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[エッセイ] 「女」について

「今、女の表情かおをしたね」って私に言ったのはどの男だったか。

やだ、もっと色っぽくなりたいですよ、
こんなちんちくりんじゃなくて。

そう答える私に、7年付き合いのあるその人は、

ーきれいになったよ。
そう言って、打算的な笑みを向けた。

ありがとう。でも、透けて見えるよ、下心が。


つまらない話をしてしまいました。

自分の中の確固とした「女」は、
いったいいつ生まれたのか?

上記のやり取りを思い出しながら、ふと考えます。


「『女』扱いされたい」という思いが、
気づけば
「自分の中に棲みつく『女』を飼い慣らさなきゃ」
に変わったのは、いつのことだったか?


胸に去来するのは疑問ばかりで、
noteを始めてみたはいいものの、
「女」をひも解く糸口はなかなか見えてきません。


強いていうなら

「女」を出す場面、極力控える場面...
生き上手な女たちは、社会の中でこの使い分けができているんじゃないか。

そして、

広い意味で「商品として成り立ちやすい」己の性を、まことしやかな甘い言葉で囁きかけてくる世の中でいかに保つのか、それが女の生き方を決めているんじゃないか。
結婚市場ですら、「女」は「商品」になっているんじゃないか。

そんなことを思ったりします。



取るに足りない私の経験を通してではありますが、
払うに払えない”わだかまり”を、今年度もまた探っていきたい。

そんな所信を、新年度最初のエッセイに書き置きます。



#水曜日のエッセイ


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