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偶然というプレゼント

Am5:32
シャワーを浴びてベランダに出る。
いつもの日課。
シャワーからあがると風に身を当てる。
心地よいそよ風や、荒れ狂う風の日も、
できるだけ外へ出る。
風はいろんなことを知ってるんだ。

「ありがとう」と呟く。
静かに、心を込めて。
スズメが何羽か、朝の挨拶を交わしている。
姿は見えないけれど、どこか楽しげだ。
ハトが4羽ほど視界を横切った。
朝は鳥の時間なんだな。
するとそのうちの一羽のハトの羽が一枚、
ひらりひらりと舞っていった。

美しくなめらかで、
軽やかに落ちていくその羽は、
無機質な刻に色をつけ、
美しさを世に示した。

それに気がついたのは幸運なことに、
僕だけだったかもしれない。

あぁ、ツイてるじゃないか。
自分。

「思うに、あの一枚の羽が僕の偶然であるとしたら、、、」

僕はそう自分に問い掛けた。
あくまでも静かに。

「偶然を拾いあげ、気づき、楽しみ、慈しみ、磨きあげていくことが、運命やめぐり逢い、ご縁、しあわせにつながっていくんじゃないだろうか」

そんなことをふと感じたのだ。
不思議なことに、これは心から出てきた言葉だった。どうも頭では考えたものではない気がするのだ。頭はそこまで深くはない。
心は深く、広く観ることができる気がする(笑)

スズメの宴、ハトの羽、湿ったグレーな風に、早朝から走っているおじいさんランナー、、、
一つ一つの偶然を心でしっかりとキャッチすること。そのために前へ進むには少々荷物になる不安や不満などの感情や思考を整理していく。

そう、写真家のSaul Leiterも言っていた。

It is not where it is or what it is that matters
but how you see it. -Saul Leiter-
重要なのは、どこにある、何である、ではなく、どのようにそれを見るからということだ。

その通りだなぁと思う。
転がっている日常や偶然をどうやって見るかは
完全に僕らの自由なんだ。

一歩踏み出してみること。
すべてに感謝し、
人生の面白い不思議を探そうとすること。
世界は素晴らしい、自分という存在も。
やりたいことをやってみること。
自分はツイてるから、
どーせ何とかなるさ(笑)と
腹をくくること。
自分の人生を歩むと覚悟すること。

これらはすべて、偶然から生まれるんだ。
大きな物語が始まった。
僕というちっぽけな存在が世界に足を伸ばしていく壮大なストーリー。
そのストーリーもすべては一瞬の積み重ねでできている。

そして、その一瞬はほとんどの場合偶然によって生じることを忘れてはいけない。

その偶然を読み解くカギこそが、
心の感受性であり、
詩人のような感性と
偶然を探しにいく行動だ。
そしてその根底には愛がある。
まったく知らない子どもがするイタズラに、
ニヤリと笑いかけるような愛が。

つまり日々の偶然をどう捉えるかで、
人生の質が決まってしまうかもしれないということ。

だったら、重荷など置いておこう。
いつも身軽でいよう。
今目の前に転がっている偶然を
全力で楽しもう。

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