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こころの余白の作り方

あなたは常にこころに余白がありますか?

私はぜーーーんぜんないタイプです。

余白なんて必要なかった私が必要になり、試行錯誤の末に余白が作れるようになった過程をまとめてみます。


余白のない私ってこんな人

よく言えば常に上昇志向で、自分の欲求に素直で行動的で、どうすれば次はもっと上手くいくかと試行錯誤することが楽しいタイプです。

自分にある時間は効率的に生産的に使いたいし、ちょっとした隙間時間も有効に使えないかと頭はフル回転!!

疲れた、と思えば休むけれど、目の前にやるべきことを発見したら即行動。

欲深くて、「コレがいい!」と思ったら貪欲に手に入れようとし、自分のものにする過程にワクワクし、夢中になってしまいます。

もうそのワクワクといったら!!

ワクワク中毒ですよ。

もうね、そのためならエネルギッシュに行動できちゃうんです。

そして手に入れたときの達成感!最高!!!

そんな足し算の人生を歩んできました。

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余白が必要になった理由

そんな熱い心と行動力で30代前半までを切り抜けてきた私に転機が訪れました。

それが子育てでの行き詰まりでした。

子どものことなので、いくら私がエネルギッシュに動いても、思い通りになんてなりませんよね。

最初はね、

「楽しく保育園に通って欲しい」

「笑いや会話の絶えない家庭にしたい」

という自分の理想に向かってひたすら突き進んでいたんですよ。


たとえば長男が保育園の先生から

「保育園ではあまりお友だちとの関わりがありません」

と言われれば、自分と長男の関係を見直し、まずは親子でいろんなことを楽しもうと行動しました。

保健センターや療育センターにもフォローしてもらいました。

でもうまくいかなくて、いろいろやってきた結果、私は自分の価値観に縛られすぎているのかもしれない、と気づきました。

で、少しずつゆるめていった結果、小学3年になったときにやっと長男の信頼を得られるようになり、なかなか教えてもらえなかった長男の心のうちを聞かせてもらえるようになりました。


長男の信頼を得るためにどんな意識改革が必要だったか、というと、

「余白のある生活ができること」

でした。


なぜ必要だったのか、というと、

「長男は常に余白を必要とする人」

だったからです。

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日々に余白をつくるために子育てで意識が変わったこと

長男が余白のない母親と生活するのは、結構大変だったんじゃないかと思います。

私が変わらないことには、長男との関係はすれ違うばかりでした。

進む方向も物事への取り組み方も全然違っていたので。


私はいろいろ考えました。

なぜ余白がなくなる人間になったのか。

それは

「世の中に必要とされていることを貪欲に吸収してきたため」

でした。

私は日々生きていく中で

「社会で生活するために貪欲さは必要なこと」

と感じ、体得してきました。

そして親になった今は知らないうちに長男にもそれを求めていたんですね。


実際に私が学生の頃の世の中はそんな感じだったと思います(勉強して一流の大学に入り一流の会社に就職できたら将来安泰だ!みたいな)。

適応しようとする力が強い私は、それを全身で感じてすっかりその餌食に(笑)


