べたり、家にいるときに紅茶を飲んだりと、最小限でしたが、食器を使っていました。
「食洗器を回す回数が増えてる」
と何度か義母が言っているのを聞いて、夫と二人で万が一食洗器が故障したりしたら大変だし、この家の主である義父母の今までのペースを壊さないためにも、そしてこの家でのやり方を尊重したかったという私の強い意志で、私たちが使った食器類は手洗いしていました。
「食洗器に入れればいいのに。。。」
と何度か言われたりしましたが、
「このほうが早いから。」
「さっと洗えるから大丈夫。」
などと言って、手洗いしていました。
あの夜も紅茶を飲むのに使ったマグカップを手洗いしていたところに、義父母がキッチンに入ってきて、そのさまを見られていて、居心地悪く感じながらも洗い続けていました。
「食洗器に入れたらいいのに。。」
と義母に言われて
「すぐさっと洗えるから大丈夫。」
と答えたら、今度はこう聞かれたんです。
「何で、食洗器に入れないの?」
と。それで、
「〇〇(夫のこと)と話していたんだけど、私たちが使うことで回す回数が多くなって、万が一故障してしまったら悪いから。。〇〇は故障した場合の、修理代のことも心配してて。。だから手洗いしようって2人で決めたんです。なるべくお義父さんお義母さんのペースを壊さないために。」
と言った途端、
「何ですって?!陰でそんなこと話してたの?!?!」
と何故か突然怒り出して、「信じられない」やらなんたらかんたら(正直憶えていません)言っていて、怒っている意味がわからなかったんですが、「陰で話している」ことと言えば、義母が陰で私のことをひどく言っているのに気づいていたので、この際だし、直接聞いてみました。
「お義母さんが、私のことを陰で悪く言っているの知ってるんだけど、陰で言わないで私に直接言ってください。」
と。
そしたら、こう言われました。
「あなたに対して絶対に許せないことが3つある」
と。
「え?絶対に許せないこと?」
とビックリしたんですが、その3つとは以下のことです。
1つ目
「数年前のクリスマスのことがあったでしょう?」
と言っていて、はじめわからなかったんですが、話を聞くと以下のリンクにも書いたあるクリスマスのときのことでした。
要約するとこうです。あるクリスマスの日。インフルか?というくらいに体調を崩してしまったんですが、実家の集まりに強制参加させられて、夫には「何もしなくていい。ソファーで休んでてもいいから」と言われて、キツイながらもソファーで休みながら夜中の1時過ぎまで過ごしたことがあったんですが、寝ている私の横でひとりで帰る準備をしている夫を見て義母が
「あら。またあなただけが帰る準備しているの?可哀そうな息子。いつもあなたばっかり動き回って。何でいつもあなただけが全部してあげないといけないの?」
と言っているのが聞こえて、カチッと来た私はキツイながらも帰る支度をし始めたら、義母があたふたして謝ってきたことがありました。
「あのとき私はあなたに謝ったけど、正直何で私が謝らないといけなかったのか、今でもさっぱりわからない。」
と言っていました。
そのことが絶対に許せないことのひとつ。
2つ目。
「長女のミルクアレルギー発覚で死ぬほど怖い思いをしたこと」
長女を出産した際の傷口の治りが悪くて、2回軽い手術を受けたんですが、
2回目の手術を受けたのは長女が10か月頃のことでした。
手術で半日入院することになっていて、実家で長女を預かってもらったんです。
あのときは完全母乳だったんですが、生まれて1,2か月ごろまでは粉ミルクも飲んでいたこともあって、粉ミルクを持たせました。
義母が長女に粉ミルクを飲ませたら何とアレルギー反応の症状が出てしまって、そのあと嘔吐して大丈夫になったそうですが、あの時の経験が死ぬほど怖くて、私を恨んでると言うのです。長女の顔色が一気に青ざめて(血の気が引いて?)命の危険を感じたそうで。
私も長女がミルクアレルギー持ちだなんて知らなかったので、あんなに怖い思いをさせてしまって義母に申し訳ないと思いますが、でもあのときのことで恨まれてるなんて知りませんでした。
3つ目。
「実家を手放した日のこと」
