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ステージⅡか、良性か。

先月末、手術を受けました。
主に「腫瘍の摘出」が目的だったのですが、
実は直前になって、「悪性の可能性」が浮上し、
生検の結果を待つ日々でした。

非常にプライベートなことであり、
こんなことを公に書くのはかまってちゃんでは…
という思いもあったのですが……
今回の件で「生きる」ということに向き合う中で
結果はどうであれ、
「私はあらゆることを書き残したい!!」と思いました。
だから私は、ここに残します。

手術に至るまでの話

健康診断で「肝臓の数値が高い」と指摘されたのはおよそ6年前。
肝炎等の原因として考えられるのは
お酒や薬(サプリ含む)が代表的なものとのことですが、
私にとってはどちらも無縁。
クリニックでエコーを撮っても原因・状況共によくわからず
大きな病院に紹介をしてもらうこととなりました。

そこで改めてエコーを撮ってみると、
偶然にも膵臓に影が見つかりました。
私はかつて30歳になったばかりのタイミングで
立て続けにすい臓がんで友人を2人亡くしています。
私の場合はおそらく良性なのですが、
過去の友人たちの出来事と
自分の「やることはやりきりたい」という性格が相まって
継続的な経過観察を積極的にお願いし、
それはいまだに続いています。

で、肝臓はというと
CTやMRIも定期的に撮影してみるものの、
やはりよくわからん!という状況でした。
3年前には1泊検査入院して、生検も行ったのですが
そこでも診断はつかず。
対症療法として薬を服用し、
値が多少改善したのでそれを続けながら、
膵臓の影の推移とともに、様子を見ている日々でした。

突然の手術決定

ところが昨年末、

・実は肝臓に影があるみたい(初耳)
・しかもよくよく見てみるとちょとずつ大きくなってる
・良性だとは思うけれど、切った方がいいかも

という話が突如浮上。

わたし的にはどちらかというと
「膵臓」に当てていたスポットライトが、
それまで具合はイマイチだったけどノーマークだった
「肝臓」にパンした瞬間です。

先生の見立てでは「肝細胞線種」という良性腫瘍。

・いますぐ悪さをする可能性は少ない
・が、ゆくゆく大きくなって悪性化するリスクも考えうる
・良性段階でも破裂すると
 肝臓内で出血を起こすこととなるので緊急手術が必要
・破裂した場合には腫瘍の種が肝臓内にばらまかれる状態になるので
 そこから新たな腫瘍が発生して、
 先述のリスクも増大(?)する
・腹腔鏡での手術になると思う

不安をそのまま置いておくことができないタイプの私は
「じゃぁ切ります」と即決。
子どもたちを置いての入院となるので、
春休みに、実家に子どもを預かってもらって手術する方向で
調整を進めることにしました。

1つのはずが2つに。

そこからは手術の準備が始まります。
自己血(400ml)をストックしたり、
万が一他にも悪いところがあったら対応を考えたいので、と
大腸の内視鏡検査も行いました。
(胃カメラも勧められましたが、
 人間ドックで予約済みだったのでそちらで対応)
手術のシミュレーション用に3D CTを撮り直し、
リハビリ科からは事前の筋トレ指導を受けたり、などなど。

そんな準備段階の合間の診察で
一緒に腫瘍の状況を確認していたある日。
「ん?もう1個あるなぁ・・・」と
目の前で新たな腫瘍の存在が発覚。

認識されていたおなか側表面にあるものに加え
今度は背骨近くの背面に新たな腫瘍が見つかりました。
背中側の腫瘍は非常に取りにくい場所にあり、
当初想定していなかった体位で2か所の手術を行うこととなり
6~8時間かかりそう、という話に。

沈黙の臓器と呼ばれる肝臓。
そんなわけで自覚症状もなかったのですが、
そこに腫瘍が早めに見つかるだけでもラッキーなのに、
さらにもう1つもギリギリのタイミングで発見されるとは!
まとめてオペできてよかった!

「悪性の可能性がある」だと・・・?

手術まで20日をきった手術説明の日は、
念のため夫にも同席してもらいました。

すると先生が一番に発したのは
「肝細胞がん」という言葉。
そして突然、がんに関連した説明が繰り広げられます。

ん?なんで「がん」???

どうやら背中の影の映り方が、好ましくない。
悪性の可能性があり、万が一そうだった場合には、
「ステージⅡ」に該当する、といいます。

まだ1cmにも満たない腫瘍なのに?
万が一だったとしても、早期発見じゃないの??
いきなりステージⅡ???
っていうか「多分良性」の話はどれくらい生きてるの????