ところが今は違うんですよね。

今は「個を大切にする」時代です。

私のやり方では子育てがうまくいかなくて相談に行くと、私の考え方に賛同する意見は聞かれませんでした。

「長男くんは慎重なお子さんだから、この子のペースに合わせてあげましょう。

事前に伝えてあげて長男くんのこころの準備をし、スモールステップで積み重ねていきましょう。」

私が今まで無意識に頑張って獲得してきた

「社会の場や人にいかに適応していくか」

という社会に合わせるやり方ではなくて、長男の個性を認めて、長男に合ったやり方で成長を促していくことだったんです。


それを実践するためには、母親である自分もどうありたいのか、何をしたいのか、それに必要なことは何かを明確にする必要がありました。

そうしないと長男の個性に引っ張られ過ぎてしまいました。

子どもを尊重するということは同時に自分も尊重しないとバランスが取れないということを身をもって体験したんです。

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コロナで加速した意識改革

私は世の中のニーズとあるべき姿を感じとって、それに合わせるように生きてきたように思います。

だから

「自分は何が合うのか、何が好きなのか、何がしたいのか」

と言われると、明確にわかりません。

だってそれを優先して生きてきていないから。

それよりも生活のため、家族のため、将来のために生きてきたように思います。

なので、家族のためなら何をしたらいいかは明確ですし、生活のために動くことは呼吸をするように無意識にできます。

そして、自分の将来のためには今、何ができるかについてのアンテナは敏感で、あらゆる情報の中からピンと感じとったものをよく見聞きし、意識しているように思います。


ところが、この世界的なコロナ感染が蔓延化したこの1年で生活スタイルやものの考え方の変化が加速しました。


コロナ対策として

・人との距離が必要になりました。

・できるだけ外出を控える生活が余儀なくされました。

・学校も一時的にでしたが休校になりました。

・リモートワークが可能になりました(職種によりますが)。


これらは、人との距離が必要で外出は必要最低限な長男にとてもフィットしました。

世の中の動きにも背中を押され、私は自分のあり方を変える必要性を強く感じる日々でした。

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本質に立ち返るチャンス

コロナでいちばん実感したのは、人間の本質とは?という部分にもう少し向き合うに必要があるんじゃないか、ということでした。

今ある情報をまとめると

「新型コロナウィルスにかかると、大抵の人は風邪程度の症状で1週間くらいで自然回復する。

一部は重症化し、死に至ることもある。」

ということです。

そして

「特効薬はなく、周囲への感染を防ぐためにすぐに病院にかかるのではなくて自宅療養で様子を見る。」

のが基本になっています。


そこから考えられる対策としては


① 生活習慣を改め、免疫力を高める

② 自分の体調管理と不調のときは無理をしない


という、言葉にしたら当たり前じゃないかというようなこと。

でもこれが全然当たり前じゃないと思うんです。


例えば、普段風邪っぽいなぁと思っても、それで仕事を休むって考えられないと思うんです。

風邪薬飲んで仕事には行かなきゃなぁ、と。

場合によっては、熱が出ても解熱剤飲んで仕事に行くこともあるかもしれません。

なんとなくそれを強いられている環境がありました。


また以前、病院で勤務をしていたとき子どもがインフルエンザになり、途中で私ももらってしまい、長く職場を休んで迷惑をかけてしまったことがありました。

そのときに「自己管理ができていない」と怒られました。

その通りだと思います。

ただ、子育てと家事と仕事の両立で睡眠時間が減り、ゆっくり休めることもなかったし、子どもたちだって毎日保育園で頑張っていたわけで、感染しやすい状況の中に日々いたんです。

自分の健康管理に対する努力が足りなかったと言われたら否定はできないけれど、余裕のない中でなんとか回している状況は私にとって最大限の努力が必要でした。

そこで「もっと」と言われると無力感、罪悪感、やるせなさ、いろんな感情があふれてきてしまいました。


そんなふうに環境や世の中に合わせて無理に動くのではなくて、家族みんなが無理のない生活をするにはどうしたらいいのか…。

今回のコロナ禍でその答えをもらっているような気がします。


自分の身は自分で守る

無理はせずに普段から免疫力を高めておく

体調が悪かったら外出や仕事はしないで休養する

自分のからだをよく知っておいて悪化を防ぐ

人と会う時はよく考えてから行動する


それは必要最低限を徹底していて、周りに合わせて動くのではなくて、自分にできないことはやらないという、長男のスタンスによく似ていました。

それを私は無意識に否定しがちだったことにも気付きました。

こんなにも世の中の当たり前だったルールがコロナでガラッと変わるなんて!