私と夫と長女が2年半ほど住まわせてもらった義母の実家が売れて、家を手放した日、私は最終的な荷造りや片づけに追われてストレス度がマックスでした。夫が出張で数日不在で、家を手放す前日の夜とかに帰ってきて、手放した日も朝から仕事でいなかったので、私一人で最終的なことをいろいろやっていて、精神的にも相当追いつめられていました。その日の午後に義父母がやってきました。その日の夕方から、義父母宅での居候生活がはじまることになっていました。掃除機か何かのことで、義父に怒られて衝突して追い込まれた私は、そのあと長女を学校まで迎えに行ったままプチ家出をしました。学校に行ったら、長女の同級生の子のお母さんを見かけて、そのお母さんの前で大泣きしてしまったのです。話を聞いてくれて、家に夜までいさせてもらいました。そのお母さんと話していて、その義父母との同居生活なんて無理。金銭的にはちょっと大変だとは思うけど、仮のアパートを借りたほうがいいと思う。とアドバイスされて、精神的に相当追い詰められていた私は、夫に電話で「同居は無理。お願いだから仮のアパートを借りて」とお願いしました。夫の長期出張が重なっていることも知っていたし、こんな精神状態で、あの実家に住むなんて正直無理でした。
結果的に、仮のアパートは借りずに計3か月ちょっとの同居生活をすることになったんですが。。。
義母の実家を手放した日に、あんな騒動になったこと。私が起こしたあの騒動のせいで、あの家にちゃんとお別れができなかったこと。あの思い出の家とのお別れができなかったことに対して、かなり怒っていました。そして、私たちが義父母が住む家に越してくる前、いろいろ家のものを移動させたりして、私たちを迎え入れるために準備したのに、私が引っ越し当日にプチ家出して同居したくないと言ったこと。そのくせに結局住んでいること。私が謝りもしないで居候していることに対してもかなり怒っていました。
「何で謝らなかったのよ!」
と怒鳴られて、
「答えなさいよ!huh? 答えなさいよ!!!!」
と怒鳴られ、生々しい怒りの感情をぶつけられて動揺した私の頭の中は真っ白になりました。
理由は何であれ、冷静に考えたら失礼なことをしたと思います。でも精神的にかなり追い詰められていていたので、そこまで頭が回らなかったのです。そのあとに私は謝りましたが。
私が繊細過ぎてデリケートだから、壊れやすいものを扱う感じでとても気を使うとも言われました。しかも〇〇(義母の息子である私の夫)に何でも話すし、すぐ泣くとも言われました。
あれ?結婚相手にいろんなことを話すのは、当たり前じゃないの?自分が旦那さんとそういう関係じゃないからって、普通に機能している夫婦がすることに対して批判するの?と思いました。
それと同時に、そう言われたことに対してとても傷つきました。「繊細過ぎてデリケートだから~」と言っているときの表情とジェスチャーが、壊れやすいものに指一本でさえも触れられないというように表現していて、バカにしているかのようにも思えました。私が繊細なところって、自分で治せるものではなくてそういう気質なんだし、自分でもそういう部分があってすごく疲れやすくて大変なのに。。。というか、繊細じゃない人でもあのギシギシした義母色の強い実家で過ごせば、かなりストレスを感じると思うんだけど。。
私が実家での家族の集まりで、寝落ちすることも気に入らないと言っていました。あれは自分なりの自己防衛のために産み出した技だったんですが、それもダメでした。でも私じゃなくても、あんな環境に夜中の1,2時過ぎまでいたら誰だって睡魔に襲われてしまうと思うんだけど。。
私に対して抱いていた強い怒りの感情をあらわにしたことで、呼吸困難気味になった義母は、その場に崩れ落ちました。
その姿を見て、歯がガタガタ震えるくらい恐ろしかったんですが、相手に直接言えない義母が、私に対して心の内をぶつけられてよかっただろうと、義母の気持ちに寄り添いました。
そして、これからは何かあったり疑問に思ったことがあれば、直接聞き合おうねということで、話がまとまりました。
そして改めて義母に謝りました。
***
それから数日して、状況が好転したように思えました。
義母が自己啓発系の本をアマゾンから取り寄せていたり、その本に書かれてあることについて、義父母と私と長女で話したりして、わあ、いい感じ!私の思いがやっと伝わったか?!と思いました。
だって、今まであんなにコチコチに固まりきっていた心には、私を含めた回りからの、こうしたほうがいいよ、こういう本があるよという言葉に対して、全く響かなかったんです。余裕がない感じで、スルーされてしまっていたんですね。
私に対する怒りを直接ぶつけたことがいいセラピーになったのかもしれません。
精神的にすっきりしたんでしょうか。
それからあることに気づきました。
笑顔が増えてる!
