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Special Thanks !(みんなのフォトギャラリー)

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みんなのフォトギャラリーから、みあんご!が撮影した写真を選んで使ってくださったみなさんのノートをまとめています。ありがとうございます!
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2021年5月の記事一覧

「ひとりラブソング」

恋の始まりとすれ違ったんだ 知らず惹かれる想いに 嘘なんてつけなかった 伸びる影 私ひとり 変わらないままで 沈む夕陽に願った 幸せを連れていかないで あなたの声と言葉 私の傷 包み込むの その笑顔から 哀しみなんて 消えてしまえ 隣にいなくても 私のそばにある 願うしかできないから せめて愛してもいい? いつも近くにいた 優しい音が 永遠ならほらここに 大丈夫 ちゃんとあるよ 抱きしめて ふわり強く 潰れないように 光る蛍と踊った 軽やかに跳ねる身体ごと あなたの

最後に腹で決断する

人間が思考するのは頭 気持ちを感じるのは胸 考え方や哲学は腹、というか丹田(おへその下あたり)に備わる。 この3つで人間は物事を判断しているように思う。 頭でっかちにデータやロジックに頼りすぎた判断はときに目の前の相手の本心を感じ取れておらず、すべてを無駄にする。また過去の成功体験がImprint(刷り込み)されて、今回もうまくいくだろうと頭の判断に従って大局を見誤るときがある。 衝動買いをして後で後悔するパターンは、その時の感情で動き、頭も使わず、腹とも相談せずに

小石を投げるように

ここ最近、自分の言葉で記すnoteの更新を怠っていた。 その理由には、いくつかあって 1.大きな扉の前にたどり着き、その扉に向かうクライアントさんが相次ぎ、ほとんどのエネルギーをそこに注いでいたこと 2.オブザベーショナルコーチングのリリースの準備に集中していたこと 3.コーチ職やコーチングが日本市場で一般的になるにつれ、認識の幅が広がっていることを感じ(寄せらせる質問の幅も増えました)、公開の場で何を話せばいいかわからなくなってしまったこと 4.3の状況下で”コーチ

小さな親切、大きなお世話

 私が小さいころ、よく聞いたフレーズです。「小さな親切、大きなお世話」。  こちらとしては小さな親切でやっているつもりでも、向こうにとっては、大きなお世話だ、というような意味だと思います。  「お世話」って、ふしぎな言葉ですね。「お世話する」って、多くの場合、いい意味ですものね。「お世話になる」とか。  「余計なお世話」というと、悪い意味になるのですね。「大きなお世話」も、悪い意味です。  同様にして、「面倒」という言葉も、二重の意味のある言葉で、「面倒を見る」という

神様のお導きかのようなシンクロニシティ2

前回のお話 偶然見つけた神社の本殿参拝で、タケノコのイメージが浮かび、それが摂社の神様と関係しているというシンクロニシティを経験した私。実は、この後正に神様のお導きとしか思えないシンクロニシティを経験します。 古事記を詳しく知らない私は、塩土翁(シオツチノオキナ)の事も、山幸彦の事も知らなかったので、家に帰ってからネットで検索してみました。色々調べた中で、山幸彦を導いたという事から、塩土翁を猿田彦大神と同一神と考える説があることを知りました。 またしても猿田彦大神とつな

母の日だから言わせて

今日は「母の日」。母親へ愛と感謝を捧げるのが本来の趣旨。僕自身も、産んでもらったことに感謝し、愛を育まれて23年間生きることができたことを感謝したい。 ただ、今は感謝以上に、母に対し、不満を結構溜めていたりする。僕は関係悪化を極度に嫌っていて、ケンカを好まず、言葉のトーンが悪化したら、一歩引く以外ない。一回歯向かってみたが、怒った母には逆らえなかった。元友人Fのときは赤の他人であり、離れて住んでいるから強気で嫌うことができた。しかし、肉親で金銭面の支援を受けている僕にとって

牡丹(花まくら より 025)

「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」  とは、美しい女性の姿を花に例えた言葉である。この内、芍薬と牡丹は、とてもよく似た花である。大まかに言えば、芍薬は草で、牡丹は木である。葉っぱも違っていて、芍薬の葉は細長く艶があり、牡丹の葉は先が三つに分かれていて艶がない。  一見すると同じように見える芍薬と牡丹、分類学的にもボタン科ボタン属で近しい品種、しかし、詳細にその様子を観察してみれば、大きな違いがあることに気づく。私はこの二つの植物を、双子の姉妹に例えることにした。そし

「他人と比較しない生き方」 No.122

=========== 2021年5月3日 「DAYONE日記」No.122 本ブログは、何か新しいことを始めるきっかけになることを書いていきます。 =========== 人の気持ちが大きく揺らぐ原因の一つが自分に足りないものに気づいてしまうということです。 「隣の芝生は青く見える」ということばの通り、人は他人と比べる生き物だと思います。 他人はもっているのに自分には持っていない。 それは、物だけでなくスキル・ノウハウ・知識・情報もそうです。でも、それは、結局誰かと