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『桃太郎』についての次男の解釈

湧いてきた哲学

哲学にふつふつと興味が湧いている。ソクラテス、プラトン、高校で学んだような、でもそれは概要というか考えの系譜のようなものだったような。哲学に再び触れてみている最近。

有名な昔話に沿って有名な哲学者とその考えがとてもわかりやすく書かれていて、まさにいま欲しい本だった。出会えて嬉しい。またイラストもストーリーも楽しくて小2の長男とキャハキャハいいながら読んだ。もしかしたら次男もそぞろに話を聞いていたのかもしれない。ある夜、寝しなに桃太郎の話になった。

"桃太郎はなぜ鬼退治に行かなければならなかったのか"

次男「お父さんとお母さんに行ってきてって言われたんじゃないの。」
私「でも鬼退治なんてめちゃ怖い、親からお願いされても嫌でしょ。」
次男「そもそも桃太郎は桃から生まれたんだよ。人間じゃないの。」
私「え、そうだったのか…」
次男「そう、人間じゃないから怖いという意味が人間とは違うの。」

"桃太郎はなぜ桃から生まれたのか"

私「そういえば桃太郎はなんで桃から生まれたんだろうね。」
次男「桃太郎という名前になる必要があったから桃から生まれたんだよ。」

幼い頃の自分は昔話に対して、受け入れることしかしなかった。「へえ、そんなお話なのね」で終わりだったな、きっと。長男次男のお話への読後のつっこみや、でもぼくはこう思うというような解釈を聞いているとドキッとする。論点の違いや視点を学ぶ。そしてあらゆる物事をきっと鵜呑みにしすぎてきた自分はなんてぼうっと生きてきたんだろうと反省する。丁寧に物事を説明してから結論を最後に言う長男と、結論から言いロジカルに話を展開する次男でも思考は違う。一緒に暮らす家族の中でもダイバーシティってあたりまえにあるんだな。

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