私は衝突したあとに、とりあえずすっきりした気持ちになりました。陰でめちゃくちゃ言われていたことを面と向かって聞いたからです。
言ってることが「はぁ??何それ?!」ということも多々あったんですが、
とりあえず吐き出したことで、気持ちが軽くなったんでしょうね。
それから私はと言うと、こう言う人ってわかったので、逆に気が楽になって
怒りなど感じないように外にずっと出ていました。
それで愛がテーマの曲をいろいろ聞いたり、心は穏やかに過ごしていたんです。
義母にも直接会ったら、普通に笑顔で接していました。
その影響が出たのかもしれません。
どっちにしても、義母がポジティブになる方向に仕向けていました。
私は、言われたひどいことなどは胸の奥にしまって、ポジティブに。愛をたっぷり感じながら過ごすように努めました。
義母に接するときも愛情を注ぐように努めました。
このポジティブな感じが続けばいいなと願いながら。
どんな状況に置かれても、愛情を感じる心、ポジティブな気持ちを忘れないようにしたいと思いました。
こうされたから、自分も仕返しするとなるとまさに子どもの喧嘩です。
この際自分が大人になって穏やかに過ごしたいと思いました。
するとそのポジティブな気が周りの環境に影響して、状況がよくなると思ったし。
義母がいい方向に変わってくれることを願って。。
***
相変わらず同居生活が続いていて、私もポジティブな気持ちを保つように努めていたんですが、
「私に対して許せないことリストを作って、あんな強い怒りの感情を持ちながら私に接していたの?あのときに優しく接してくれたのも全部ウソ?」
と冷静に考えると正直怖くなりました。
あの夜、気持ちをぶつけられたときにこう言ってたんです。
「あなたに怒りの感情を表すことで、あなたたちが私に会いたくないと思うかもしれなくなるのが怖くて。私に会いに来てくれなくなることは一番起きて欲しくないことだから。」
そのために、私にもよく接していたという感じでした。本当は私のことをよく思っていないくせに、私たち一家に会いたくないと言い出されないために、その最悪な状況を避けるために、我慢して私との関係を持っていた感じ?
もう、そういう風にしか思えなかった。今までのことが全部ウソに見えた。
あのときも、あのときも?あんな強い怒りを内に秘めながら顔に笑顔を浮かべて私に接していたの?フェイクだ。全部フェイクだと思いました。
何て人なの?と恐ろしくなった。
今まで義父に向けられていたと思っていた怒りの感情が私にも向けられていたなんて。。。恐ろしくなった。
何て人。何て人。
それから、私の中で何かが壊れました。
***
あの時期に勧められて観た『家政婦のミタさん』のように、実家での居候生活では感情を持たず、淡々とやることをこなそうと決めました。
そして、それから義母に対して、本性は見せずに、悪い態度を取ることもなく、一歩下がった感じというか、壁を1枚置いた感じで接するようになりました。
いま振り返ると、そんなことしても、自分にとって何の得にもならなかったんですが。
自分が与えたことは、全部自分に返ってくるだけだし。。
***
義母とはここには書ききれないくらいいろんなことがありましたが、義母が亡くなった日の朝。入院先の病院から、残りの時間を住み慣れた家で過ごしたいという希望で実家に戻っていたので、会いに行ったときにこう伝えました。
夫を産んでくれてありがとう。
お義母さんが夫を産んでいなければ、娘2人が生まれることもなかったし、こうしてこの家族を持ててなかった。素敵な家族を持たせてくれて感謝します。
義母には本当に大変な思いもさせられたけど、振り返るとその経験から学ばせてもらったこともたくさんあります。
精神的に追い詰められることもたくさんあって大変な思いもたくさんしたけど、最後の最後に義母に感謝の気持ちを伝えられたことは本当によかったと思います。
***
数回に渡って、とても個人的な経験や気持ちをみなさんにシェアしましたが、読んでくださった方に何か気づきや考えるきっかけを与えられたのなら幸いです。
全ての物事や人っていろんな側面を持っていて、どこにフォーカスするかで全く違った体験や発見をすることがあると思います。
ひとつのことにこだわってそこだけにフォーカスするのではなくて、いろんな側面から見られるようになるといいですよね。
そして柔軟になることも大切かと。
そして自分を大切にすることも、とても大事だと思います。
*かなりの長文になってしまい、まとまりがないnoteになってしまったかもしれませんが、とりあえず公開します。
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