当たり前が変わる時はなんだか窮屈で、心は元に戻ろうと強く反発したりもします。

でも少しずつ慣れたり、新しい考えの方がフィットしてきたり…悪しき習慣は自然淘汰されていきます。

私の心も世の中もそんな時期なのかなぁ、と。

もっと人間の本質に立ち戻り、自分のからだをよく知って自己管理したり、ペースを考えたり、休養を意識したり、自己回復力を感じたり。


どんどん発展させよう、

より便利な暮らしにしていこう、

という時代から、


今あるものを大切にしていこう、

人間の本質に立ち戻ろう、

「より良く」よりも「よりフィットする」、

に、変化してきているような感じ。

どうでしょうか。

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余白をつくる具体的な方法

そんなわけで、私は長男とコロナで余白を大切にするようになりました。

余白がうまく作れたなぁと思った体験をいくつか紹介します。

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① 心に余白をつくる時間

私は空白の時間が苦手です。

子どもの発達について勉強をして、これも特性なんだな、と思ったのが手持ち無沙汰が苦手、つまり空白の時間をつくれないことでした。

苦手、で終わればいいのだけれど、私の場合はそんな時間ができるとつい動きたくなってしまうんです。


例えば私、小学校のときは授業でヒマを感じると、封筒などの小物作りをコッソリしてました。

怒られて、これはダメだと思ったので、

授業中に先生が発言したことを吹き出しでノートに書きまくるとか、いろんな色のペンでノートを書くとか、先生の言いたいことを図化してみるとか、左手で書いてみるとか、授業に関係のあることであえて手間をかけるようになりました。

それから、学生時代はヒマができたら勉強さえしていれば怒られないし、悪いことではないし、やるべきことだと思っていたので、時間があるときは勉強していました。

つまり空白は作られにくかったんですね。

社会人になったら、それが買い物や女子会、勉強会へと変化しました。

そこまでは良かったのだけど、子育て中は難しかったです。

自分のやりたいことやコントロールできることで時間が過ぎるのではなかったからです。

子どもは思うようにならないし、時間で動けないし、家事は際限なくある…やらなきゃ!で動くとずっと動き続けなきゃならなくて、心がパンクすると子どもに感情的になりやすくなりました。

そこで、仕事のペースを落として余裕の時間を作ったものの、今度はその余裕の時間で何をしたらいいのかわからず、時間があるなら生産的なこと(お金になること)をしたくなり、新たな仕事を求めてしまう、という悪循環。

何かしてないと!という自分の中に湧き起こる罪悪感も、意味がわからないと思って自分の心と向き合ったりもしました。

結論は、

「何もしない時間を作るのではなくて、リラックスできるようなことをする時間にする」

が、いちばんシックリきました。


それまでは何も予定を入れない☆マークの日をつくる、という対策をしていましたが、その空いた時間は気になったことに傾倒しがちで、あまり有意義な時間にはできませんでした。

メンタルによってはその時間で転職活動始めちゃったりしてね。

悪影響じゃん(笑)