私「万が一悪性の場合、取れば心配は少ないんでしょうか?」
医「今回のものは、手術できれいに取り切れるでしょう。
  ただ、肝細胞がんは肝臓の資質にもよるんですよね。 
  ステージ云々というより、腫瘍ができやすい肝臓かどうか、
  というのもあって、再発の可能性もまちまちで」
…というような話。

診察室を出た私たちは
私「いま、がんっていったよねぇ」
夫「うん、言った。でも念のためって話だろうし、違うでしょ」
私「でもさ、ステージⅡってびっくりしない?」
夫「うん、でも違うと思うよ」(←基本的に楽天家で心の底から言ってる)
私「万が一の場合も、取り切れるって言ってたし、
  肝臓の資質については考えても仕方ない話だからね。
  まぁ、いずれにしろ、ラッキーだったね」
と、ふわふわしつつも、あっけらかんとしながら会話して帰宅しました。

1週間後、突然現実に不安になる

ストレングスファインダーで「収集心」が1位の私。
「肝細胞がん」の可能性に言及されれば、
すぐにでも「5年生存率」とか検索しそうなものですが……
ほとんど調べませんでした。

それは、恐怖ゆえではなく、意味がないと思ったから。

統計で●%と出ていても、
自分という事例はここにしかない。
●%に入るのか、それ以外に入るのかは、
結果を見ないとわからない。
数字に振り回されることは
(少なくともこの段階では)意味がない。

悪性なのか、そうでないのかは、
いま私が知らないだけで、
もう体の中で結果は出ている。
しかもたまたま通院していて見つけてもらった腫瘍は
考えうる最速のタイミングで
最善の対応をいまできているはずである。

うん、むしろやっぱりラッキー。
そう思ってたんですよね。

ところが、通院から1週間後、
前回の手術説明に同席していたはずの夫から
再度状況の説明を求められたのがよくなかった。

先生の話を辿って、
様々な可能性について私が口に出して説明する。
すると、自分の状況の解像度がみるみる上がっていく。
自分の口から発したこの状況やもしもの病名が
言霊になってしまうようで、
自らの言葉で自分を追い詰めていくようで、
たちまち気持ちが不安定に……。

人に言われたものを受け取ることと、
自分の口で体の中から発することの違いって
こんなに違うものなんだ
、と、愕然としました。

(この時、Twitterの公開制限をかけて
ごく一部の方にお話を聞いていただいたことは
本当に大きな心の支えになりました!)

入院前、いろんな万が一に備える

さて、そんなこんなで時は経ち、春休み直前になり
間もなく手術というタイミング。

今回「腹腔鏡」とはいえ、
2つ目にみつかった腫瘍はかなり厄介な場所にあり
(『腹』腔鏡なのに、背骨側の腫瘍切るし、
 大きな血管に密接してるし)、
そこそこリスキーな話も聞いたので、
「やることはやりつくしておきたい」私。

悪性化否か、それ以前に、
実は密かに、手術中の万が一にも備えていました。

夫にお金周りの話や保険など重要書類の説明。
「どうしてそこまで…?」と訝し気だったので、
「入院が長引いた場合に備えてね」とはぐらかしましたが。(笑)

ノートの1ページには、
「万が一の場合に連絡を取ってほしい人」と題して、
仕事関係や友人などのキーパーソンをリストアップしたりして。

娘たちとは早く咲いてしまった桜を見ながら、
スマホで一緒に記念撮影なんかして。

当時家族のだれにもそんな話はしませんでしたが、
私にしてみたら実は結構いろんな覚悟をしていました。

(結果的に手術は大幅に長引き、オペ室入室から覚醒まで
13時間かかってしまいました。
目覚めたときは、「生きてた!」って思ったのを覚えています)

術後の話を少しだけ

とはいえ、「腹腔鏡」そのものは
どこかなめていた私。
開腹よりラクとみんなが口をそろえて言うものだから
生還すれば回復過程は楽勝かと思っていましたが……
術前の自分をぶっ飛ばしたいですね。

