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[1分小説] 将人くん

「今週の金曜ロードショーに、少しだけ出るよ」

芸能事務所に所属している男の子だった。
かわいい顔をした、小柄で色の白い、気の弱そうな人だった。

「冒頭の30秒くらいだけなんだけど、ね」

照れているのか不甲斐なさの表れなのか、はにかみながら、将人まさとくんはそう付け加えた。



将人くんとは大学時代、ファミレスのアルバイトをしている時に知り合った。

ファミレスと、コンビニの夜勤と、「芸能活動」を掛け持ちしていた彼は、大学へは行っていないようだった。私より3つ歳上だったけれど、お互いに敬語は使わずに話していた。

普段からとてもフランクに喋っていたから、
「ねぇ今度、遊びに行かない?」と言われた時も、「いいよ。いつがいい?」二言目には日程の調整に入っていた。



それから何度か、一緒に出掛けた。

渋谷をぶらつき、下北沢で買い物をし、川崎で飲んだ。

「次の撮影の集合場所、確認してもいいかな」という彼の都合に合わせて、大学2年の後半を迎え授業も落ち着いていた暇な私は、どこへでも付いていった。

別に付き合っているつもりはなかったから、将人くんと会わない日には、他の男の子とも遊んでいた。




会う約束をしていた前日、電話が掛かってきた。

「ごめん。また渋谷でもいい?」
「全然かまわないよ」
「今度のロケバスが来る場所がわかりにくくてさ。たぶん3号線の高架下なんだけど」

真面目な彼は、エキストラ中心の端役しか回ってこなくとも、「絶対に遅刻できないから」といって、必ず集合場所の下見をしていた。



その日、渋谷で彼の仕事の集合場所を確認した後、宮益坂近くのカラオケボックスに行った時のことだ。
週末の夕方の店内は満室らしく、同じような若者カップルの隣に腰を下ろした私たちは、しばらく待つことにした。

「そういえば」私は尋ねた。
「なんで芸能活動はじめたの?」

「あれ?話してなかったっけ」と言葉を区切り、将人くんは続けた。

「高校時代の友達がさ、エキストラのアルバイトに当たったっていうから、『もうひとり誰か連れてきて』って言われて俺に声掛けてきたの。」
「へぇ」
「で、エキストラして、なんかそのままオーディションに移っちゃって、どうしてか、俺だけ合格しちゃったんだよね」

締まりのないはにかみ顔をして頭を掻きながら、
「一緒に行ったやつのほうが、絶対にイケメンなんだけど」と、他人事のように不思議がり、意味不明だよね。なんで俺?と、困ったように小さく笑った。


はじめて一緒に訪れたカラオケは、将人くんの歌の上手さに圧倒されて終わった。
個室なのに、人目もないのに、
指一本触れてこない。優しいなと思った。


「こんなに上手な人、見たことない!」

将人くんが一曲目を歌い終わるのを待てずに、鳴り響くメロディーに負けず大声で感嘆の声を上げる私に、
「ありがとう。歌だけはうまいって言われるんだ」
エコーのかかったマイク越しにそう返した。「自分で言うのも変だけど」と付け加えるのも、忘れなかった。



その日の帰り、ふたりで夜道を歩いている時、
ぽつりと
「俺、麻友まゆちゃんのこと、好きかも」と言われた。

なんとなく、そんな気はしていた。

「やだ、酔ってるの?」
笑いながらごまかした。その日はお酒は飲んでいない。


「付き合う」という入口は、出口と同時発生するものだ。
将人くんとは今のままが良かった。
それに、他の男の子と遊べなくなるのも、困る。


その後、ガールズバーの仕事を大学の友人に紹介されてファミレスを辞めるまで、3ヶ月くらい、これまでと変わらない関係が続いた。






あれから5年が経った。

大学を卒業した私は現在、
派遣でコールセンターの仕事をしながら、月4・5回くらい、登録している愛人バンクの仕事を受けている。
年上の男性との逢瀬を重ねれば重ねるほど、肌を重ねれば重ねるほど、預金残高はひとりでに増えていくような日々である。


嫌なセックスをした後など、時どき、将人くんのことを思い出す。


テレビドラマとか映画の冒頭やエンドロールに、彼の名前が大きく載るような光景には、お目にかかっていない。


けれど、地位も肩書もお金もある男の人を、吐いて捨てるほど見てきた今、
実績も名誉もお金もなかった将人くんって、実は、人としても男の人としても、かなり良い子だったんだじゃないかしら、と思ったりする。

要領よく生きることを ―たぶん、大切な何かと引き換えに― 覚えてしまった自分にとって、不器用で純粋で実直だった将人くんは、なんだか物凄く尊かった。




「25歳を過ぎても芽が出なかったら、ちゃんとした仕事をするつもり」



彼は今、28歳になっているはずだ。

将人くん、もう芸能活動はしていないのかな。





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