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2021年ブックレビュー『痴人の愛』(谷崎潤一郎著)

初めて読んだのは、中学3年だった。ナオミの放埓で大胆なふるまいばかりに捉われ、ちょっと下品な美しさに憧れもした。いい歳になった今じっくり読むと、人間とは、なんと浅ましく愚かな生き物だろうと。人の後ろにある変態的な欲望を、谷崎潤一郎「痴人の愛」の中でさらけ出すように描いている。

あらすじ

主人公の譲治は28歳、電気技師のサラリーマン。社内では「君子」とあだ名を付けられるほど真面目だが、見た目はパッとしない。ある時、カフェーの女給で15歳のナオミを見染める。譲治は混血児のようなナオミの容姿に惹かれ、自分の理想の妻にしたいと引き取り、大森の洋館で一緒に暮らし始める。

ナオミは成長するにつれ、日本人離れした美貌に磨きがかかり、譲治を喜ばせるが、同棲当初のような初々しさは次第に失われていき、わがままで浪費家、飽きっぽい本性があらわになっていく。性的にも奔放になり、複数の不良大学生たちと密会を重ねるように。嫉妬に狂う譲治は、一度はナオミを追い出すものの彼女の美しさに抗えず、ついには彼女に全面降伏して、肉体の奴隷になる…。

時代背景

「痴人の愛」は、大正6~11年ごろの話。大正デモクラシーの下で普選運動が活発になり、平塚らいてうや市川房枝らの婦人参政権運動も起こった。東京では電気やガスなどの生活インフラも整えられ、洋風生活を取り入れた「文化住宅」に人気が集まった。呉服屋は百貨店に変わり、洋服を着こなす「モダンガール」も街を闊歩。デパートガールやバスガールになる職業婦人も登場した。欧米に影響を受けた大衆文化も花開き、新劇などが人気に。人々はカフェやレストランで洋食に親しんだ。

この小説でも谷崎のモダニズム精神が発揮されていて、譲治は大森の洋館風(?)なアトリエにナオミと住むし、洋画をたびたび観に行き、ナオミが米女優のメアリー・ピクフォードに似ているとほくそ笑む。一方のナオミはビフテキが大好き。ダンスホールに頻繁に通うようになり、不良少女の道まっしぐら。ラスト近くでは、ナオミは洋館の贅沢な天蓋付きベッドに寝そべり、雑誌の「ヴォーグ」(大正時代に!)を眺めるのだ。

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「ナオミ」とは何者か。

「痴人の愛」といえば、マゾヒズム。主人公譲治の妻ナオミに対する被虐的な愛がテーマです。ぞくぞくします。譲治はナオミに馬乗りにさせれ、足で踏みつけられ、痛めつけられるほど喜びを感じます。まさしく「М」の譲治。彼の視点から、この物語を論じられることが多かった気がします。

そもそも、文学作品の中には男が少女を引き取って、自分好みの女性に育てようとする話が多くあります。代表的なのは、「源氏物語」の光源氏。美少女の紫の上を愛で、育てて妻にしました。譲治もそういうのに、憧れたのでしょう。一方のナオミは、今であるならパパ活や援助交際をしてオヤジから金をせしめようとする女子高校生といったところでしょうか。

ナオミにしてみたら、「オレ好みの女に」という譲治の「上から目線」や支配欲が成長するにつれてウザくなったはずです。だんだんと反発心が芽生えて、「この男の言う通りになんか、なってやるもんか!」と思いますよ、きっと。「いつまでも妻のように振る舞わなくていい、少女のように」と諭され、主婦業も教わってないのだから、そりゃあ好き勝手しますよね。

明治の終わりから大正にかけて、女性解放運動が広がってきたことを知り、ナオミのキャラクターに納得しました。この頃は、平塚らいてうや与謝野晶子らが現れ、女性の自由や人権についての議論が活発になりました。また、都会では西欧風のライフスタイルがもてはやされました。そういった時代の空気があったからこそ、性に自由なナオミ、男を従わせるナオミ、タブーを打ち破るナオミが登場したのでしょうね。

もっとも、谷崎にはフェミニズム的な思想はなかったのかもしれませんが。

当時の女性たちは、この小説をどう読んだのでしょう。ナオミを「破廉恥」と否定的に受け止めたのでしょうか。それとも、ナオミの自由さを新鮮に感じたのでしょうか。

谷崎潤一郎って、女性の足フェチだったそうです。↓






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