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8月、死んだ彼女からの電話

 8月、夏の海、白い浜辺で、その電話はあった。
 「……連絡が遅れてゴメンね。まだ終わっていないの」
 電話の向こう側で、彼女はそう言った。
 咄嗟に返事が出来なかった。スマホを握りしめる。
 「今どこにいる?何をしている?」
 「……君の傍にいるよ。ずっと見ている」
 振り返った。誰もいない。砂浜だ。すすきが揺れている。
 「……ウソ、遠い処にいるの。すっごく遠い」
 「何処だ?海外か?」
 「……うん、そんな感じ。もう会えないかも」
 心胸(むね)に痛みが走った。笑顔がフラッシュ・バックする。
 「会いたい。でも俺には無理なんだ」
 涙が溢れる。その場に膝を折って、砂浜に手をつく。
 「本当にすまない」
 彼女が微笑んだようだった。
 「……いいよ。とっくに許している。こっちこそゴメンね」
 「ああ、お前の事が大好きだ。それは間違いない」
 「……恋の真っただ中で、聞きたかったな。そのセリフ」
 深く嘆息したようだった。彼女の無念が伝わる。
 「一言、謝らせてくれ」
 呪いを吐き出すように言った。救いが欲しい。
 「……ううん、こっちこそゴメンね。何もできなくて」
 心残りがあるようだった。だが先に謝る。
 「最後まで一緒にいられなくて、本当にゴメン」
 沈黙があった。だが優しい笑顔が瞬く。
 「……あなたも許して。もし許せない人がいたら」
 電話はそれで終わった。

 別れてから、最初の連絡だった。
 向こうから電話する約束だった。
 彼女は約束を果たした。それはいい。
 だがその後、繋がらなくなった。
 彼女の実家に連絡したら、驚かれた。
 それはいつの話だと。事情を説明する。
 交際は秘密にしていたので、色々怪しまれた。
 とにかく、時系列が合わない電話だった。
 とっくに彼女は死んでいて、この世にいない。
 葬儀も済んでいた。だが着信履歴は残っている。
 親族共々、そんな事があるのか、という話になった。
 だが俺は信じた。アレは彼女からの電話だった。
 付き合っていたのだ。それは間違いない。
 だが自殺していたとは知らなかった。
 いや、彼女の事を考えれば、当然かもしれない。
 俺は見て見ぬ振りをしたのだ。許される事じゃない。
 ああ、神様。どうして俺はいつもこうなんだ。
 俺は彼女の実家を後にした。

 どうしてもっと、話を聞いてやれなかったのか?
 どうしてもっと、一緒にいてやれなかったのか?
 彼女は真夜中でも、些細な事で電話してきた。
 指先をちょっと切ったとか、そんな話だ。
 お風呂場で、滑って転んだ話もある。
 最初は何かと思ったが、早い話、病気だった。
 個々の話は他愛無いが、全体としておかしかった。
 だからすぐに気づかなかったし、テキトーに流した。
 それがいけなかったかもしれない。
 もっと親身に話を聞くべきだった。

 いや、どの道、無理だろう。
 彼女は病んでいた。
 もうどうにもならないくらい、病んでいた。
 心療内科でお薬を処方されていた。
 だがそれで良くなる訳でもない。
 むしろ、暴走していたかも知れない。
 彼女には、死んだ母親がいて、狂い死にしていた。
 時々、その時の話をするのだが、ヤバかった。
 本人が、まるでその母親のように話すのである。
 意識の境界線が曖昧で、一体誰が喋っているのか不明だ。
 もしかしたら、死んだ母親かも知れない。
 死んだ母親が、娘に取り憑いていたのか。
 無念で、娘に乗り移って話しているのか。
 世間的にはそれを病気と言うが、そうは見えなかった。
 恐ろしくリアルで、母親は確かにそこにいた。
 だが俺には、彼女を救う事ができなかった。
 どうにもならない。正気の時はまだいい。
 だが一度おかしくなると、手が付けられない。
 娘が母親に乗っ取られる。ハイジャックだ。
 俺も仕方なく、その母親と対話した。
 世の中にはそういう事もある。
 そうとしか、言いようがなかった。
 彼女は霊体質で、憑依された母親の話ができるのだ。
 そのうち、俺の夢に、母親が出るようになった。
 殺される。そう判断して、俺は別れた。
 退転だ。自己保身だ。俺まで死にたくない。
 彼女を救う事はできなかった。俺には無理だ。
 その後、彼女は母親の後を追った。
 だがその事を知ったのは、後の話だ。

 とにかく忘れたかった。
 だが正気の時の彼女は良かった。
 とてもいい奴だった。今時珍しい。
 それだけに、どうにかしたかった。
 しかしあの電話は、ホント何だったのか?
 時系列が合わない。彼女は死んでいる。
 だがスマホを見ると、履歴が残っている。
 三分間も話している。あの世からの電話だ。
 いや、もうそんな事はどうでもいい。
 8月、死んだ彼女からの電話だった。

 俺は彼女の死を確かめるために、電車に乗った。
 そして俺は彼女のお墓の前に立っていた。
 中に御骨が入っている。
 ここは霊園だ。見渡す限り穏やかだ。
 親族の話では、彼女は自然葬を嫌った。
 海に遺灰を蒔くとか、樹木葬はダメだと言った。
 普通にお墓を立てて、埋葬して欲しいと言っていた。
 骨は50年、死者と地上の人を繋げると言う。
 だから昔の人は、8月お盆に墓前で手を合わせたのか。
 お墓は一種のアンテナで、霊界通信機か?
 まさか、かの発明王じゃあるまいし。
 かの天才は、晩年、本気で開発に取り込んでいた。
 霊と電気は関係があるらしい。だから電話もできる?
 骨に縁が残っているからか?英霊召喚?
 理屈は分からない。だが現象としてはそうだ。
 信じたくない奴は信じなければいい。
 だが俺は信じる。死んだ彼女から連絡はあった。
 約束通りだ。何の問題があるのか。
 ふと、メールの着信音が鳴った。
 「気にしてくれて、ありがとう」
 彼女からだ。素早く返す。
 「また来てね」
 短いやりとりだった。
 彼女のスマホは、とっくに解約されている。
 親族から聞いた。電源も入れていないそうだ。
 これは一体何なのか?請求は何処に行くのか?
 大震災の時、時系列が合わないメールが来た話はある。
 世間でも、そういう事はあるのだ。
 事象は解明されていないとしても。
 彼女はいる。確かに存在するのだ。
 そしてお墓に骨がある限り、50年は連絡が取れる。
 さすがにこっちから電話は無理にしても。俺は空を見上げた。
 地球の空は青かった。俺の心は、曇りのち雨だった。

            『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』補遺011

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