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「親の気持ち、わかったでしょ」と言うけれど。

親の気持ち、わかったでしょ。


子どもを産んでから、主に母親や祖母からそんなことを言われるようになった。

「親の気持ちがわかったでしょ。」「子育ての大変さがわかった?」って。

わたしは、優等生の両親から生まれた子にしては、外れた道を歩んできたから、「親の気持ち子知らず」なんてことも散々言われてきたりした。


「子どもを産んで育ててみてはじめて、親の気持ちがわかった」

そんなの使い古された言葉だけど、でも、だけど言いたい、

わたしからすると、「子どもを産んでわかった」気持ちよりも、「子どもを産んでより理解できなくなった」気持ちのほうがたくさんある。

——

そもそも、「親の気持ちがわかったでしょ」に含まれる「だから感謝するべきでしょ」的なニュアンスには、ただただこう思う、

「親のほうがもっと子どもに感謝するべきだ」って。


わたしは子を産んで、親に感謝する気持ちよりも、「いや、わたしって子という存在であるだけでもっともっと感謝されていい存在じゃん」って思った。


だって、元気に生まれてきてくれて、育てさせてくれて、希望を持たせてくれて、嬉しくて楽しくて大好きで、尊い時間を過ごさせてくれる子には、感謝しかなさすぎる。


「子育ての大変さがわかったでしょ」って、そんなの違いすぎる。そんな言葉、かけてほしくない。
“子育て”を終えた人たちから出てくる言葉がそんなのじゃ悲しすぎる。

——

そう考えると、わたしは理解できない親の気持ちがたくさんある。


あんなときやこんなとき、

どうして冗談でも子どもけなすようなことが言えたのか、
どうして怖がらせるようなことをしたのか、
どうして成績なんかのことで子を叱れるのか、
どうしてもっといっしょに過ごしてくれなかったのか、
どうしてもっとほめてくれなかったのか、
どうして結婚やら子どもやらのことで親の希望を押し付けられるのか。

どう考えたって、理解できない。


子どもなんて、産まれてきてくれただけで、ありがとうすぎる。

育てさせてくれるだけで、宝物すぎる。


大変なことがあっても、自分がこの世に産み落としたのだから、そんなの当たり前すぎて、感謝するようなことじゃない。(傲慢に聞こえるけど、わたしは自分の子に、そう思う)


お世話をするのも、おいしいごはんを作るのも、かわいい服を着せるのも、プレゼントを買うのも、誕生日のお祝いをするのも、どこかお出かけに行くのも、

そんなの全部、してあげてるんじゃない。自分のためだ。

「かわいくて大好きな子を、幸せな気持ちにしたい、喜ばせたい」っていう自分のためにやっている。

お世話なんて、そんなの感謝するものじゃなくて、それが子育てで、それがしたくてしたくてたまらなくて、望んで産んでいる。


大切な存在として産まれてきてくれて、大好きにさせてくれて、そんな大好きな存在を喜ばせる仕事まで担わせてくれる、

そんなの、こっちが感謝しかないでしょ、と思う。

——

だからわたしは、この気持ちを忘れないでいたい。

もしも将来、孫ができたら、自分の子どもには、

「子育ての大変さ、わかった?」
なんて、そんな言葉じゃなくて、

「わたしはあなたを育てられて、とっても楽しくてかわいくてうれしくて、あなたのおかげで毎日しあわせだったんだよー!」

って言えたらいいなあと思う。




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