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「知らない」って言えない

昔から英語でいちばん言いづらい3つの言葉は「アイ・ラブ・ユー」だと言われてきた。でもそうじゃないと、心から叫びたい!
「アイ・ドント・ノー」と言うほうが、ほとんどの人にとってはずっと難しいのだ。

 「知らない」って言うのは難しい。何かを「知りません」と素直に認めるときの、わずかに屈辱な感じは自分にもわかる。人によってはわずかどころかめちゃくちゃ屈辱なので、口が裂けても言わない。

 だって「わからない」「知らない」って、自分が馬鹿みたいに思えるから。無能だと見下されるかもしれないから。そんなことも知らないの?って、プライドを傷つけるような反応が返ってくるかもしれないから。

 素直に無知を認められないのは、結局のところ見栄のせいなのだ。本当は覆い隠すほうが恥ずかしい。知ったかぶりで切り抜けようとして失敗するのは、無知であるより辛い。「わからない」と言われて冷たい反応を返す人もいるけど、たいていの場合はさらっと教えてくれる。

 これはもうよく言われる通り「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」。自分も無知や無力を認めるのは嫌だけど、最悪でも嗤われるだけだと考えて、気合を入れてわからないことを訊いている。「知らない」と言った結果なにが起こるかを考え、それに耐える準備さえしていけば、だいたい乗り越えられる。そんな風に思う。

 冒頭の文章は『ゼロベース思考──どんな問題もシンプルに解決できる』(p.33) から引用した。出版は2015年とかなり前だけど、いつ読んでも面白いタイプの本。「アイ・ドント・ノー」が大事なのは「何を知らないかを認めないかぎり、必要なことを学べるはずがないから」。

 私はいろんなことを知らない。30年後の日本経済だって予測できないし、そもそもいま現在の円とドルの交換レートも知らない。Excelのマクロの使い方だって初歩の初歩の部分しかわからない。雪が降らない地方で5cmの積雪があった場合に、電車がどれくらい遅れるか知らない。

 だけどたいていの人が言う。この調子だと30年後には○○だよ、雪でダイヤが乱れたってそう大した遅れはならないよ。多くの人が将来を予測できるような口ぶりでいる。で、だいたい外れる。

 専門家でさえ、インターネット初期には「いったいネットに何の用がある?そんな経済効果はファクス機以下だ」とコメントし、スマートフォンの登場時に「通話の際の音質が悪い。携帯市場を脅かすには足らない」とか言っていたわけで、素人の予測の精度はそれ以下になる。

 人は自分のことだってよく当てられない。5年前に戻って、いまの自分の生活を当てられたかどうか?と言われたら、自分はできなかった。少なくとも当時の予想とはだいぶ違うし、そのときは「これが自分の短所、こっちは長所」と思っていたことも覆されている。それほどすべてが不確定だ。それほどすべてがわからない。

 で「わからない」で終わっても仕方ないのであって、そこは出発点なのだった。例えば「私は過去にああでこうで性格も暗くて、お先まっくらだよ」と考えていても、その通りに人生が進むわけじゃない。文字通り将来は不確定だから。

 あるとき食生活を変えてみたら急に元気になるかもしれないし、単にいる場所の気候が合わなくて、引っ越した途端ラクになるかもしれない。もちろん逆もありうる。ぜんぶわからない。「わからない」から始める。そこから「これを変えたらよくなるかも」「この条件を変えたらいいかも」って試行錯誤する。

 仕事が憂鬱で外に出たくないと思っていたけど、本当はただ寒さが嫌なのかもしれない。あるいは電車が雪で遅延するのにうんざりしてるのかもしれない。なら服装を暖かくして早めに家を出てみて、それでも憂鬱ならまた考えてみよう。そんな感じ。

 余談だけれど、○○のせいで鬱っぽいって言う人は、そもそも原因をちゃんと特定できてないところがある。「仕事が~」「彼女が~」とかじゃなくて、単に嫌なものを嫌って言えない性格のせいなんじゃないか……悪いのは君の恋人でも職場でもないよ。
 原因ははっきりとはわからない、だから探そうって考えられれば、間違った原因と格闘しなくても済む。

 「わからない」は無能なんじゃなく、ただ誠実なのだ。

 何かを「知っている」「わかっている」と思っても、案外わかってないもの。そう語りかけてくる本だった。口語訳で読みやすい。

https://www.diamond.co.jp/book/9784478029060.html


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本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。