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得意なことで頑張れ

「りえは教師になるんだと、思っとった。」

何年かぶりに会った祖父に、就職して旅館で働くことになったんだよ、と報告したら、そんな言葉が帰ってきた。

「教師?」

なぜ。なぜ教師。
学校の先生になろうと思ってる、だなんていったことはないのに。
どういう思い込みだろうか。
まだ小学生の頃、私が書いた習字をしょっちゅう母が送っていたから?
それをお仏壇の横に丁寧に飾って、毎日眺めていたから。
そういうイメージに結びついたのかな。

高齢で耳も遠かった祖父と深く会話をすることは難しい。
もっともらしい理由が語られることはなかった。

「得意なことで頑張らないかん。頑張れ。」

ただそれだけ。きっぱりと言われた。
押し付けるような感じはなかった。
祖父がどういうものが得意で、どういう仕事をしてきたのか私は知っていたから。
すとんと胸に素直に落ちた。


 私に会うといつもにこにこ嬉しそうに笑ってくれた優しいおじいちゃん。
何か特別なことをしていなくても、ここにいるだけで十分特別なんだよと思わせてくれる。ひょうきんで、曲がったことが大嫌いで、まっすぐなひとだった。

その数年後に亡くなってしまった。でもその時に言われた言葉だけは、ずっと深く突き刺さっている。


「得意なことで頑張る。」
そんな一言でいえるくらいに、シンプルな頑張り方を私はずっとしてこなかったなと思う。

 ホテルの仕事が私の得意なことかと言われれば、絶対に違うだろうなということには、もう早くから気が付いていた。
だから、そう言われたことが余計に刺さった。
本当にこれで大丈夫なのかって。
だけど、もう決まったことだしな・・・・と目をつむるしかできなかった。

私はサービスを極めたかったわけじゃない。
観光業に興味があったし、会社の魅力の中に学びたいことが含まれていたこともたしかだけれど、ホテル業に強いあこがれがあったわけではなかった。いわるゆ自己分析の甘さで進路の選択に失敗した人だった。

今思えば、私の中には「得意なもので頑張ろう」という発想がなかった。
「ないものねだり」を積み重ねたその先に、出現した就職先だった。

就活でアピールできるような、成功体験を用意しておかなくちゃ。
大学生はみんな思っている。
夏休みを使って、いろんなことに挑戦した。
でもその挑戦したことは、私にはない何かを得るための働きで、-1を0にするような、弱点克服の動きが強かった。
持っているものを磨こうという方向性のものではなかった。

チームワークで何かをするとか。
スピード感を持って動くとか。

それで得るものも、磨かれた物もきっとあったと思うけれど。
そこに本来の私らしさはなかった。
「そうするべき」の塊だった。
そういうもので戦って得た就職先は、自分の特性とはかけ離れていた。


振り返ると、もうずっと「ないものねだり」で生きていた。
あれができない。これができない。
こういうスキルを持つべき。

運動音痴だから陸上部に入る、とか。
やることが極端だよね(笑)

自分が不得意なフィールドで頑張ることには、得意なひと以上の努力が必要。そんなわかり切ったことがわからなかった。
失敗してわかっていたつもりだけど、結局わかっていなかった。
人並み外れた根性や芯の強さがあるわけではないのに、向上心だけは馬鹿に高くて、まじめすぎて、そのたびに挫折して。
なんでこんなにつらいのかなーと思っていたんだけど。

自分のマイナスなところしか見ていないからだ。

「得意なことで頑張れ」

 祖父の言葉はそんな自分の在り方に気が付かせてくれた。
あれもできない、これもできない、お前は不完全だ、と自分で自分を痛めつけ続けることに待ったをかけた。
不完全でいいじゃないか。
何か一つ持っていれば。

「好きなこと」とは言っていない。得意なことだ。それがよくわかんないんだよなーという問題も、確かにあるのだけれど。

しかし、そういう考え方に変わって、見つけた今の仕事はとても楽しいなと思う。
以前より、私らしいとも思う。

遠方でほとんど会えなくて、一緒に過ごした時間は短い。でも本当に大切なことを教えてくれた。私は一生、祖父からもらったこの言葉を忘れないだろう。一生感謝し続けるだろう。




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