私が心に余白が作れた!と実感できたのは、私の好きなパン屋さん、本屋さん、雑貨屋さんでブラブラしている時間でした。

目に映るパン屋さん本や雑貨に心が躍り、見て回るだけで他のことは何にも考えないでいられました。

心地よい!と思うと何も買わずに帰れません。

そうなると

「生活費がギリギリなのに、テンション上がって余計に買ってしまった」

と後悔することが多いので、せっかくの心地よかった時間を自分責めで終わらせてしまっていました。

せっかく毎日頑張っている私をいいこいいこする時間であり、癒しの時間なのに、残念すぎますよね。

なので月予算を決めて、その中で自由にお買い物できるように考えました。

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② 見える空間に余白を

目に見える空間がごちゃついていると、不思議なことに気分もごちゃついてきます。

自分が1日で1番よく過ごす空間だけごちゃつきをなくすと焦燥感のような、渇望感のような、湧き上がってくる

「このままじゃダメだ!」

という気分を減らせました。

私の場合はLDK。

ここに置くものは全て使用頻度が一軍のものだけにしました。

つまりは毎日絶対に使うもの、もしくは2〜3日に一度は必要なもの。

考えて、食事関連、幼稚園や学校で私が関わるべきもの、ケータイやパソコン関連、お薬や救急箱、文具だけ置くことにしました。

日用品や日用品ストックは廊下収納、

子どもの学用品やランドセルは隣の和室の押し入れの上の段、

オモチャは隣の和室の下の段やカラボ、

衣類は隣の和室の収納スペース、

と二軍や子ども関係は全てLDKから排除。

結果、LDKはごちゃつきが少なくて、つまり刺激が少ないのでリラックスして過ごせる空間になりました。

もちろん、LDKで子どもがおもちゃで遊べないわけではなくて、必要なものを持ってきて遊び、終わったらしまうを習慣にしてもらう感じです。

そのためには遊ぶことを「始める」、「おしまいにする」という意識が必要で、時間の使い方のメリハリがついたので良かったと思います。

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③ 家事の見える化で見通し&協力を

日常の生活に必要な細々としたことって、気づいた人がやるというカタチになりやすい気がしませんか?

そして大抵はそれって母親の仕事になりがちです。

家のことや子どものことを見なければいけない、やらなければいけない、という自覚があり、気づいたらやらざるを得ないから。

自分も家族の一員としてやるべきだ、という意識のある夫や子どもだったら、母親の言動や行動で気づき、動くこともできると思います。

ところが、そういう視点がなかったり、別にやらなくてもいいんじゃないかと思っていたりすると人は気づかないし、やらないと思います。

なので、例えば週末などは前日夜のご飯のときにでも


「明日の予定は午前中に1週間分の食料の買い物、午後は掃除と休憩をします。

学校で必要なものがある人は、買い物の時間までに教えてね。

明日遊びに行くからお昼ご飯を用意して欲しい人がいたら寝る前までに教えてね。

掃除は和室をするので、午後までに捨てられたら困るものは自分のスペースに避難させておいてね。」


と伝えておきます。


1週間分の買い物の前に1週間分の予定に合わせたメニューを夫と一緒に作り(紙に書き出して見えるところに貼る)、必要なお弁当の数、予定の有無も確認します。

すると夫も把握でき、自分の予定とのすり合わせも自然にしてくれるようになりました。

「この日は早く帰れるから夕飯はオレが作れる」とか

「この日は出張でお弁当いらない日」とか

そういうことも話してくれるようになったので、事前に私も把握できるようになりました。

買い物に行っても2人で確認しているので、書い忘れが少なくなりました。

週末のメニューは夫が食べたいものを設定して、自分で作ると言ってくれるようになりました。


「和室を掃除するから、捨てられたくないものは自分のスペースに置いてね」

と伝えておくと、自分のタイミングでやってくれるようになりました。←小学生の2人

みんなが同じタイミングで動くっていうのは難しいですよね。

締め切りがわかっていれば、どこかのタイミングで自分のペースで進められるので良かったみたいです。

そして、休憩も立派な予定です。

時間の微調整もできるので、計画倒れにならないコツだと思いました。


こんなふうに家族が予定を見通しを持って把握でき、それぞれがそれぞれのタイミングで過ごすのだけれど、意識して舵取りしなくてもなんとなく困らない週末になりました。

イライラ、ガミガミもせず、予定外にハラハラもせず、ゆとりを持って生活できます。

家族の人数が増えれば増えるほどコントロールが難しくなる週末、事前に伝えたり相談できる機会を意識して持つことで、協力し合えたり、なんとなく同じ感覚で過ごせることが気持ちと時間の余裕につながったと思っています。

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終わりに

いかがでしたか?

アレコレ書いて、かえってまとまりつかなくなってしまったような…。

まだまだシンプルな暮らしには程遠いですね。

でもこうして心の整理を定期的にすることで、少しずつ前進しているように思います。

焦らなくても大丈夫、想いは必ず叶う…だからこそその想いを言語化して大切にしたいと思っています。

年末はおうちの大掃除をするおうちが多いと思いますが、こんなふうにこころの大掃除もいいですよね!!













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