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ADHD/ASDは「治る」のか?【書評】発達障害の僕が輝ける場所を みつけられた理由 栗原 類

ふだん、テレビを見ない私は栗原類君のことをあまり知らない。彼が出ているバラエティも、ドラマも見たことがない。でも、ネット上で「発達障害のモデル」(ネガティブキャラのイケメンモデル)という評判は聞いたことがあった。今回、初めて彼の本を読んで、そのコツコツした努力(主に母)に感銘を受けた。

そして、発達障害の、障害は変わらないものではなく、少しずつでも改善でき、成長できるものだという確信が強まった。発達障害が「治る」とは言わないんだけど。

この本が書かれた時点での類君は21歳。まだまだ文章も過去語りも稚拙なイメージはあるが、シングルマザーとして、類君を全力で育てた母親と、かかりつけの精神科医である高橋氏のコメントが載せられた章が、この本に重みを増している。

発達障害の成長は徐々に

これは類君の母のコメントだ。

「発達障害者の「子育て」は、「 30 歳くらいまでになんとかなっていればよしとしよう」でいいと思っています。他人よりも何かができるようになるのがものすごく遅いという場面が小さい頃からたくさんあったのですから、成人するのも 10 年くらい遅いんだろうなと構えた方が、道のりは他の家庭より長くなっても気楽に続けていけるようになります」

この言葉に調和し、類君の母は、少しずつ少しずつ彼を訓練してきた。年齢なみの、成長ではないものの、昔よりは、はるかにできることが増えているのだ。(基本的にお母さんがマンツーマンサポートをし続けているという感じなので、普通の人が見ればマザコンと言われるかもしれない。ちなみに栗原家はシングルマザーで、母は類君に全力を注いで子育てをしている)。

ここまでの応援者がいるというのは、類君は、相当恵まれた人だったと思う。まるで、朝ドラ「エール」の主人公を支える周囲の人たちのような、手厚いケアを受けたのだと分かる。

掃除や家事もできるところから、何度でも教え訓練する。一人暮らしができるスキルはないので、少しずつ留守にしながら、一人でも生活できるスキルを育てる。時にはフェイスタイム等で指示を出しながら家事を教える。

モデルや俳優としての仕事をこなすうえでのマナーは徹底的に叩き込む。「今何時?」「疲れた」「まだ?」の3つのセリフだけは、現場では絶対に言わないようにと教える。類君は、衝動性も高いのだが、何度も何度も言われるので、この3つのセリフだけは言わないように教育される。

高望みしないで、絞って教育すると、それこそ、何万回と同じことを教育すると、それは根付いていくのだと分かった。発達障害でも。類君は、発達障害特有の記憶障害があり、次の日になると、教えられたことをケロッと忘れるのだけれど、それを上回るほど繰り返し教えることで、どうしても教えたい大事なことは、忘れなくなるのだ。

笑いのセンスも育つ

類君は幼いころにADDと診断されたそうだが、ASDの特性も持っている。そんな彼は、小学生の時は、ユーモアが通じず、友達が笑いだすと自分が笑われたと思ってけんかをしてしまったり、言葉を文字通り受け取ってしまったりして、トラブル続きだった。

そんな中で担任の先生が、ユーモアを学ばせるようにアドバイスする。

「ルイは、笑うことを悪いことと思う節がある」「笑うことが悪いことではないという意識を持たせないと、人との関わりの面で問題が解決できない」と助言してくれました。さらに、「ユーモアのセンスを身につけないとこの先も問題だし、人とのコミュニケーションにおいてユーモアは欠かせない、ユーモアは社会で生きていくうえで絶対に必要なものよ」とも、話してくれました。  
「それもいいですが、もっとユーモアのセンスを身につけるために、多少下品な番組を見せたほうがいい。積極的にコメディを観て、笑う習慣をつけたほうがいい」と言いました。

これが、類君の将来を変えることになる。類君は、コメディにハマるのだ。そして喜劇俳優を目指すことになる。実は今でもそうなんだとか。最初は、俳優の感情表現が分からないのだけれど、母親が、いちいち、今の表情はどういう意味なのかを教え込むことで、徐々に感情を表す方法を学ぶのだ。

今では彼も立派な俳優だ(あまり見てないので知らないんだけど)。この部分は私には驚きだった。ASDと言えば、空気を読めないタイプで。笑いのセンスなど、とても育たないと思っていたからだ。欠けている能力・特性を見極めて、そこを伸ばすべく集中的な努力を払うと、発達障害が成長することは可能なのだ。驚きと共に認識を新たにした。

絶妙な訓練と発達障害

普通の子供には、そんな訓練が必要ないのだけれど、発達障害には必要。そして、訓練すれば、人並み×7掛けくらいには、情緒も育つのだ。この本の最終章には、なぜかピース又吉さんとの対談も載せられているのだが、彼が類君の努力や、お母さんの育て方に関して、まとめた言葉が本質的だと思う。

「これから発達障害が受け入れられて、個性を尊重すると、「いや、そんな無理すんな」「自分がしんどいことは、あまりやりすぎない方がいい」ということにもなりそう。でも、 周囲が「あなたはそれでいいよ」としてしまった時にもしかしたら改善できたことや成長できたことに、周りがフタをする可能性もあって、そこが類くんのお母さんは絶妙やったんです」

普通の子と同じようにさせようとはしない。無駄な努力はさせない。しかし、絶対にマスターしなければならないことは、繰り返し繰り返し叩き込んで覚えさせる。その見極めが「絶妙」。

タイトルにあるように、類君が「発達障害でも輝ける場所を見つけられた理由」は、お母さんの献身にある。そういう意味では、同じような発達障害の人にとっての再現性が微妙ではあるが、希望が持てるともいえる。

少しずつ発達する

私の体感では、発達障害ってのは、一般人よりも10歳~15歳、発達が遅延しているんじゃないだろうか。というのは、本当に徐々になんだけど、できないことができるようになるから。今から20~25年前、学生時代には、本当に生きていくのが苦労だったけど、あの頃から見ると今の私は別人。

昔できなかったことが、今できていることもたくさんある。

自分で言うのもなんだけど、成長したんだなって感じることもある。普通の人から見ると、普通になったくらいで自慢するなと思うかもしれないけれど、少しでも変わっていくというのは、ほんと素晴らしいことじゃないか。

借金玉さんの本を読んでいても、彼も、昔より生きやすくなっている(彼は30代前半)と言っているから、30代、40代と年齢を重ねるごとに、発達障害は生きやすくなるのかもしれないね。

私も、大人になってから(もう中年だけど)PDCAノートで日々の進捗を記録して、毎日、毎日、少しずつだけど、できることが増えている実感を味わっている。ウサギと亀で言えば、かなり癖のある亀だけど、成長する可能性があるってのは、うれしいことだ。

これからも、あきらめずに、やっていきましょう。

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大人のADHDグレーゾーンの片隅でひっそりと生活しています。メンタルを強くするために、睡眠至上主義・糖質制限プロテイン生活で生きています。プチkindle作家です(出品一覧:https://amzn.to/3oOl8tq