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ジャカランダの木の下で

予定を変更した。朝、突然。
本当は、「やらなければいけない」「やっておきたかった」仕事が一つあったのだけれど、どうしても、自分のためにも、今日「時間を作りたい」と思える事項が、朝飛び込んできたので、ダメもとで、そのアポが取れるか聞いてみた。こういう時って、なぜか流れがうまくできているもので、アポはさくっととれた。そんな時は、本当に身体も心もウキウキする。

昔、ニュースを書いていた頃、朝といえば、まず、世界と日本のメディアにざっと目を通し、その中から、フォローアップしなくてはいけないネタをざざーっと取り出し、ボスと相談しながら、チームで分担してフォローしたものだった。それをやりながら、新しいニュースもまたどんどん入ってくるので、どれが貴重な時間をかけるべきネタかと、つねに新情報に優先順位を付けながら、書いたり、電話して取材したりしながら朝の時間を過ごしていた。そんな日常の中で、頭の中には、「今日の重要ニュースアイテムリスト」に載りそうなネタが、いつもぐるぐる回っていたものだった。

そんな仕事をしていたせいか、ニュース業界を離れてからも、私のがっつり爆発頭脳は、いつも、朝からこの「重要ニュースアイテムリスト」のような、考えたいことでびっしり。通信社や投資会社で働いたことのある人なら想像がつくかもしれないが、まさに、目の前のあるマルチスクリーンに、どんどんニュースが上がってくる、そういう感じで、私の脳が、毎朝、「読みたい!考えたい!知りたい!」と起きた瞬間から、叫び始めるのだ。特に、FACEBOOKなどのソーシャルメディアを情報取得のポータル替わりに使っている私は、朝からもう、どんどんスクリーン上にネタが上がってきて、「これも読みたい、あ、これにも目を通そう、これについても考えたい、あれについては怒りがこみ上げる、これについてはどうしよう」と朝ごはんを食べる前から、頭脳くんを大忙しにさせていくのだ。

でも、私が、今日会った大切な友達のところでは、この大忙しの頭脳君をスローダウン、時には、完全にシャットダウンさせて、休めることができる。ありがたやー。ありがたやー。なのである。

さて、オーストラリア、クイーンズランド州の南東の端に位置する州都、ここブリスベン市では、この1週間ほどの間に、ジャカランダの薄紫の花が一気に咲き始めている。ジャカランダは、地元人にとっては、日本人の桜に値するような、いわゆる春の訪れを告げる木、である。街のそこら中に、ジャカランダの木が生えており、花びらも、まるで桜のように、風に揺られて、落ち、道を紫色のパステルカラーで優しく包みこむ。オーストラリアに来て13年にもなる私にとって、そして、私を含む多くの地元民にとって、ジャカランダは、短い春の訪れ、そして新しい季節の芽吹きの象徴でもある。ジャカランダが花咲くころには、太陽の光が強まり、風が温まる。ジャカランダの開花は、この短い春のあとにすぐやってくる、亜熱帯地方の厳しい夏の記憶を、脳裏によみがえらせてくれるのだ。

今朝訪れた友人の自宅のベランダからは、そんな優しい薄紫色の花を咲かせたジャカランダの木が見える。そんなジャカランダの新しい芽吹きのエネルギーを感じながら、風に吹かれながら、ベランダのマッサージベッドに横たわり、走り回る脳みそくんをスローダウンしてあげた。

ふわふわモードでリラックスしながら、それでも「うーん、その質問に答えられないのは何故かなあ。」などと、ぐちゃぐちゃしゃべり続ける私に、「みっちー、もー、また考えてるー。」と彼女が一言。ふと、自分の脳がいかに、コンスタントに「思考モード」に入っているか、気づかされた。「それもギフトなんだけどね、みっちーの。」とフォローしてもらったけれど、このいつも考えてすぎてしまう爆発脳くん、今朝のようにお休みを与えてあげないと、オーバーヒートしてしまう。そして、きちんとお休みを与えてあげると、「わーお!」というとてつもない気づきがあったりするのだ。

夜、雨が降ってきた。ジャカランダの花びらは、桜のそれのように、いとも簡単に落ちてしまう。

また、ひとつの春が、足早に過ぎ去っていく。

おまけ:
みっちーの爆発脳の中に廻ったみっちー的重要ニュース一部抜粋(2018年10月8日)

ーアメリカの最高裁判事選出をめぐる人格問題とパワハラ・セクハラ問題、そして、声をあげた犠牲者が加害者と加害者のサポーターたちによって、再度傷つけられる悪循環について
ー娘が言った言葉(英語だったけど):「大人たちは、いじめはだめだと学校で子供たちに教えて、いじめをなくすための、いじめ反対デーとか学校で子供たちにさせるのに、なんで自分たちはいじめあってるの?」





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