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HSS型HSPがモラハラに関わると

小さい頃から
あれこれ興味がたくさんあった私

母方の祖父母が奈良に住んでいて
古墳をみる機会が多くあったから

小さい頃に母に言ったことがある
「私、大きくなったら発掘する人になりたい」

そんな変わった子どもでした

海外に行きたい!住んでみたい
それも小さい頃からでした

最近になって
HSS型HSPのことを知ってホッとして
私はこれだったんだな〜と。


好奇心が旺盛で自由が好き
とりあえずやってみたい欲求が強く
たとえ遠くても行くと決めたら行く
いつも頭の中はあれこれ考えて忙しい
ただ残念ながら飽き性なのです
(ある程度したら満足してしまう)


自分はこれが普通で
みんなも同じ感じなのかと思っていました
最近まで。。
(たった6%の人だけなのですね)


HSS型HSPの人が
日本で暮らすのは結構しんどいかも


みんなと一緒を
求められ学校教育もそうだし


そのうえ

親がモラハラだともっと辛いと思う。。
自由が与えられないし
自分で決める選択肢も与えられないから


私は生まれた時から
モラハラの祖母と父がいて

学校も趣味も就職も結婚も
すべて父と祖母に決められた人生だったから

結婚は親戚筋との関係で
モラハラ祖母の策略だったから

それも短大を出て
1年後の21歳で結婚しました。。

嫁ぎ先は旧家といわれる家で
まるで明治時代ですか?という感じ
夫はモラハラでした


ただ私自身
モラハラ父に育てられたから
モラハラ夫に疑問を持たなかったんですよね


みんな男の人は
外ではいい人で家の中では威圧的
従わないといけない存在だと思い込んでいたから


結婚して姑からも

派手な服は着ないこと
ネイルや大きなアクセサリーも禁止

海外旅行は行ってはいけません

もちろん仕事もできないし
夜に友達と出かけることも
実家に泊まりがけで帰ることもできず


HSS型HSPの私にとって
21歳からは辛かったな〜

子育ても365日
私一人でしなければならなかったし


経済的には不自由はなかったけれど
精神的な安らぎや心の自由もなくて

しあわせだと思う瞬間もなくて。。涙
いつも鳥カゴの中に入れられている感じ

そんな生活が35年続いたある日
全身の痛みで動けなくなったのです


ようやくカラダの悲鳴で
離婚の決断ができたのです


ちょうどモラハラ祖母が
亡くなったタイミングもあって


ただ親戚筋との結婚は
普通の結婚よりも大変で
裁判は何年もかかりましたが

離婚して本当に良かったです

病気がなければ
まだまだ我慢していたかもしれません

息子たちも
父親と離れることができたおかげで
自分の道は自分で決めれるようになって

私も子どもの気持ちを大切に
育ててやることができましたから


ふたりとも10代はたくさん旅をして
いろんな経験をすることができて

おかげでたくさんの
素敵な大人に出会うことができ


いまは結婚して
しあわせに暮らしていることが
とってもありがたいです


話がそれちゃった


HSS型HSPは
想像以上に自由がないと苦しくなります

それを我慢したら
確実にカラダを壊す結果になるから


心が苦しかったら逃げる
カラダを壊す前に逃げる


これは自分の人生を生きるために
とても大切なことです


カラダが元気だったら
なんでも出来ますからね


私のカラダは少し不自由になりましたが


大好きな服を着る
行ってみたい国に行く

気づいたら

HSS型HSPらしい人生を
生きれるようになって

しあわせの純度は確実に上がりました


HSS型HSPさんもHSPさんも
自分を大切に生きることを大切に
(心地良い場所を見つけて)
この地球を楽しんでいきたいですね!

Merci 🩷


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