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「分かち合う」ことこそ幸せなこと

よく考えてみたら

朝起きて、仕事に行って疲れて帰って寝る。それの繰り返し。何の変わり映えもしない毎日に、僕は不満に感じていました。一日一日を大切にとよく言われるけれど、自分がそうしているようには、どうしても思えなかったのです。

ただ、僕はそうした自分の中にある気持ちであっても、今は疑問に思うことが出来るのです。変わり映えのしない日々の生活に不満に思うということは、いつも特別な何かが必要なのかと、疑問を自分に投げかけることができます。いつも冒険のような毎日を本当に僕は望んでいるのかどうかと問うことが出来ます。

何も変わり映えのしない毎日に不満を感じているくせに、それが脅かされると、心は大きく揺れ動いてしまいます。ささいな問題であっても、ここ穏やかではいられないのです。何か起きれば、動揺し、あっという間に落ち込み、気力を失うのです。そして、元に戻そうと焦ってばかりなんです。

本当の幸せとは何か

僕という人間は、つくづく愚かなのかもしれません。何気ない日常に不満を持つくせに、その何気ない日常が崩れてしまうと慌てふためいてしまうのですから。

そして、何気ない日常にこそ、本当の幸せがあるということを失ってみないと分からなかったのですから。何処までも、情けないのです。ああでも、こうでも言う癖に、何もかも失ってしまって、ようやく何が大切なのかに気付くことが出来たのですから。

過去に、自分の不甲斐なさや自分の身勝手さで、何もかも失ってしまったことがありました。大切にしていたものをなにもかも失ってしまったのです。ずっと追いかけていた夢を失い、これしかないと思っていた仕事は出来なくなってしまいました。大切に思っていた人達は、目の前からいなくなりました。住む家もお金も無くなってしまい、自分の居場は消え去り、希望さえも無くしてしまったのでした。僕は孤立したんです。

自分の存在を疎ましく思い、自分の価値に失望していたんです。

人生のどん底から、這い上がる気力ありませんでした。

いつまでもくよくよして、どこまでも寂しく苦しかった。

その時があるからこそ、今、大切なものが何かに気付くことができました。時々忘れてしまうこともあるけれど、あの時があるからこそ、きちんと思い出すことが出来るようになったのです。

本当の幸せが何かを考えるようになれたのは、何もかも失ってからなんです。

退屈かもしれない。でも、心身が安らかで静かであるのは幸せなことなのです。外に求めることがないこと。何かにとらわれることなく自由な心で過ごす日々は幸せなことなんです。

この前、イチゴを一箱頂きました。それを、会社のスタッフみんなで分けました。それを自宅に持ち帰り、家族で分けて食べたんです。僕が口に出来たのは、たったの二粒でした。ですが、このことが、これ以上ないくらいの幸せであると、じわじわと感じられたのです。

誰かと、分かち合うことが出来る。誰かと同じひと時を味わうことが出来る。誰かと思い合うことが出来る。だって、それはお互いの心を分け合うことだから。喜びも悲しみも分かち合うことが出来れば、自分が自分でいられるのですから。

孤立は何よりも恐ろしくて怖いものです。分かち合うことで本来は自分ひとりじゃないと思えるもなのです。

それって、この上ない幸せなことだと言えるのではないでしょうか。

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最後まで読んで頂きありがとうございます。
今日も自分をご機嫌に。
メルシー

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