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適応化された外の自分

思うに私は
仕事の日に気を張りすぎている気がする。


ちゃんとした「大人」「社会人」に適応すべく
愛想が良い自分を作り込んでいる。
外見においても、
これは妊娠前の話だが、バッチリ化粧をして髪を巻き、アクセサリーをつけて小綺麗にして出掛ける。

その分休みの日は一気に疲れが出て、何もしたくなくなる。
他人とも上手く喋れなくなるので、
せっかくカフェでお店の人が話しかけてくれてもコミュ障っぷりを発揮してしどろもどろになってしまう。
格好はもちろん適当だ。

もしかするとこっちが素なのかもしれないが、
あまりに外の自分との乖離が激しく、
これで良いのだろうかと不安になる。

しかし、
不器用な私はこれぐらい頑張らないと外では生きていけないので、どうすることも出来ない。


先日夫に薦められ、
『コンビニ人間』を読んだ。
村田沙耶香さんの書いた、芥川賞受賞の小説だ。


自身が大学を卒業した後、
徐々に社会に適応されていく感覚に安心するような、少し寂しいような気持ちになったことを、
この本を読んで思い出した。

音楽大学という世間的には特殊な方に入る環境にいた故に、
働き出していざ労働者としての感覚とか税金とか、はたまた恋愛とかの経験値が上がったことで、
「普通の人になってきたなぁ」と
自分で思っていたのだ。
元から全然普通の人なのだが。


生きるためのもの、世間一般で話題の中心のもの、を少しずつ取り入れていくと、
それまで芸事に取り組んできた自分の一部が無くなるような気がして、
苦しみから逃れる嬉しさと安心感、そして表現の場から遠ざかる寂しさと悲しさ、
複雑な気持ちになっていた。



今でもそれは仕事をしていると感じる。

社会に確実に適応化されていき、
自分の個性が殺されるような感覚。
同時に皆と同じであることに安心する感覚。

社会との繋がりを求めて頑張るくせに
本当の自分を貫く勇気も無い。


そんな人間らしさを感じながらも
あと約一ヶ月後、
産休のため会社員としての自分は一旦お休みすることになる。


一時的に社会人ではなくなったら、
私は普段どんな私になるのだろうか。



では。

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