長時間の手術で想像以上のダメージを受け、
身体の変化も体力の低下も著しい。

いや、もちろん、年齢が比較的若いので
日々良くなる実感はありましたが、
いまだに痛みはあるし、
全身麻酔の後遺症で声はカッスカス。

術後は鬼マズいドリンクを
毎日600ml飲みほすという苦行もつらかった。

まぁ、そんな状態を想像できていなかったからこそ
「今」がMUSTではない手術に
早めに踏み切れたので、
結果オーライではありますが。

今後、手術を予定している方がいるなら
声を大にして言いたい。

少なくとも肝臓の手術においては
腹腔鏡でもそこそこ痛いよ。
水飲めないのもつらかったし、
しばらくどろ~んとしたごはんだし。
退院後は痛み止め飲めば日常生活OKっていうけど、
まぁ身の回りができる、というスタートだからね。
いきなり仕事とか、考えない方が安全だよ。

そして、結果が出た。

さて、そんなわけでね、
10日の入院を経て退院し、日常に戻りつつも、
常に「良性と悪性の間」の宙ぶらりんを
ここ3週間ほど生きていました。

受講してたコーチングも、実は中断しようか迷いました。
手帳で行ってた目標設定とかも、
どんな心持ちでやろうか迷いました。

だって、「良性と悪性の間」に置かれた私は、
あると信じてた未来がたちまちぼやけてしまったから。
「70代でありたい姿」とか言ってる場合じゃなくて、
直近数年をどれだけ濃く生きるか、
そこに全神経集中すべきかもしれない状況だったから。

ただね、どちらの結果にしても、
「今大事なことに精一杯臨んでいきていく」ってのは
変わらないわけで……
祈りを込めながら、未来を思い、未来を描き、
でも未来のためにではなく「今」に感謝し精一杯生きる。
そんな積み重ねが、この3週間でした。

10年日記をつけ始めたのも、祈りを込める意味とともに、
万が一の時の子どもへの記録にしたいと思ったから。


料理へのスタンスが変わった理由の一つも、
(もう体の中で結果は出ているとはいえ)
万が一の場合に体へのベストを尽くしておきたいという思いがあったから。


そして昨日、結果を聞く日。

生検の結果は、――良性でした。

ホッとするというより、畏れを感じました。
「あぁ、生かされてるって、それだけで尊い」って。
しっかり生きよう、と思いました。


これからやりたいこと

実際「死」と「生」ってものにこれまでより一歩近づいて、
両方をそっと手のひらに乗せて
そっと手触りを確認してみる。
そんな経験をしてみてわかったのは、
「死ぬかも」って思うと、やりたいことが次々出てくるってこと。

1600万円で地上30kmまで飛び上がって
「まるで宇宙」な経験ができる気球型宇宙船?のネプチューンとか、
余命宣告されたら絶対乗ろう!!って思ったし
(だって90歳まで生きるお金より1600万の方が絶対安いし)、
まだ10代のピヨピヨだったころに別れた彼氏とかにも
会ってさまざまな「?」を答え合わせしよう、
とかも思いました。(笑)
いや、真剣に。

で、結果的にはそれらを今すぐ行動に移す必要は
なくなったわけですが、
でも絶対にすぐに行動に移そう(移している)と
思っていることは3つあって、

●食を大切にする
 日々の料理、腸活、大切な人と「おいしいね」と言える喜び

●動ける幸せを堪能する
 血が全身を駆け巡る感覚を味わう、健康につながる体を自分で作る

●人に寄り添い、役に立つ
 わたし的に価値のある仕事、マクドナルドハウスでのボランティア

大それたことを成し遂げるのではなく、
日々の営みを大切にする。
喜びを見つけて、愛で、味わう。
――それができることって、本当に幸せなこと!


おしまいに

「良性か悪性か」の間に立っていた私は、
結果「良性」側で手を振ることになりましたが…
「見える世界が違うわ!」なんてい言ってる気持ちも、
多分私はすぐに忘れてしまう。

子どもに怒鳴って、
つまらないことでくよくよして、
どうでもいいことで腹を立てたり、
そんな必要ないことを引き受けてしまったりする。
きっと。

だから私は、「ステージⅡ」を
ずっと片手で持っておこうと思うのです。

だって、
この体の中にある「悪性」を知らないだけかもしれない。

良性だったからといって、
私の命がその瞬間に伸びたわけではない。
きっと、既に私の「生きる時間」は決まっていて、
今回はその時じゃなかった、
それを途絶えさせるきっかけが
今回の病気じゃなかった、というだけの話だし。

「私はステージⅡです」
そんな思いと覚悟を、
今のこの生めかしい手触りのまま握っておけたなら、
無駄なことなんてしない。
感覚は研ぎ澄まされて、大事なものを手にしていける。
ささやかで、でも絶対手にしていたい大事なものを。

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